コロナ禍で存在を消された私たち 届かない声
私たちの声は、なぜ社会に届かなかったのか。
第1章で、私たちが生まれた経緯は既に述べたが、私たちは、新型コロナ症状があるにも関わらず、「PCR検査」や「感染証明」を得る機会を持つことが出来なかった。
多くの方がPCR検査に至らなかったのは、各自の記録の中にも多数の指摘があるように、2020年当時、日本ではPCR検査抑制が敷かれ、その検査基準に至るまでに
・濃厚接触者がいること
・海外渡航者であること
・武漢(湖北省)の人との接触があること
というのが第一条件とされたためである。
しかし、私たちの仲間の中には家族にコロナ陽性者がおり、看病したことで同じ症状が始まり、濃厚接触者であるにも関わらず検査を断られ続けた人もいる。その仲間は症状悪化と他の家族にも発症者が広がったことで、ようやく3週間後にPCR検査を受けられたが陰性との結果であった。
また、上記に加え
・検査認定基準が37.5度以上であること
・呼吸器症状があること
などのしばりがあり、多くの人が検査対象から外れてきた。
しかし、39度や40度の熱が何日も続いても検査を受けられず、肺CTを希望するも断られレントゲン止まりである人が多いのが実態であった。海外では、レントゲンには写らないが肺CTを撮ると擦りガラス状に写ることが新型コロナの特徴として指摘されていた。(ダイヤモンド・プリンセス号の軽症者や無症状の方の肺CTを撮ったところ、かなりの人数から肺炎の痕跡が見つかったというニュースも流れた。)
私たちの仲間には当初レントゲンで異常がなくPCR検査を断られ医師からコロナではないとされるも、数ヶ月後に肺CTを撮ったところ、「肺炎の痕跡」が見つかった人や、「ウイルス性肺炎」と診断された仲間もいる。
先に記載したが、先に陽性となった家族は投薬治療を受けることができ症状が長期化していないが、その家族の濃厚接触者であるにも関わらず放置された仲間は、肺などが悪化し年単位での症状が続いている。
先駆けて陽性となった芸能人は、当時は「アビガン」や「血栓を溶かす薬」が投与されていた。陽性となりアビガンを処方された一般人の方は私たちより回復が早い傾向にある声もあり、仲間の中にも運良く初期に血栓の薬を処方され、早期に改善した人もいる。このように、初期投与による予後の違いは、大きいと感じている。
また、PCR検査も発症初期に受けなければ陽性と出る確率はどんどん下がり、検査を受けて陰性となっても(偽陰性)、陽性者と同じ症状が出ている人も多数いる。
仲間の中にはお子さん達が同じ症状が出てPCR検査をしたところ、一人は陽性となりホテル入院、一人は陰性となり自宅療養となった事例もある。インフルエンザの検査でも1日違いで陽性になったり陰性になったりするように、検査結果が絶対という当時の風潮にも疑問を持たざるを得なかった。
検査ありきの診断のため、どれだけ陽性者と同じ症状があったとしても、検査難民や陰性となった時点で、感染しているという証明が出来ず、治療を受けられないのが現実であった。
記録にもあるように、国の37.5度以上4日間ルールを守り、日数が経っても治らないどころか悪化を続けるために医療機関へ行くと
・風邪でしょう
・風をこじらせている
・心因性、気の持ちよう
・気のせい、気にしすぎ
・市中で感染するはずがない
・コロナではない
・こどもはコロナにかからない
・仮病です
などと検査もせずに容易にただの風邪や心因性と診断されてきた人がほぼ全員である。
当時のメディアは「新型肺炎」と報道し、コロナは「高熱」と「肺炎」というイメージばかりが世の中に伝わっていた。仲間のひとりが医師からどうやってコロナの情報を得ているかと質問したところ、「テレビから得ている」と言われたという証言もある。医師が高熱と肺炎というイメージしか流さないテレビの情報しか得ていないのが現状だったのならば、正しい診断ができない医師が多かったのも要因のひとつと考えられる。
