コロナ禍で存在を消された私たち 絶望的体調不良の備忘録

検査難民
発症月:2020年2月
ペンネーム:らいく
居住地:埼玉県

はじめに

2020年2月前半。武漢肺炎の影響を受けつつ
その疫病を対岸の火事として認識しながら
営業の仕事をしていた。
3月から関東へ単身赴任の辞令があり、
短期間で多くの得意先を回らなければいけない。
子供がまだ小さいので断ろうかと思ったが、
まあ3〜5年ほど離れても仕事しなきゃと思い、受諾した単身赴任。
それがいけなかったのだろうか。

そういえば、年始のおみくじで凶を引いた。
取り戻すべく別の神社で引いたおみくじも凶。
はじめての凶2連発。
「今年は運悪そうだな〜」
「それは単身赴任の命令だったんだ」
と一時期思ったこともあったが、今思えばそうじゃなかった。

2020年

〈2月後半〉
その日は引き継ぎで山陰方面へ。
高速バスで新大阪まで帰る。
外国人が隣でしゃべっている。
新大阪でご飯をすませたがそこでも外国人。
この疫病の話題が増えても
海外の人が多いなと思いながら
その日は帰宅。翌日から体調不良。
子供も吐いたりしたとのこと。
でも、この段階では、この感染症とはリンクして全く考えていない。 

〈3月〉
体調悪い中引越し。関東へ。
武漢肺炎のせいで洗濯機が来ず、
はじめの2週間、コインランドリー使用。
結構な距離離れており、洗濯物を持ち、
はじめての土地を歩いた。

今までにないくらいの倦怠感で
牛歩のようにもどかしく、歩けない。 
なぜ、こんなにしんどいのか。


その時の絶望感は今でも思い出す。

倦怠感、肺が痛い、尿が出ない。
はじめて感じる体の異変。
家に引きこもる。
はじめての土地で、かかりつけの病院なんて無い中、ネットで調べ病院へ行く。
X線や血液検査で問題なく、ただ体の異変とそれに伴う苦しみが継続していた。

その頃、YouTubeで武漢の映像を見る。
感染したらやばいやつと分かっている。
この倦怠感が「もしや」と頭をよぎると、
更に絶望感をつのらせる。

〈7月〉
脱毛がひどくなり、紅班の炎症が全身に広がった。霜焼け状の皮膚症状もある。
皮膚科に行く。
その他、様々な謎症状。
耳から血の塊が出た時はびびった。
もしかしたら夢かもしれない。そう思いたい。
でも、倦怠感が半端なかった。

七転八倒とはこのことかと思い、
症状に耐え検査可能な病院まで夜中歩いた。
初めて、CT及びPCRを受けた。
CT問題なし。
PCR陰性。
もう検出される期間を過ぎているとも思い、
抗体検査をはじめた病院へ行くも陰性。
しかし、体調不良は継続。

〈9月〉
嫁から「心療内科へ行け」と命令される。
なぜなら自死しようとしていたから。嫁に助けてもらった。
病んでいる中、家族とのテレビ電話のやりとりをする。

嫁の咳、子供の咳、血管の浮きを気にするしぐさ、子供の思考力が鈍っていることが気になっていた。

おそらく、単身赴任前に私が感染させたのではないかと。

今でもそう思っている。

「私より前途有望だった子供の未来を奪ってしまった」と嫁の前で泣いたことがあるが、
「どれだけ影響力あるのよ〜」と嫁に笑われた。

その頃、体調不良で仕事も出来なくなっていた。
運良く緊急事態宣言で顧客訪問はできず
何とか必死で事務処理をしていた。
思考をすること、文字を書くのが苦痛だった。今言われているブレインフォグという
症状だったのだろう。

すべてを悪い方向に結びつけて考えた。
上司の体調不良も私のせいだと思ったし、
得意先で同行していた人がコロナ感染で
仕事を辞めたのも義父が亡くなったのも私のせいだと思った。
今でもそう考えている。

感染性がいつまであるかも怪しいので
外食は全くせず、人とも極力会話をしなかった。
意図せざる加害者になりたくなかったから。
今でもそうだ。

心療内科で気分障害と診断。
3ヶ月の休職の診断書をもらう。
しかし、休んでも状態は変わらない。
仕事が原因では無いから。
上司に相談して仕事をした。
脳をだます薬は途中でやめた。

2021年7月~2022年1月現在

〈2021年7月〉
健康診断で肝臓の数値が人生で初めて悪化。
ウイルスが悪さしていると確信しているが
良く分からない。
人に迷惑をかけないよう、
でも、何もやる気がなく日々を過ごす。

〈2021年8月~2021年1月〉
おそらく営業として使い物にならないと
思われたのか辞令。単身赴任終了予定。

これが全て心因性であれば良いと思うが
皮膚症状も残り、体調不良が続き、神経症状、耳鳴りがする。心因性ではないと思う。
髪も薄くなり、白髪になった。
証拠は全く無い。
ひどい時よりかマシになり、何とか生きていけている状態だ。

悪夢のような年月。
これからも悪夢は続くと推定している。
治療は要らない。というか対処療法を淡々と
していく以外の道はない。
きっと、治らないと思っているから。

私の願いは、こんな謎の病いを抱えるんじゃなく、ある日、ポックリと逝きたい。
それまでは仕事をし、子供と遊び、笑いたい。
子供達には、感染させて申し訳ない。
のほほんと幸せだった過去へは戻れない。

ただ、今できることをしていこうと考えている。

最後に

現在の自国の対応には、疑問を抱いている。
なぜなら、感染拡大の防止を第一目的としていないからだ。
能力がありながら、検査体制を拡充せず、
現状を明らかにし、それに対して合理的な対策をとらず、隠蔽に走り、手に負えないと基準を変え、まだ負けていないとする。

まるで、第二次世界大戦時のようだ。
このような自国に絶望している。
苦しくても、早期からPCR検査等の拡充に力を入れてきた欧米の方が、現実を見ていてまだマシと考える。

このような文章は、まだ当事者なので書く気持ちになれなかった。だが、相反して今考えていることをまとめたいとも思い、現在の備忘録として書いてみた。

これは感染とは関係が無いかもしれない。
絶望的体調不良の備忘録となる。
避けうるならば皆さんに同じ思いをして欲しくはない。


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