毎日投稿していた僕がnoteを書けなくなった日。
――今回僕がnoteを書けなくなったのは、この1週間、不幸が重なりすぎたからです。人生でいちばん不幸が凝縮された1週間でした。
人生は物語。
どうも横山黎です。
作家として本を書いたり、木の家ゲストハウスのマネージャーをしたり、「Dream Dream Dream」という番組でラジオパーソナリティーとして活動したりしています。
今回は「毎日投稿をしていた僕がnoteを書けなくなった日」というテーマで話していこうと思います。
📚僕がnoteを書けなくなった日
20歳を迎えたタイミングで何か新しいことに挑戦しようと思った僕は、noteで記事を投稿することにしました。自分が日々思ったこと、考えたこと、学んだことを、毎日2000字くらいの記事にして公開するようにしてきました。
所用時間はざっくり1時間程度。内容によっては30分で終わるときもあるし、書きたいことが山のようにあって3,4時間かかることもあります。どんなに忙しくてもその日の23時59分まで記事を投稿することをあきらめずにここまでやってきました。
気が付けば、早3年。毎日人生を語り続けてきました。おかげさまでフォロワーも750人を超え、他のnoterさんからコメントをいただくこともあるし、僕の知り合いから「実はnote読んでるんだよね」と明かされることもありました。noteは今や、僕のアイデンティティのひとつといっても過言ではありません。
僕のnoteは公開日記のようなもの。日記だから毎日書こう、くらいの理由で毎日投稿を続けています。よく続くよね、と評価の声をもらうことも少なくないんですが、僕のなかではもうルーティーン。毎日食べるように、毎日寝るように、毎日noteで語らないといけない身体になってきているわけです。
ただ、そんな僕でも記事を投稿できない日はありました。それこそ、この記事は5日ぶりの投稿です。4月26日の記事として投稿しますが、実際に投稿しているのは30日。それで毎日投稿といっていいのか疑問ではありますが、後からその分書けばいいか、と僕のなかで結論を出しているので問題にしません(笑)
今回僕がnoteを書けなくなったのは、この1週間、不幸が重なりすぎたからです。人生でいちばん不幸が凝縮された1週間でした。
📚不幸の重なり
はじめの不幸は4月19日の朝。身内が体調を崩して入院したんです。ちょうど僕は実家にいたんですが、救急車が家の前に停まるし、通行人たちの視線を集めるし、この先どうなってしまうのかという漠然とした不安が立ち込める朝でした。
その日の夕方、僕の携帯にショートメッセージが送られてきました。そこに記されていたのは、僕がお世話になった恩師の訃報でした。担任の先生だったわけではないんですが、僕のビブリオバトルへの挑戦を陰に日向に支えてくれました。大学生になってからも何度かお会いして、ご自宅にお邪魔したこともあります。
翌週、4月23日の夜に、お通夜が執り行われるとのことで、最後の別れをするために千葉へと飛んでいきました。もう一度会えると思っていたのに、もう二度と会えなくなってしまったことを強く悔いながら、僕は焼香を上げました。
悶々とした日々が続くなか、僕に異変が起きました。物を壊し始めたんです。もちろん意図はありません。壊そうという意志は毛頭ないんですが、僕の触れた物が壊れていったんです。僕は今ゲストハウスで働いているんですが、25日にはゲストハウスの床を剥がしてしまったし、職場で使っていたラミネーターを壊してしまった。
僕は仕事で使うために、パートナーの車を借りることがあるんです。26日、自分の部屋に用事があってアパートの前に車を一旦駐車しようとしたら、タイヤを縁石の角で傷つけてしまったんです。慌てて僕は車修理で検索をかけていちばん上に出てきた業者に電話をかけたんですが、結局その業者にぼったくられて約10万円の損失。
この日は何故か自宅の皿も割ってしまって、心も粉々になりました。
📚書けないときは書かなくてもいい
26日は家に帰ったのが21:00過ぎとかだったんですが、僕はそのまま倒れるように眠りにつきました。薄れゆく意識のなか、僕の脳裏に「note書いてないな」がよぎりましたが、さすがに今日はもう書けないとあきらめてしまったんです。
以前にもこういうことはあって、去年の9月の終わり頃にも2,3日noteの記事を投稿しないことがありました。夏風邪を引いていて、本当に動けずにいたんです。一時期は声が出ないときもありました。ずっと寝たきりみたいな生活をしていましたが、パートナーが献身的に支えてくれたこともあり、次第に回復していきました。
精神的に、あるいは身体的に書けないときは当然あります。3年もやっていたら自然なことです。僕の体調管理、メンタルケアが不十分だったと指摘されれば否定できないけれど、どう頑張っても仕方ないことはある。今回みたいに、自分の手じゃどうしようもない不幸が重なったときは、沈みゆく心をすくってあげることは簡単じゃないんですよね。
毎日投稿の意義はあるのか、別にそんなことしなくていいんじゃないか、なんて議論がnote上にもあるけれど、別に書きたくないなら書かなくていいと思うし、書けない日は無理に書かなくていい。それに尽きると思います。
正直、26日の僕は、もうこのままnoteも創作も夢を追いかけることも全部投げ出してしまおうかと揺らいだけれど、今もこうして性懲りもなく物語をまた始めてしまいました。また書きたくなってしまったからです。それでいいんです。
執拗にこだわる必要はないし、自分の身体や心をごまかして書き続けるのも違う。自分のペースに合わせた発信が許されるのがnoteの世界なんだから、主体性を失わない程度に続けていくのがいいんじゃないかなという話でした。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
20240426 横山黎