幸せのハードル
ナマステ!
本日はスタイリストの仕事で新宿に。その後生まれて初めて白金高輪のカフェで作業。名前がべらぼうにオシャレだ。
本日は「幸せのハードル」について。
よくこの話題を同居人とする。「幸せ」って本当に人それぞれだけど、多分そのハードルが低ければ低いほど、生きやすいなぁと日々感じるのである。
というのも、東京に住んで2年。周りは最先端のもので溢れ、何不自由なく暮らせている。と同時に、なんだが幸せを感じるハードルが高くなっている気がしたのだ。
僕は3ヶ月に一回は実家の奈良に帰省している。25歳まで奈良に住んでいて、その時は特に何不自由なく暮らせていた。
ただ、東京に住み始めてから、その感覚がガラリと変わった。奈良はとにかく遊ぶ場所が少ないのだ。そして、僕はアパレル事業をこれからやるだけあって、服にも少し拘りがある。
今までは、地元のイオンの中にあるアパレルブランドで正直満足していた。それなのに、今は奈良に帰る度に遊ぶ場所や服に対して若干ゲンナリしている自分がいる。
もし、東京に住まなければ、きっとこんな感覚にはならなかったと思う。僕は色々知り過ぎたのだ。そしてその環境に慣れてしまったから、もうあの頃には戻れない。辛い。幸せのハードルが上がると、簡単に下げることができない事実に直面してしまったのだ。
地元の友達は、ほとんど関西にいる。そんな友達たちには僕は遠い世界にいるように思うとたまに言われる。そんなことは全くないのに、なんだが距離を感じで寂しくなる時がある。
どちらが幸せかなんて分からないけど、「知り過ぎる」という行為は非常に危険だと思う。僕は欲が深いので、知的好奇心や探究心を簡単に抑えることができない。
だから、知れば知るほど幸せのハードルが上がるのだ。正直勘弁である。ただ、このハードルが上がった状態で、僕は今の生活と真逆のネパールに行く。
どんな未来が待っているのか、全く想像できないが、とにかく幸せのハードルを下げまくりたい。「なんでもほどほどに」なんて言うけど、正にその通りである。以上、フェリベトウンラ!