
【注染を後世に伝えるブランドストーリー】株式会社ナカニ 中尾 雄二氏インタビュー
こんにちは!RE EDIT編集部です。
読者参加型マガジン【RE EDIT(リエディット)】は、大阪堺市にある泉北エリアでSDGsを軸にしたドキュメンタリー雑誌です。
「公開取材」はじめます!
5年間に渡り雑誌という形でお届けしてきましたが、vol.004で一区切り。雑誌づくりを通して出逢った人や価値観は、私たちの人生をとても豊かにしてくれました。
RE EDITを始めた目的は、名前の通り「地域を再編集」すること。既にあるものを可視化し、新たな視点で地域をまとめて魅せること。
何を隠そう、雑誌づくりで一番楽しい部分は取材!
取材って、難しそうで実はシンプル。自分が気になることを質問し、その答えを聞いてまた新たな質問が生まれていく。その繰り返しの中で、思いもよらない教訓が得られたり、共感で親しみが増したり。話の流れでご縁が広がることもあり、一人を取材するだけでは終わらないってことも多々。少し大げさに言うと、取材相手の人生を共有しながら、自分の一部に取り入れていくような、そんな体験なんです。(リエディットの場合。笑)
こうした体験を編集部だけで味わうのはもったいない、というわけでRE EDITは雑誌を飛び出して、公開取材という名の体験型イベントを実施します!
初回のゲストは伝統的な染色法「注染」を手がける株式会社ナカニの中尾会長。司会は中尾会長とのご縁を繋いでいただいた方でもある、株式会社ふくのこ増田さんです。

話し手:中尾 雄二氏
株式会社ナカニ
1958年高石市生まれ。大学卒業後松下電工(株)に入社、 1983年姉の急死をきっかけに父親の経営する中ニ染工場に入社する。 現場に入って注染職人としての技術を習得しながら、シルクスクリーンなどの機械も導入して営業の幅を広げていく。 平成元年に中ニ染工場を株式会社ナカニと改名し法人化する。34歳で社長に就任するが、そこから僅か7年で先代が亡くなり、それ以降、自分の経営している会社をどのような方向に向けていくべきかを真剣に考えるようになる。 今のままでは注染という業界が亡くなってしまうのでは無いかと言う危機感から、50歳の時に「注染手ぬぐいにじゆら」というブランドを立ち上げ、大阪を皮切りに関西、関東に直営店を展開していく。 2021年に社長を3代目中尾弘基に譲り、会長職に就任。現在は体験染めなどを通して手ぬぐいの文化的発信や地域取り組みをおこなっている。
聞き手:増田 靖氏
株式会社ふくのこ
1972年堺市生まれ。2000年に社会福祉法人に入職。主に重症心身障害者事業所にて利用者の生活全般に関わる支援に従事。2008年に堺市南区役所と共に南区内の福祉事業所ネットワーク「ギャラリーみなみかぜ」やわらび餅専門店「福蔵」の設立に携わる。2015年1月より堺市役所内に食堂・カフェ「森のキッチン」店長に就任。河内長野市役所の食堂「On Kitchen」などの設立にも携わるなど多様な人々が集う交流の場をつくり、地域づくりを中心に人の輪づくりを広げてきた。2018年3月末に退職。2018年10月から「NPO法人ASUの会」理事長「まちかどステーション八百萬屋」管理者として高齢者のいきがいづくりの活動として農業の取り組みをしていたNPO法人ASUの会を受け継ぎ、障害者の就労の場として米づくり「ヤオヨロズヤ」をはじめ、高齢者がスタッフとして関わる仕組みに刷新。その後、2019年8月に設立した株式会社「ふくのこ」を設立。ふくのこは、未来の子どもたちのために「地域資源を未来につなげていく」ことを進めていくプロジェクトファーム。自然にも感謝し、それぞれがお互いを認め合い、幸せを分かち合いながら暮らしていける社会を目指して、商品開発や販路開拓から障がい者雇用の働く場づくりを中心に地域の活性化に取り組んでいる。
注染手ぬぐい『にじゆら』
大阪堺にある50年以上続く染色工場「ナカニ」が運営。「注染を後世に伝えていく」そんな想いから2008年に立ち上げた工場直営ブランドです。
注染とは、明治後期に大阪で生まれた浴衣や手ぬぐいの日本の伝統工芸に指定されている染色技法。注いで染める=注染が由来で、一度に50枚染色が可能です。
『にじゆら』は和柄ではないモダンで明るい柄が特徴。目の細かい肌触りも良い浴衣生地を使用しています。直営店も6店舗運営しています。(2022年5月現在)

自社製品だけでなく、コラボレーションも展開しています。 例えば「CRAFTED FOR LEXUS」の事例。海外で手ぬぐいといえば小紋柄のイメージが強く、連続したモチーフを車の部品で表現したデザイン。注染の特徴であるにじみを活かした色合いに仕上がっています。

