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釈迦の教えとリハビリテーション

仏教は哲学だということはご存知でしょうか。

元々は釈迦(ゴータマ・シッダールタ/ブッダ)が生老病死という4つの人生の苦悩(四苦)を解決しようとし、その答えを見つけた(悟りを開いた)のが始まりです。

釈迦の教えを後世の人々が『大乗仏教』として宗教化し、これが現在日本で広く普及している仏教の始まりとなっています。

釈迦の教えは、偶像崇拝とか念仏によって救われるとか、そういったものではありませんでした。

なぜ私が仏教について書いているのか。

それはリハビリテーションを考える上で釈迦の教えが役立つと考えるからです。

このnoteを読むと、
●釈迦の説いた教えの一部がわかる
●釈迦の教えとリハビリテーションという思想の関連性がわかる
●釈迦の教えのリハビリテーションへの活かし方がわかる


生きることは苦しい

四苦八苦という言葉はご存知でしょう。

この言葉は、釈迦が解決しようとした四つの苦しみ(四苦)、さらに四つの苦しみを加えたもの(八苦)から成るとされます。

四苦とは、生老病死。

八苦はこれに、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦のを加えたものです。

釈迦は初め、生老病死の四苦から逃れる方法を探求するために妻子を捨てて出家したとされます。

生まれ、老い、病み、死ぬ。

この、誰も逃れることのできない苦しみ。

リハビリテーションという思想も、この苦しみに立ち向かおうとするものではありませんか?

特に老いと病みについて、そこからの脱却もしくは復帰を果たすこと。それが『全人的復権』たるリハビリテーションです。

釈迦はこの問題にどのような答えを見出したのでしょうか。


縁起論

釈迦が見出した答えは、『縁起論』とか『縁起の理法』などと呼ばれます。

縁起とは、「縁って(よって)起こる」ということ。

 あらゆる存在は他の存在との縁(関係)によって成り立っている。”ある”のも”ない”のも”生ずる”のも”滅する”のも、縁起の理に支配されている、と釈迦はいう。
 もちろん、苦しみも縁起の理に則ってもたらされている。だから、苦しみの縁を見きわめ、それを滅すれば苦しみも取り除かれると考える。
(白鳥春彦監修:「哲学」は図で考えると面白い, pp277-278)

人を含めた全ての存在はそれ単独(一人)では存在することができず、他の存在と関係することによって存在できている、という考えです。

わかりやすくするために卑近な例を挙げると、どんなに孤独に生きている人であっても、必ず両親が居て、生きている以上は何か他の生物を食べ、自給自足をしているのでなければ食べ物の生産者とも関係しています。

家に住んでいるのであれば、その家を建てた人、賃貸なら大家、直接的な接触はなくとも隣人とも関係しているでしょう。


釈迦の答え

釈迦の教えとは、結局のところ上で述べた『縁起論』です。

人間は生老病死という四苦から逃れることはできません。

では、釈迦はどのように解決法を見出したのでしょうか。

釈迦による解決法は、『十二縁起説』というものに集約されます。

『十二縁起説』では、苦しみが生じる縁起の連鎖が示されています。

無明(根本的な無知)→行(生活行為)→識(認識作用)→名色(心と物)→六処(6つの感受作用)→触(対象との接触)→受(感受作用)→愛(欲望・妄執)→取(執着)→有(生存)→生(出生)→老死(老いと死)
(白鳥春彦監修:「哲学」は図で考えると面白い, p278)

結局のところ老いと死という苦しみは、根本的な無知から始まる縁起によって生じているということです。


釈迦の教えをリハビリテーションに活かす

ここまで、釈迦の解いた『縁起論』について紹介してきました。

この考えをリハビリテーションにどう活かすのか。

そのためにはもう一つ、『色即是空 空即是色』という考え方を知る必要があります。

これは、「全ての現象や認識は空であり、実体や本質が存在しない。実体や本質が存在しない物を認識したり見たり感じたりできるのは、『縁起』が働いているからである」ということを端的に言った言葉です。

リハビリテーションでは、障害をどのように克服していくかが中心的な課題になります。

障害というのは、麻痺があるとか歩けないとか、そういうことではありません。

結局のところ、疾患や病気を持っているが故に、日常生活や様々な活動が困難となっていることが障害です。

脳卒中による片麻痺を患った方が、街を移動する。そこに障害が生じるのは、環境や周囲の人々との相互作用があるからです。

であるならば、身体機能が問題とならないような形で環境と相互作用ができれば、障害はなくなるのではないか。

この考え方に基づき、環境面を変えてしまおうというのが『バリアフリー』、環境との関わりの間に道具を導入して相互作用の仕方を変えようというのが『福祉用具の活用』でしょう。

周囲の人々がちょっとした手助けを当たり前に行うだけでも、障害はなくなります。

人が一人で障害を持っている訳ではありません。

というか、障害というものは実体も本質もなく、なんなら存在しないものです。

人と人、人と環境が関わる中で障害が生じるのです。

これは釈迦の説いた『縁起論』と同じではないですか?

障害の克服も、人と人との関わり、つまり『縁起』によって解決が可能なはずです。


まとめ

今回は仏教について説明し、リハビリテーションという思想との結びつきに着地しました。

仏教は宗教として広く知られますが、そもそもの釈迦の教えは『縁起論』という哲学です。

『縁起論』は『リハビリテーション』という思想と相性が良いのではないでしょうか。

釈迦は紀元前500〜600年頃に生きたとされますが、その頃から既に今と同じようなことで苦しみ、悩んでいたということです。

人間の歴史は同じようなことを繰り返しています。実は大昔に既に答えが出ている問いも多くあるのかもしれません。

哲学や宗教を学ぶことは、人間の思考・思想の歴史を学ぶということです。

歴史を紐解いていくと、リハビリテーションに活きる考え方は沢山あるのかもしれません。


より深く学びたい方へ

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おわりに

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まじい@マジメな理学療法士・公認心理師
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