日本と違い、海外では早期から高熱患者よりも微熱程度の患者の方が多いという研究も上がっていた。海外からの情報を得ようとしていた医師は、当時、日本にはほとんどいなかったのではないだろうか。
2020年3月末には陽性となった野球選手が「味覚障害」「嗅覚障害」を訴えたことで、日本では新型コロナの新たな症状としてメディアでも話題になった。私たちの多くも味覚、嗅覚に異常を感じ、中には嗅覚が全く無になる者、味覚は甘みだけ異様に強くなる者、何を食べても味のしないゴムのようになる者など、毎日の飲食のため苦しんだ仲間は多い。
・野球選手での実例があったから疑う人が多いが、嗅覚味覚障害でコロナ感染は多くない
記録者の中には医師に訴えてもこのように言われたという記述もある。日本では声が届かないが、海外での反応は異なる。欧州では2020年2月から味覚、嗅覚について「この症状が怪しい」という報道があり、2020年4月頭には英国BBCは「味覚や嗅覚の喪失は感染を判断するのに良い方法」と報道し、英国の研究チームでは「嗅覚や味覚の異常が新型コロナウイルスの感染を判断する重要な要素となる」と発表していた。
また、医師や看護師は風邪や心因性と診断しながらも私たちを感染者扱いし、
・仕事には行ってはいけない
・学校には行ってはいけない
・人混みを避けるように
と話す。診断結果と実際の対応に矛盾を感じた記録者は多い。かつ、当時は、病院ではコロナのコの字も発してはいけない雰囲気に持っていくという、異様な空気が流れていた。
2020年初頭は特に、分からないことを分からないと言える医師や、「検査対象ではないが念の為に隔離を」などと素直な対応ができる医師や看護師とは、ほとんど出会えなかった。
そのような医師の診断結果や、メディアの報道により、家族や周囲からは長引く症状に対して、
・気にしすぎ、心配しすぎ
・精神の問題
・自律神経の問題
・更年期では
・高熱じゃないからコロナじゃない
・肺炎じゃないからコロナじゃない
・医師が違うと言うからコロナじゃない
等と言われて扱われてきた。
私たちの症状は、微熱、倦怠感、味覚や嗅覚障害、下痢や腹痛、激痩せ、舌が白くなる、耳鳴り、頭痛、歯痛、不眠、入眠時に息が止まる、皮膚症状、呼吸苦、動悸、胸痛、背中痛、痺れ、脱力、筋肉痛や関節痛、筋肉の痙攣、体の大きな震え、指の霜焼けのような症状、血管が浮き出る、血管痛、内出血、黄疸、内臓の膨満感や痛み、脱毛や白髪増、ブレインフォグ、電磁波過敏、化学物質過敏、極度な疲労感による寝たきりなど、多岐にわたる奇妙な症状がコロコロと変わり長く続くものであり、目に見えて即座に悪化する症状でないことが、家族や周囲からの理解を阻めたとも考えられる。
上記を整理すると、私たちの記録から、患者目線で見た当時の医療従事者の「感染疑い」患者に対する扱いや反応について、ざっくりではあるが改めてパターン化が見える。
《医師のコロナ疑いへの対応》
①感染そのものを信じない
②心では疑いつつも否定する
③「何らかのウィルス」に感染とは認めつつも、新型コロナという直接的な明言は避ける
④コロナ感染疑いのカテゴリーには入れてくれるが検査はしない
コロナ疑いへの対応においては①②とする医師が圧倒的に多かったため、診断も「心因性」「自律神経失調」等とし、適切な治療が施されているのかという医療への疑心暗鬼を招いた。
医療従事者の立場から考えれば、当時は感染者が出ると病院が閉鎖される等の恐れもあり、実際に何週間も閉鎖された後、その病院に患者が来なくなってしまった事例もある。疑いのある患者を、コロナ感染者と認めると医療者自身の環境に影響が出るのを避けるためもあったと推測される。(*1)
