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【読書感想文的エッセイ】神様みたいに良い人4

 もう少し、人狼ゲームについて触れておいた方がいい気がする。『GNOSIA』というゲームをご存じだろうか。PS4やNintendo Switchで発売されている、宇宙SFモノの人狼ゲームだ。『Among US』ではない。
 簡単に世界観及びルールを説明しておこう。漂流する「星間航行船D.Q.O.」に「グノーシア」感染者が紛れ込んでしまった。「グノーシア」は嘘ついて人間の振りをしているが、人間を襲い、宇宙からその人の存在を消してしまうのだ。全滅の危機に瀕した乗員たちは、疑わしい人物から「コールドスリープ」していく。これが『GNOSIA』である。主人公は15人の乗客の一人として、この危機に立ち向かうのだが、何度も何度も「LOOP」(作中ではパラレルワールドへの移動のことを指す)をしながら「セツ」をはじめとする他の乗客たちとの骨太なストーリーが展開される。
 この『GNOSIA』はただの人狼ゲームではない。この作品のメインは夜、すなわち誰かが「コールドスリープ」されてから、「グノーシア」が活動を始めるまでの間に展開されるストーリーにある。人狼ゲームはあくまでゲームを進めるプログラムでしかない。つまり、これが何を表すのかというと、疑ってばかりではストーリーは進めることができないということである。ときとして、いや、この作品は、「だれを信じるか」という大きな問いがストーリー全体に大きく横たわっている。最初、主人公が目を覚ますと、そこには、作品を通してパートナー的存在でいてくれる「セツ」がいる。彼女は状況を説明するよ、と言いながら、船内の状況を教えてくれる。会議室へ行くと「SQ」、「ラキオ」、「ジナ」の三人がいて、それぞれを疑ったり信じたりしながら「コールドスリープ」を進めていくのだ。LOOP1で主人公は「セツ」と「SQ」のどちらを信じるのか、選択を迫られる。「セツ」は「SQが怪しい」と言うが、「SQ」は「セツは優しくして、きみを騙そうとしている」と主張する。このような選択が毎回迫られる。そして「LOOP」を繰り返しながら、乗客15人の運命が複雑に絡まっていくのだ。
 限界状況の中で、いったい誰を信じればいいのか。この問いがずっと喉元に突き付けられる。人を信じる理由はさまざまだろう。「自分を信じろ」と言われることがある。「おまえを信じる」と言われることがある。一方で「おまえはグノーシアだ」と言われたり、「おまえは嫌いだ」と言われることもある。個性豊かな乗客たちは全員が論理のみで会議を進めるわけではない。この作品は好き嫌い、つまり人間関係が投票に大きく関わってくる。だから、誰かを信じざるをえない。それは積極的な信頼もあれば、そうでない場合もある。そして―これが一番重要なのだが―この作品において、誰かを信頼するということは、だれかを疑わなけらばならないということだ。この意味で、先ほど挙げたLOOP1のイベントは、この作品のテーゼ「誰かを信頼するということは、だれかを疑うこと」が象徴的に表れている。しかし、これで終わりではない。「セツ」もLOOPに巻き取られた人物であるのだが、彼女は何度LOOPを繰り返しても「グノーシア」が紛れ込んでしまう現実に対して、乗客全員を救うまでLOOPを辞めるつもりはない、ととれるような発言をするようになっていく。どうやって全員を救い出すのか、それは実際にプレイして確認していただきたい。
 少し宣伝じみてしまった。でもあとひとつ書かせてほしい。作中に「ステラ」という女性が登場する。彼女は基本的に主人公に対して信頼を寄せる数少ない人物である。主人公が自分は「グノーシア」かもしれないのに、どうしてそんなに信頼できるのかと問うと、彼女は迷いなく、人が人を信じるのに理由なんていりません、と答える。ハッとさせられる言葉だ。そうだ、信頼とはそもそも一切の合理的理由もないままに相手を信じることではなかったか。銀行はわたしたちを信用してお金を貸してくれる。これは、この人にはお金を貸してもちゃんと返ってくる見込みがある、万が一返せなかったとしても、担保が用意されているから大丈夫だ、ということだ。それは信用であって、信頼ではない。信頼とは非常に曖昧なのだ。だから葉蔵は人を信頼することをできずに、悩み、苦しんだのだ。
 「信頼は罪なりや」。確かにそうかもしれない。信頼、それはまったく合理的な判断とは言えず、悪を悪として認めたうえで、それでもあなたは悪くないと相手に告げることだ。誰が「グノーシア」か分からない状態で、そう言える人間はどれほどいるだろうか。もちろん、これは人狼ゲームなので、合理的に考えれば、誰が「グノーシア」であるかは見抜くことができる。ただこの作品には人間/グノーシアという完全な敵と味方の二項対立には収斂できないようなキャラクターたちの人としての魅力がある。「信頼は罪なりや」。もし、信じた相手が「グノーシア」だったら? それでも、わたしは信じれるだろうか、信じ抜けるだろうか。自分の夢を、この社会を、そしてあなたのことを。「セツ」は世界中が敵に回っても、わたしだけはあなたを信じるという姿勢を地で行った人物だ。それでも、主人公に「だからわたしを信じて」とは言わないのだ。それは信頼ではなく、信用だから。たとえ相手に疑われたとしても、相手を信じ抜く。そういう人にわたしはなりたい。「それでも、わたしはあなたを信じます。だって人を信じることに理由はいらないもの。」

『神様みたいに良い人』終 2022年6月6日

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