【読書感想文的エッセイ】あの地平線輝くのは7
次の星には点灯人がいた。この星は非常に小さく、一日が一分しかない。だから点灯人は一分ごとに街灯を点けたり消したりしなくてはならない。いったいなんの刑罰なんだと思ってしまうが、刑罰などではない。れっきとした仕事である。点灯人は夜になったら灯りを点け、朝になったら灯りを消す仕事をしていた。残りの時間は自由で、彼曰く睡眠時間だったらしい。しかし、星の自転速度が徐々に早くなり、とうとう一分で朝と夜とが回ってしまうほどになってしまった。
かなり極端な星だ。SFみたいだ。でも、この星には点灯人の一人しかいないから、そこにどんなに壮大な背景があろうとも、この星の物語は点灯人の個人的な物語にしかならない。ここにも孤独がある。この一番小さな星は孤独とともに回り続ける。宇宙にいる誰かのために「こんばんは」と灯りを灯す。王子さまは、この人を今まで出会った人の中で一番変じゃないと言っている。他の人のことを考えていて、友達になりたいと思えた人らしい。しかし―やはり、と言うべきか―王子さまはこの星を去る。点灯人の星はあまりにも小さくて、二人がいれる場所がないからだ。わたしはこの表現にずっと引っかかっている。これは、わたしの推測でしかないが、星の大きさとは、すなわち余裕のことではないか。空間的にも時間的にも。もちろん、住民の心の変化によって星の大きさが変わるなんてシーンはどこにもない。ただこのシーンは、他のシーンと比べて、星のサイズが物語に直結し過ぎているような気がする。小さいから自転周期が早くなる―点灯人はそう説明する―。小さいから王子さまはここにはいられない。睡眠時間を確保する余裕。人とおしゃべりする余裕。人を受け入れる余裕。この点灯人は、他の人を思いやれる優しい気持ちがあるのかもしれないが、ホントウの意味で他人と関わろうとしているのか、わたしには疑問である。
冷めた人間かもしれない。だって点灯人の心に余裕がないのは、自分のせいではなく、周りの環境のせいだからだ。少し話は変わるが、学校でいじめが起こると、「じゃあ、行かなくていいじゃん」とか「被害者に逃げ場を!」と言う人が必ず現れる。働くことがつらい人に「辞めれば?」と言ってしまう人がいる。この手の発言は相手に寄り添っているように見えるが、わたしはこういった言葉はできるだけ言わないようにしている。今、例に出した言葉たちは、相手を思いやっているように見えて、その実、現状を深く見ようとせず、もっともらしいことを言って、気持ちよくなりたいという、無責任で、自分勝手な言葉だと思うからだ。学校を休んでどうしろというのだ。職場を辞めてどうしろと言うのだ。こういった対策は必ず功を奏すとは、到底思えない。話を戻そう。つまり、わたしが何が言いたいのかというと、この点灯人を見ても、同じことを言えるか、ということだ。このどうしようもない状況—SFはそんな状況を描くのが得意なジャンルだ—で、「星から出ればいい」とか「仕事を辞めればいい」というのは、あまりにも現実が見えていないと言わざるをえないだろう。リアルとフィクションを混ぜるなという批判があるかもしれない。しかし、ホントウにそうだろうか。学校でのいじめや仕事による鬱はホントウに逃げられるものだろうか。外の世界も知らず、小さな星の中で生きているわたしたちは、みんな点灯人ではないのか。誰がその星から脱出するロケットを用意してくれるのか。そのロケットの安全性は誰が保証してくれるのか。移住先では安全に暮らせるのか。そんな言葉が何回も何回も点灯人の頭によぎる。王子さまの考えは一貫しているように見える。休める方法を教え、それは効果がないと言われると、じゃあ自分では力になれない―そうは書かれていないが、意見をだすことをやめていることから、そのように予想できる―と判断する。このシーンに描かれていることは非常に根深い問題だ。点灯人は時間に追われ、睡眠時間も確保できない環境にいる。しかし王子さま、そしてわたしたちも彼を救う方法を全く見いだせない。簡単な言葉をかけることすらできない。社会に対するやるせなさしか見い出せなかったが、これ以上書いても、ここではもう進展は見込めないだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?