医療側も、感染急性期症状や後遺症について公のエビデンスが出揃ってないことから、その診断に至らなかったという理由もあっただろう。当時の医療現場において、政府からどれだけ正しい情報が周知なされていたかは分からないが、そのような中、最前線としてコロナ病棟で勤務され陽性者の対応をされたや、私たちに優しく寄り添って下さった数少ない医療従事者の方には心より感謝している。各自の記録にも多く書かれているように、ずっと否定され続けた私たちが、初めて寄り添ってくれるその優しい一言に、どれだけ救われたことか。
私たちは、国の4日間ルールを真面目に守り、発症から何週間も経ってやっと初めて医療にかかった人も多い。感染初期に医療機関に受診すると迷惑になるだろうと考え、自ら受診を控えた者もいる。またあの当時、一人陽性者が出るとメディアはその人の情報を詳しく追うなど、感染者に対する世間の目も厳しかったため、自身の疑い症状を周囲に言えず、Twitterの情報のみで療養した者も多い。親にも、離れて暮らす身内にも、自身の体のことを隠してひっそりと療養していた仲間は実際に多かった。
陽性者も上記のように社会的影響や大変な苦労があったと思うが、陽性となった者には、陽性期間ならば入院医療費やホテル療養費が無料になることや、後遺症外来も陽性者に限られる等の標榜を掲げる医療機関に受診できるという利点はあった。後遺症に対する世間の理解は進まないながらも、少なくとも周囲から「感染者」と認識されながら、その後の治療に臨めることなどを考えると、結果的に「証明」があるかないかで、その後に辿れる社会のルートは異なる。記録者の中にも新型コロナ感染疑いによる後遺症と診断されるまでに約8か月かかった者、「医療の糸がここで切られる」恐怖を感じた者、「取り残された」感覚に陥った等という記述があったが、何度、心が折れそうになったかは数えきれない。
日本おいてコロナ後遺症の認知は低く、陽性証明のない私たちにとって、医師への長期化する症状についての説明はさらに困難が生じた。後遺症に対する医師の認識を下記に記す。
《後遺症に対する認識》
①感染もない為、後遺症そのものを否定。心因性と診断。
②長く続くという後遺症の認知のなさから否定。心因性と診断。
③コロナとは切り離しつつも、対処療法としての薬を処方(漢方薬、解熱剤、鎮痛剤、胃腸薬、精神安定剤、睡眠薬など)
これらの医師の対応は長い闘病生活において、個々の経済面に与えた影響は大きい。およそ納得できる診断名ではない「うつ病」や「適応障害」の扱いのまま、退職せざるを得なかった記録者、休職に追い込まれた記録者、非正規という身分から休職制度がないも同然、もしくは利用のそのものへの罪悪感、利用することで今後の雇用が継続されるのか等の不安もあり、無理やり働き続け悪化した記録者もいる。ヒラハタクリニックの平畑医師のデータによると、後遺症疑いを含む患者で受診した1475人中のうち、588人が休職に追い込まれ、78人が失職している。(*2)また、記録者の子供には、学校を長期休まざるを得ないほど症状が悪化した者もいる。
記録者の記述にもあるが、発症から半年〜1年以上経ってから、肝臓の数値や腎臓の数値が悪化するという声も多く上がっている。会社の健康診断を受け、今までは正常だったにも関わらず初めてD判定やE判定という結果に驚いたという声もあるし、中には肝硬変まで悪化した仲間もいる。新型コロナは血栓など血液に影響を及ぼすという研究もあるように、解毒機能のある肝臓や腎臓に負担がかかり続けたことによる影響なのだろうか。素人ながらこれも後遺症としてのひとつの傾向と推測できるが、「2020年からの長期にわたる不調が影響しているのでは」と医師に伝えてもその声は届かない。ちなみに、肝硬変と診断されたある仲間は、食事療法で肝臓を治した。西洋医学以外の療法については、次項に記す。
私たちは日々、以下のような自問をしていた。医療人類学者のヘルマンによる自問を参考にする。(*3)
1.何が起こったのか:ここには、症状を認識できるパターンに落とし込みそれに名前を与えることが含まれる。
2.なぜそれが起こったのか:ここでは、病因論やその状態になった原因が説明される。
