【絵本】『桃太郎』
1
大きな森の近くにある小さな村に、
桃太郎という男の子がいました。
村いちばんの力持ちで、
人を助けるやさしい子です。
2
桃太郎が少し大きくなると、
おかあさんは言いました。
「いいかい。ももたろう。
森の奥に行ったらいけないよ。
森に流れる川の向こうには、
人間をおそう鬼がいるからね」
「悪いやつなの?」
桃太郎の質問に、おとうさんが答えます。
「そうだ、見つけたらやっつけないとならん」
家族や友達がおそわれたらいけません。
桃太郎は、
鬼を見つけたら倒してやろうと思いました。
3
ある日のこと。
桃太郎は村の子どもたちと
鬼ごっこをすることになりました。
「悪い鬼が来るぞ!」
そう言って、鬼になった子から逃げ出します。
4
桃太郎はあっちこっち走りまわるうちに、
いつのまにか、大きな森の奥に
迷いこんでしまいました。
「おーい! 誰かいるかい?
おーい! おーい!」
森のなかは静かなまま。
返事はありませんでした。
やがて、夜がやってきました。
5
暗い森のなかを歩いていると、
雨がざあっと降ってきました。
桃太郎は心細くなりましたが、
立ち止まっていてもしかたがありません。
「おーい! 誰かいるかい?
おーい! おーい!」
桃太郎がいくら叫んでも、
聞こえてくるのは激しい雨の音だけでした。
6
何時間歩いたでしょうか。
やがて桃太郎の耳に入ってきたのは、
水の流れる大きな音。
大雨のせいで水かさを増した川でした。
「おーい! 誰かいるかい?
おーい! おーい!」
桃太郎があきらめて、
来た道を戻ろうしたとき、
どこからか女の子の声がしました。
「だ、だれかいるの?」
川の向こうに、小さな影を見つけました。
「ボクは桃太郎。
森で迷子になっちゃって」
「ワタシはキコ。
ワタシも迷子になっちゃったの」
ふたりがおたがいの方へ近づこうとした、
その瞬間――。
7
川の水があふれだしました。
水かさを増した川は、巨大な化け物のよう。
あっというまに
ふたりを飲みこんでしまいました。
しずまないように、おぼれないように、
おたがいに手を取り合います。
8
川の水は、
ものすごいスピードで海へと流れていきました。
水の勢いが落ち着くと、
桃太郎はキコを背負って、
浜辺を目指します。
「桃太郎、大丈夫?」
「大丈夫さ。
村いちばんの力持ちだからね」
9
ふたりが浜辺についたとき、
雨はもう上がっていました。
すぐ近くを流れる川は、
さらさらとせせらぎます。
「キコのおかげで、森から抜け出せたよ」
「桃太郎がいなかったら、
あのままおぼれていたわ。
本当にありがとう」
ふたりは浜辺に座って手をにぎりました。
あたりは暗く、
顔は見えなかったけれど、
おたがいにあたたかさを感じました。
10
「そういえば、
どうして桃太郎は迷子になっていたの?」
「鬼ごっこをしていたんだ。
鬼から逃げていたら、
迷いこんじゃってね」
「鬼ごっこ?」
キコは首をかしげました。
「キコはどうして迷子になっていたの?」
「人間ごっこをしていたの。
人間から逃げていたら、
迷いこんじゃって……」
ふたりは顔を見合わせました。
11
ふいに、雲が切れ、月が出てきました。
浜辺に、ふたりのかげがのびます。
桃太郎はキコに角があることを知りました。
キコは桃太郎に角がないことを知りました。
それでもふたりは、手をはなしませんでした。
12
「鬼ごっこも、
人間ごっこも、
同じ遊びなんだね」
星がまたたく空の下、
桃太郎とキコは語り合っていました。
おたがいの世界のこと。
おたがいの好きなもの。
何時間も、何時間も、語り合っていました。
「川の向こうには、
悪い鬼がいるって言われたよ」
「川の向こうには、
悪い人間がいるって言われたよ」
桃太郎とキコはなやみました。
「なんでボクたちは、嫌い合っているんだろう」
「ワタシたち、こんなになかよしなのにね」
13
海の向こうの空が白んできました。
「そろそろ帰らなきゃ。
おかあさんとおとうさんが
心配していると思う」
「うん。ワタシも帰らないと」
ふたりは立ち上がり、
横を流れる川をじっと見つめました。
「キコ」
「なに? 桃太郎」
ふたりは向き合います。
「いつか一緒に、橋をかけよう。
人間も、鬼も、
みんなでなかよく生き合おう」
「うん、絶対だよ」
ふたりは指切りをしました。
それが合図だったかのように、
夜明けがおとずれました。
14
どれだけの時が流れたでしょうか。
こんな世界になりました。
作者
横山黎
イラスト
宮澤誠司
20240320
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