recordofcovid19

当noteの目的は、2020年に症状があるにも関わらず検査を受けられないなどとして、世の中から隠されてきた新型コロナ症状当事者たちひとりひとりの声を記録として残すことです。私たちの心の変化と、私たちを通して当時の社会の実態を伝え、より良い社会を作る一つの資料となれれば幸いです。

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当noteの目的は、2020年に症状があるにも関わらず検査を受けられないなどとして、世の中から隠されてきた新型コロナ症状当事者たちひとりひとりの声を記録として残すことです。私たちの心の変化と、私たちを通して当時の社会の実態を伝え、より良い社会を作る一つの資料となれれば幸いです。

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コロナ禍で存在を消された私たち 目次

『コロナ禍で存在を消された私たち』  〜 2020年 検査難民と偽陰性組 18人の記録と気づき 〜   著者:新型コロナ症状当事者研究会一同 目次 まえがき 第1章 はじめに   コロナ禍で私たちが生まれた背景と経緯   記録作成にあたって 第2章 各自の記録   2020年1月発症  ・「新型コロナウィルスに罹って」睦月   2020年2月発症  ・「目の前の現実」ゆめ  ・「健康だったはずなのに」カレー  ・「新型コロナ疑い・後遺症を経験して」つき  ・「検査難民となっ

    • 検査難民

      検査難民 発症月:2020年2月 ペンネーム:RIKU 居住地:関東 始まりは2020年2月16日。 朝起きた時、喉が痛く熱を計ったら37.4度。 4日経っても熱は下がらず、今まで体験した事がない倦怠感が増すのでこれはコロナかもと思い保健所に連絡。 しかし、海外渡航歴や流行地の方との接触がないとの事でPCR検査にはたどり着けず…。 主治医からも 「発熱があるなら受診出来ない」 と言われ、絶望的な気持ちになった。 そんな時ほとんど利用する事のなかったTwitterで検索

      • コロナ禍で存在を消された私たち 学生最後の年の悪夢

        検査難民 発症月:2020年5月 ペンネーム:かんきつ 居住地:関東 慌ただしい日々と始まり2020年の春、学生最後の年を迎えた私は研究に就職活動に慌ただしい日々を送っていた。といっても、感染対策として登校の制限や就職活動のオンライン化がされていたため、多くの時間を大学近くのアパートで過ごしていた。緊急事態宣言が発令されてからは、研究室での実験、週2回程度のスーパーでのアルバイト、買い物で外出するくらいであった。スーパーではレジ打ちや掃除などを担当しており、国内で感染が拡大

        • コロナ禍で存在を消された私たち 現場の医療の限界 〜海外の事例、代替療法を探して〜

          「コロナ前の出会った医師は、優しい医師が多かったので、とても衝撃的でした。」 これは記録者の一人が、2020年のことを改めて振り返り、会話の中で漏らした言葉である。 コロナ禍の前までは優しく診察してくれた医師が、「コロナではない」と軽くあしらったり、笑って見下してきたり、呆れられたり、キレられたり、患者がコロナ疑いとなった途端、医師の態度が急変してしまったことを私たちは目の当たりにしてきた。中には何年も通院し信頼していたかかりつけ医が、そうなってしまった記録者もいる。 海

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        マガジン

        • 2020年2月発症
          8本
        • 2020年5月発症
          1本
        • 2020年4月発症
          6本
        • 2020年1月発症
          1本
        • 2020年3月発症
          3本
        • 検査難民・偽陰性に関する資料一覧(順不同)
          1本

        記事

          コロナ禍で存在を消された私たち 届かない声

          私たちの声は、なぜ社会に届かなかったのか。 第1章で、私たちが生まれた経緯は既に述べたが、私たちは、新型コロナ症状があるにも関わらず、「PCR検査」や「感染証明」を得る機会を持つことが出来なかった。 多くの方がPCR検査に至らなかったのは、各自の記録の中にも多数の指摘があるように、2020年当時、日本ではPCR検査抑制が敷かれ、その検査基準に至るまでに ・濃厚接触者がいること ・海外渡航者であること ・武漢(湖北省)の人との接触があること というのが第一条件とされたためで