3.それがなぜ自分に起こったのか:これは患者の行動、パーソナリティといった患者の個人的な部分と病いを結びつけようとする質問である。
4.なぜ今なのか:これは、急性か慢性かといった病いの発症の仕方、またそのタイミングに関係する。
5.もし何もしなかったら自分はどうなるのか:これはどう病気が進行していくか、その結果、予後や危険についてである。
6.もし何もしなかったら家族や友人など他の人たちにどんな影響があるか:これは、収入や仕事がなくなることや家族関係の緊張を含む。
7.自分はどうすべきか:または誰に助けを求めるべきか。自己治療や、友人、家族に相談する、医師にかかるなど、その症状を治療する戦略を含む。
この自問によると、1番目から4番目の自問については、記録者によりその症状や感染したと思われる状況は各々異なるものの、皆が同様に今までに経験したことのない「異常な体感」から「新型コロナ」であると確信していた。
5番目の「もし、何もしなかったら自分はどうなるのか」は、病状の重い者は特に急性期は死と隣り合わせの日々であり、死を覚悟した記録者、実際に遺書を書いた仲間は何人もいる。何週間、何ヶ月経っても症状が続くことから自宅療養の限界を感じ、保健所や医療機関へ訴えるも声が届かず、長期化する症状に対して「この病態が今後どうなるのか」「どう病気が進行していくのか」と不安を抱えながら治す為の情報を自ら探すこととなった。それにより、自然と6番目の家族や職場など周囲に与える今後の影響の可能性を考えるのは必然であった。
そして、7番目「自分は、どうすべきか」は、まえがきにも記述したが、各自情報交換しながら「人体実験」を繰り返し、少しでも症状が和らぐ方法を探して実践してきた。医療にかかれた者は処方された薬を飲んでも改善しなかったり、飲んだら悪化したりなど、処方された薬や漢方薬を飲むべきか飲まないべきか悩む仲間も多かった。現場の医師に個々の声が届かないのならば、方法を変えるしかない。第4章に詳しく記載するが、私たちは団結し、ある教授に私たち複数人の症状データを提出したり、Twitterデモを行ったりと、塊となって行動へ移してきた。
医師に声が届かなかった理由が、何かほかの意図が働いていたにしろ(詳しくは第5章で取り上げる)、医師の表向きの「見立て」や「診断」による患者の社会的影響は大きいのは確かだった。それが、自分の体感と異なる診断だとすれば、その違和感は尚更である。
『診断の社会学』の著者である野島那津子氏は、
「診断は、たんに医学上の分類およびその応用であるとか、科学に基づいた「客観的」な判断であるとか、医師と患者にのみ意味のある出来事などと言うことはできない。診断は、個人、集団、社会、文化、政治、制度(法)などさまざまな領域に現れ、領域間を媒介し、その意味や影響は文脈依存的である」(*4)
と述べている。
医師が意図的、意図的ではないにしろ、「コロナではない」「後遺症はない」と容易に診断していた事によって、本当はコロナに感染していた、もしくは後遺症だったにも関わらずその診断を信じた患者が少なからずいたとしたら、他の誰かにうつしていた、もしくはうつされて亡くなった可能性もゼロだとは否定できないであろうし、「後遺症」を認めてもらえず孤独に陥り自ら命を落とした者もいる(*5)ことから、間接的にではあるが、「命に関わる」診断をしてしまった医師がいたのではないだろうか。当時の状況からは仕方なかったにしろ、「誰が感染者か分からない状況」を、国民が初めて接する「医療現場」が感染者を作り出ていた役割を果たしていた可能性も否めないのである。
2022年1月現在、日本でも後遺症外来が設立され始めてきたが、対象者は陽性者に限るとする医療機関ばかりである。ただ、このような活動を続けることで、後遺症としてPCR検査の有無ではなく症状でコロナ後遺症として診てくれる医師が現れるなど、世間の認知、当時の社会の問題点の提起はなされていないままではあるが、小さな光が見え始めているのも、また事実である。