コロナ禍での取り組み
直営店を運営していることもあり、コロナ禍で売り上げは激減。 そんな中、スタッフが公開したYouTube動画の再生回数が10万回を超える。マスクが一時品薄となった際に、端切れでできるマスクの作り方を紹介。思わぬ広告効果となりました。
このYouTube動画がきっかけで、オンラインのマスク販売をスタート。マスクを作る縫製工場はなかったため、始めは手作りから、スタッフ一同で乗り切りました。
SNS運営にも力を入れ、Instagramフォロワー1万人を突破しました。
職人がすべての工程を担う。責任を伴うことの大切さ
自身も日本の伝統工芸士の資格を持つ中尾氏。職人の在り方を常に考えてきました。 染色は委託産業がほとんどで、数をこなさないと売り上げに繋がらないため生産性を上げることが重要視されます。そのため、分業制になっているケースが多いのですが、流れ作業になりがちで、その中で充実感や達成感を得ることは難しいと言います。中尾氏はすべての工程をひとりの職人が担うようにしたいと思っていました。しかし、そうすると当然生産性が落ちるため、単価を上げる必要が出てきます。それでも、委託加工の仕事にしがみついたままでは従業員の給料を上げることができないと見切りをつけ、ものづくりへのプライドを持ってほしいという想いから、思い切って自社ブランドを立ち上げ、今までとは違った価値を生み出すことに挑戦します。
「こんな値段で売れるわけがない」「道楽だ」。ブランド立ち上げすぐは批判され、職人からも反対を受けました。立ち上げから約1年は、売上全体のうち、にじゆらの割合は6~7%ほど。ところが、メディアの取材が増えると社内の空気が変わり始めます。
「取材の際に、(今まで裏方だった)職人の顔をあえて出すようにしたことで、責任感が芽生え自信に繋がっていった」
中尾氏自身も、挑戦の中で多くの学びを得てきました。 あるテレビ番組の取材で、数あるブランドから「にじゆら」が選ばれたことが。有名なブランドに並んで、なぜ「にじゆら」を選んでもらえたのか担当者に尋ねると、「小さな町工場なのに予算をかけて撮影し、きちんとカタログを作っている。商品に対する想いを感じた」と言います。いろいろな視点で見られているという気づきがあり、それ以来想いを伝えるツールとしてカタログや広報物も力を入れているそうです。

職人の地位が変わった瞬間
中尾氏は幼い頃に父親の手が汚れているのを見て「なんで綺麗にせえへんねん」と思っていたと言います。「職人の手、父親の仕事を理解していなかった。染料まみれで汚くて臭いと言われていたものが、今では「かっこいい」と言われ、工場に来たいという人が増えた。テレビでは職人が取り上げられ、中学生が父親の職場に見学に来る。職人の地位は変わった」 それこそが目指していた職人の姿だと語ります。デザインから染めまでを自立して行う職人さんが出たことで、ブランド立ち上げの目標は達成できたと感じ、「次の世代に譲ってもいいなと思うようになった」のです。
こうして中尾氏は、2021年に社長を3代目中尾弘基氏に譲り、会長職に就任しました。そんな中尾会長ですが、「仕事はずっとしんどい」と語ります。

辛抱の先に見える景色もある
「お給料(の金額)は、その人の働きに見合ったものだと考えている。頑張らへんかったらたくさんはもらえないし、そこそこだったらお給料もそこそこ。頑張っているのにお給料が見合わないなら辞めて次にいけばいい。ただし、辛抱するということは大切」
姉の急死により家業を継ぐことになった中尾氏。経営者だからやめられなかったと振り返ります。
「時代にそぐわない考え方かもしれないけれど、我慢してきたから(今に)到達することができた。取材ではよく、「私は注染が嫌いです」と答える。苦しんで苦しんで、嫌いで仕方なかった。それでも続けてきたのは、必ずしも飯を食うためだけではない、と1年休んでようやくわかった。結局は好きということ」
これは我慢した先に見える大きな達成感を知ってほしい、という経験者からのメッセージ。今の子ども達に伝えたいことです。さらに、自分で考えて行動してほしい、と続けます。

会社にぶら下がるな。努力は自分に返ってくる
「私がブランドを立ち上げたのも、問屋さんにぶら下がって仕事を待っているだけなのが嫌だったから。エサを与えられるのをただ待っているようで、楽だけど結局苦痛で、幸せではない」
ブランド立ち上げは、会社としての自立であると同時に、職人一人ひとりの自立を促すことでもありました。
「コロナ禍で経営としての厳しさはあるが、自社製品があるから何とでもできる。委託だと厳しい状態に誰にも守ってもらえずスタッフを解雇しないといけなくなる」
「スタッフにも「会社にぶら下がるな」と言っている。勤めながらオリジナルブランドを立ち上げる職人も出てきており、いい意味で会社を利用している。そこには自由な働き方を理解する同僚や認める環境があるからこそ。経営者としては、いつ独立してもおかしくないと感じているし、独立させてあげるのが当然。力をつけて出ていくのだから仕方がないし、そうあってほしい」
父親の言葉で印象に残っているものを教えてくださいました。
「どうせ仕事をするなら、こいつは絶対辞めんといてほしい、会社にとって必要やからおってくれ、と言われる人間にならなあかん」
こうした思いがある人なら、もし会社に何かあっても、違う場所でまた活躍できると言います。その姿勢は最終的に自分に返ってくるのです。
取材を終えて…
伝統工芸という耳ざわりの良い言葉の裏にある、下請けならではの苦しい現状。それをバネにしながら「注染」の魅力を伝えたいという想いを叶え、ビジネスとしても成功させた中尾会長のストーリー。次世代へ伝えたい「生き抜く力」も教えていただけました。軽やかでカラフルな手ぬぐいに隠された秘話を知り、今や各所で目にする「にじゆら」の商品を見る目が感慨深いものになりそうです。

今も大切にされているというお話からも中尾氏のお人柄を感じます。
[取材] RE EDIT編集部 [構成] 佐本陽子、和佐阿佑美 [撮影] 福井小百合(絆Story写真館)
次回は「金の鳩ってなぁに?」
次回のゲストは、日本酒「金の鳩」をたくさんの人と共に生み出された増田さんをお迎えして、あれこれ伺いたいと思っています✨
詳しくは、近日公開!一緒に夜ご飯を食べながら、おしゃべりしませんか??お子様連れも大歓迎です👦👧