          コロナ禍で存在を消された私たち 届かない声

          コロナ禍で存在を消された私たち 生きた(新型コロナ感染疑い者)

          偽陰性組 発症月:2020年4月 ペンネーム:一吾 居住地:関東 ■1.序文真夏の夜のことだった。 熱帯夜のはずなのに、体は身震いがして寒かった。 自分は、誰もいない東屋にいて、そこにあるベンチに腰をかけるのではなく、ベンチの上に置いた踏み台の上に立っていた。 首には輪状にした縄をかけていた。 「これで楽になれる」 あとは、踏み台を蹴るだけだった。 目の前には、自分が通った小学校があった。 いろんな思い出が走馬灯のように蘇っていた。 これから、自分は死ぬんだ。 それ

          コロナ禍で存在を消された私たち 生きた(新型コロナ感染疑い者)

          コロナ禍で存在を消された私たち 絶望的体調不良の備忘録

          検査難民 発症月:2020年2月 ペンネーム:らいく 居住地:埼玉県 はじめに2020年2月前半。武漢肺炎の影響を受けつつ その疫病を対岸の火事として認識しながら 営業の仕事をしていた。 3月から関東へ単身赴任の辞令があり、 短期間で多くの得意先を回らなければいけない。 子供がまだ小さいので断ろうかと思ったが、 まあ3〜5年ほど離れても仕事しなきゃと思い、受諾した単身赴任。 それがいけなかったのだろうか。 そういえば、年始のおみくじで凶を引いた。 取り戻すべく別の神社で引

          コロナ禍で存在を消された私たち 絶望的体調不良の備忘録

          コロナ禍で存在を消された私たち 引用・参考文献

          ■第1章 はじめに □記録作成にあたって (1)石原孝二『当事者研究の研究』医学書院、2013年、p.4。 (2)上野千鶴子『ケアの社会学―当事者主権の福祉社会へ』、太田出版、2011年、p.80 (3)熊谷晋一郎『当事者研究 等身大の<わたし>の発見と回復』、岩波書店、2020年,p.27。 ■第3章 各自の記録から見えてきたこと □届かない声 (1)「事例2 たった一人の感染者が出ただけで 医療法人社団慈恵会 新須磨病院 理事長」『病院羅針盤 2020年6月1日・15日

          コロナ禍で存在を消された私たち 引用・参考文献

          コロナ禍で存在を消された私たち 繰り返される過去の事例

          日本において「不可視化」される現象は、特に災害時や公害等に、「被災者」「被害者」等という大きなカテゴリーに括られることで顕著に表れやすい。その事例として、東日本大震災の「区域外避難者」、公害である水俣病の「実態的水俣病患者」、広島被爆者の「未認定被爆者」の3つを挙げながら、私たちとの類似点について考えたい。 2011年に起こった東日本大震災を取材し続けている朝日新聞記者の青木美希氏は、東日本大震災後、政府が3年5ヶ月もの間「避難者」の定義を定めなかったことにより、実際には

          コロナ禍で存在を消された私たち 繰り返される過去の事例

          コロナ禍で存在を消された私たち 「まっくろくろすけ」の正体

          「正直な話、あなたをコロナだと思っている。でも行政にPCRを受けさせないように厳しく言われているから、こう言うしかなかった。血液検査、胸のレントゲンは検査するから、異常がなかったら、もうPCR検査は諦めてくれないか?」 これは2020年3月、記録者が医師から言われた言葉である。発症初期の私たちは検査基準や医師の判断でPCR検査を受けられるものだと思っていたが、多くの人が経験した「PCR検査を断られる」現象とは、一体何が原因だったのだろうか。第4章のメディア年表でも取り上げた

