コロナ禍で存在を消された私たち コロナ禍で私たちが生まれた背景と経緯

はじめに、私たちの社会的な立ち位置について確認しておきたい。
まえがきでも触れたが、私たちは、日本における新型コロナ報道の一報があった2019年末から、第一回目の緊急事態宣言終了の2020年5月までの間、つまり第0波から第1波において、新型コロナ症状を発症しているにも関わらずPCR検査を受けられない、もしくは偽陰性となった者の集まりである。「陽性」という肩書きのない私たちは、社会的にも心理的にも宙ぶらりんな状態に置かれ、まるで公に語る資格がないかのように社会から扱われてきた。
私たちは新型コロナだと認めて欲しいということより、自身の体に起こる奇妙な症状を治したい、他にも苦しむ人が出ないように研究して欲しい、ただその一心であったが、自分たちの「声」が社会や周囲に届かないという場面に幾度となく出くわした。私たちが直面してきた問題と、私たちが社会から「不可視化された」存在として見なされた原因とは、一体何なのだろうか。
当時、私たちのような存在が生まれた社会的背景や経緯を述べておく。

2019年の終わりに武漢から広がったとされる新型コロナウィルス(病名:COVID-19、ウィルス名:SARS-CoV-2)の脅威は、2021年12月現在も世界中で様々な影響が続いている。テレビからは次々に出現する変異株のニュースが流れ、人々は感染対策をしながら生活し、未だに新型コロナ一色の世の中が続いている。
日本では2020年1月から2月にかけて豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号の船内で集団感染が起こり、テレビや新聞では連日の様にその情報を報道していた。多くの人がテレビに釘付けとなり、会う人との話題もクルーズ船や新型コロナの話ばかりしていたのではないだろうか。
それから毎日、メディアは新型コロナのニュースばかり流し、未知なウィルスで恐ろしいものであることを報道し続けた。
2020年4月には緊急事態宣言が施行されその対象が全国に広がるなど、国民は感染拡大を防止するために行動を制限されてきた。マスクの着用、入店時の手の消毒、イベントの中止、飲食店は夜8時までなど、密を避ける行動を強いられてきた。テレワークが推奨され働き方の見直し、それが難しい仕事では収入激減やリストラなど経済へのダメージは大きかった。学生は学校行事の中止、大学は入学が延期され友達と会えないなど生活への影響は大きく、多くの人がコロナを恐れ、その収束を願っていただろう。

しかし、日が経つに連れてメディアの恐怖を煽る報道とは裏腹に、身近では新型コロナに感染した人を実際に見聞きした人はほとんどいなかったのではないだろうか。
2020年6月に告示された東京都知事選挙では、「コロナはただの風邪」と掲げた候補者が登場した。確かに、メディアが毎日発表する新規感染者数は、偽陽性や無症状の人もいると指摘する者がいるように、実態の感染者数とは言い難いかもしれない。さらに国内外問わず新型コロナの特番やニュースにクライシスアクターと呼ばれる人が登場したと噂されるなど、メディアが報道する新型コロナ関連の内容に違和感を覚えた人もいただろう。
これらのことから、新型コロナはメディアが作った茶番劇なのではないか、嘘なのではないか、計画されたパンデミックなのではないか、苦しむ人はただの風邪やインフルエンザなのではないかなど、新型コロナに対して様々な憶測や情報が飛び交っているのも事実である。

果たして、その実態はどちらだろうか。
日本では海外とは比較にならないほどPCR検査を低く低く抑えていた。第5章に詳しく記載するが、当時の日本の検査数は、世界各国の100万人あたりの検査数の平均値の、1/10以下に抑えられていたというデータもある。
つまり、2020年4月〜5月の緊急事態宣言により、感染の抑え込みに成功し「日本モデル」を国が示したその裏では、PCR検査数を低く抑えたことで勝手に抑え込みに加担されてしまった人たちがいた。
この加担された人たちというのが、私たちのことである。私たちは、ただの風邪でもなく、インフルエンザとも明らかに異なり、経験したことのない症状を味わいながらも、保健所や医療機関からPCR検査を断られていた。
大手メディアが流す情報の多くは、毎日必要以上にコロナの恐ろしさを煽り続け「恐怖心」を人々に植え付けながらも、検査数はかなり低く抑えられ、政府発表の少ない感染者数をそのまま垂れ流すという、恐怖を煽りたいのに感染者数は少なくするという矛盾があった。かつ、メディアはコロナ症状の内容の偏りや、感染した場合の対処法など、詳しい情報を報道してこなかった。
新型コロナは怖いものなのか、そうでないのか、メディアが真実を流さない体質や国の隠蔽体質により様々な憶測が生まれ、どちらか一方に国民が分断され、国民同士が言い争う方がむしろ問題である。そのような二項対立的な枠組みではなく、どうか広い視点で、このコロナ禍の現実を見てほしい。

早い方は2019年の終わりから症状が続く人もいるように、特に2020年に入ってからは、日本でも新型コロナとしか思えない症状に苦しむ人たちがたくさんおり、その多くが陽性者にも感染者にも換算されず、人知れず生きてきた。自身のことを「新型コロナ疑い」「コロナ疑似」「検査難民」「長期不調組」「長期微熱組」等と表現し発信する人は、2020年、Twitterだけで少なくとも数千人は集まっていた。
確かに、世間から見れば私たちは少数派なのかもしれないし、健康な人から見れば「コロナはただの風邪」や「コロナ脳」などと言われてしまうのかもしれない。少数派の人たちのために、世間が自粛し経済に大打撃を与える方が問題であるという考えも納得できるし、過度な感染対策による健康被害も問題であるし、メディアの恐怖煽りと国の検査抑制のその裏には他の目的があるのかもしれない。
私たちが発症し長く苦しむ原因はコロナだけではないのかもしれないが、同時期から、皆経験したことのない異常な症状と戦ってきたことは事実である。周囲の人間や身内すら信じてくれなかったが、それでも、間違いなく私たちは、当時から存在している。

今でこそ、コロナ後遺症は200種類以上もの症状が確認され、軽症でも長期化するなどの研究が進んできている。
しかし、2020年当時は「未知のウィルス」とされ、症状も高熱と肺炎というイメージしかなく、長期化することも分かっていなかった。さらに、症状があっても国が定めた「4日間ルール」という縛りにより多くの人が適正な時期に検査を受けられなかったり、37.5度以上あっても検査対象は海外渡航歴や濃厚接触に限定され検査を断られたりなど、医療機関や保健所からまともに取り合ってもらえないという事態が発生していた。
またあの当時は、陽性者となればその地域の「第一号」と呼ばれ、その陽性者の噂は一気に街中に広まり、自殺に追い込まれたり、村八分のように引っ越しを余儀なくされるなど、私たちにかかる心理的負荷も大きかった。
感染疑いとして彷徨い歩いた私たちは、国、医療や保健所、メディア、そもそもこの社会に対して、疑問、違和感、不信感、問題点というのを、日々突きつけられることとなった。

2022年1月現在、新型コロナに関する本は増えてきている。2020年からの政府の新型コロナ政策を批評した本や風刺漫画をはじめ、新型コロナ感染闘病日記、コロナ禍を描いた日記やエッセイ、新型コロナ感染を題材にした小説まで出てきている。
しかし、そこに私たち「検査難民」「偽陰性組」の実態が記載されているものは、未だ存在しない。
私たちの身に降りかかった社会的問題も、このままでは個々の中で埋もれ、歴史化もされないまま、再度同じような過ちが繰り返されるのではないかと危惧している。私たちは、個人や社会の軌道修正を願い、18人による当時を振り返った個々の語りと社会史を交差させるかたちで記録集を作成することにした。新型コロナ症状当事者として当時の経験や実態を「物」として残すことで、社会の問題を提示し、より良い世の中を作り上げる資料となることが当noteの目的である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?