          コロナ禍で存在を消された私たち 「まっくろくろすけ」の正体

          コロナ禍で存在を消された私たち メディアの壁とTwitterで戦う私たちの軌跡

          「新型コロナに後遺症か」という一報が地方の新聞で取り上げられたのは、2020年7月頃だった。陽性となった若い学生の2人が、積極的に取材に応じてくれたことで日本でも少しずつ後遺症があることが認知され始めた。 ただ、メディアから流れる後遺症の情報は「陽性者」に限られていた。実際に2020年春には私たちの中には新聞記者などから取材を申し込まれて答えていたし、夏〜秋にかけては後遺症が話題になり始めたことで、結構な人数の検査難民や偽陰性組の仲間たちが様々なテレビ局から取材を受けた。しか

          コロナ禍で存在を消された私たち メディアの壁とTwitterで戦う私たちの軌跡

          コロナ禍で存在を消された私たち コロナ禍で新たに不可視化される存在、そして新たな波へ

          「新薬による治療の勝利はまだ来ない。 だが今さしそめている光明は、精神の癩であるレプラ・コンプレックスを、既に決定的に撃砕し始めている。我々病者も今は、ひろびろした世界的人間性と同じ地平の上に、自ら感じつつある」(*1) これは、ハンセン病(別名:レプラ、癩)患者で歌人の光岡良二の著書『レプラ・コンプレックス』(1948年刊行)の中の文章だ。ハンセン病を患った方たちが、憲法の「基本的人権」の概念を軸として、病いを患った劣等感から「人間」として自分たちが受けた「被害」を認識し

          コロナ禍で存在を消された私たち コロナ禍で新たに不可視化される存在、そして新たな波へ

          コロナ禍で存在を消された私たち あとがき

          「できれば、あなたたちに出会いたくなかった」 「出会えたことに感謝」 相反するものだが、これはどちらも、感染疑いとしてTwitterで出会った仲間のツイートである。どちらも本音であり、多くの感染疑いの人が感じていたことだろう。 誰もが好き好んでこの体調になったわけではないし、娯楽のためにTwitterをしているわけでもない。毎日生きるために必死に情報を集める一方、唯一理解し合える仲間のことを拠り所にしていた人もいただろう。 人によってはTwitterを見るのが辛くなりやめた

          コロナ禍で存在を消された私たち あとがき

          コロナ禍で存在を消された私たち コロナ禍で私たちが生まれた背景と経緯

          はじめに、私たちの社会的な立ち位置について確認しておきたい。 まえがきでも触れたが、私たちは、日本における新型コロナ報道の一報があった2019年末から、第一回目の緊急事態宣言終了の2020年5月までの間、つまり第0波から第1波において、新型コロナ症状を発症しているにも関わらずPCR検査を受けられない、もしくは偽陰性となった者の集まりである。「陽性」という肩書きのない私たちは、社会的にも心理的にも宙ぶらりんな状態に置かれ、まるで公に語る資格がないかのように社会から扱われてきた。

          コロナ禍で存在を消された私たち コロナ禍で私たちが生まれた背景と経緯

          コロナ禍で存在を消された私たち 記録作成にあたって

          ■当事者研究という考え方先に述べたように、私たちはコロナ禍において社会制度や構造からこぼれ落ちた存在であり、陽性者というラベリングのない私たちが、周囲に自らのことを話す時、困難が生じる。 それは陽性であれば、コロナに感染していたということを容易に一言で語れることに対し、私たちは感染したかもしれないという経緯、症状、闘病生活についてゼロから説明しなければならない。また語ったところで、それを信じてもらえるかどうかは、相手に委ねられる。医療にかかるときもその説明が必要とされるが、医

          コロナ禍で存在を消された私たち 記録作成にあたって

          コロナ禍で存在を消された私たち コロナ後遺症疑い、長期体調不良の日々

          検査難民 発症月:2020年4月 ペンネーム:なな 居住地:東京都 はじめに私は、もともと、一人暮らしのオタクでした。2020年4月に発症し、それからずっと微熱と倦怠感等が続きました。発症前は、オタク用アカウントでTwitterを使っていましたが、発症後、Twitter上で同じような微熱続きの方が多いと知り、情報収集、体調記録用で別アカウントを作りました。このnoteに記載した記録は、そのツイートしたものの中から一部を抜粋したものです。 2020年4月~症状:発熱、頭痛、

          コロナ禍で存在を消された私たち コロナ後遺症疑い、長期体調不良の日々