コロナ禍で存在を消された私たち 「まっくろくろすけ」の正体

「正直な話、あなたをコロナだと思っている。でも行政にPCRを受けさせないように厳しく言われているから、こう言うしかなかった。血液検査、胸のレントゲンは検査するから、異常がなかったら、もうPCR検査は諦めてくれないか?」

これは2020年3月、記録者が医師から言われた言葉である。発症初期の私たちは検査基準や医師の判断でPCR検査を受けられるものだと思っていたが、多くの人が経験した「PCR検査を断られる」現象とは、一体何が原因だったのだろうか。第4章のメディア年表でも取り上げたA社B社の新聞社説に書かれていた、「感染者数を抑えられたのは国民の自発的協力によるもの」だという報道にも納得できない。

2020年初頭、世界各国ではPCR検査数をどんどん増やすことで新型コロナを抑え込もうとする動きをする中、日本では国や専門家の見解により真逆の対策が取られていた。日本独自の「PCR検査抑制」である。

国が定めたPCR検査基準は、「海外渡航歴があること」「濃厚接触者がいること」「武漢(湖北省)の人との接触があること」さらに「37.5度以上」「呼吸器症状があること」という厳しい条件が決められ、各自の記録や第3章に書いたようにこれらの条件をクリアしていてもなお、検査を断られてきた人も多い。記録者の記録にもあるように、突然元気だった家族を失った、Twitterにも大切な身内を失った仲間は何人もいるが、検査を受けられず死因が新型コロナだったのかどうかも、未だに分からないままである。

「検査の目安は37.5度以上が4日間続く場合とする」

これはいわゆる、国が2020年初頭に定めた4日間ルールである。国が基本は自宅療養を掲げたことで、真面目な国民はこのルールを守り、体調がおかしいと感じても簡単に医療にはかからずに自ら自宅で療養することを選んだ。発症しつつも初期から自宅療養を選択したお笑いタレントの志村けんさんが2020年3月、新型コロナにより命を落としたのだ。自宅療養を続けた30代の方が亡くなったという情報も流れ、初期対応がどれだけ大切か、自宅療養の私たちも突然倒れたりなど急な悪化を経験したことで、このルールに無理があったことを痛いほど感じてきた。

2020年2月17日の会見で、加藤厚労大臣は「2月18日から1日3830件のPCR検査が可能」(*1)と発表したが、厚生労働省のPCR検査実施人数オープンデータ(*2)によると、2月4日〜17日において1日の件数は4〜113件、会見後の2月18日〜29日で見ても9〜178件という数値だ。
当時、韓国では2月7日に「民間での検査を解禁したこと」によりPCR検査可能数を大幅に増やし1日7500件可能とし、3月末には1日13000件可能にすると話していた。
このように、日本とは対象的に海外での検査数は多く、例えばアメリカや韓国では2020年早期から1日数千〜数万単位でのPCR検査が行われていた。海外では毎日のPCR検査を積み重ね、2020年4月上旬には、韓国の検査数は累計50万件を超えたが、日本はまだ6万件に達したばかりであった。日本では海外とは比較にならないほどPCR検査数をかなり低く抑えたことで、日本の検査数は、世界各国の100万人あたりの検査数の平均値の、1/10以下に抑えられているデータもある。(*3)

2020年4月、アメリカ大使館がウェブサイトに掲載した注意情報は、

「日本政府が検査を広範には実施しないと決めたことで、罹患した人の割合を正確に把握するのが困難になっている」
「今後感染が急速に拡大すれば、日本の医療保健システムがどのように機能するのか、予測するのは難しい」

と指摘し、持病を持つ人がこれまでのような日本の医療サービスを受けられなくなる恐れがあると警告した(*4)。このように海外からは日本の対策について疑問、警戒の声が早くから上がっていたように、日本でも既に市中感染が広がっていたと見られる。

さらに、東京都では重傷者の基準をより厳しくし、国の基準と比較すると実態より随分と低い数値に抑えられている。
新型コロナの重傷者の基準は、国では「集中治療室(ICU)」「人工呼吸器装着」「人工心肺ECMO使用」の3つのどれかを満たすこととしている。その国の基準に対し、東京都では重傷者の基準から「集中治療室(ICU)」の条件を削除した。つまり、実際の重傷者数からICUの患者を省くという、ここでも真の重傷者を隠す、そんな都の独自の基準を作ったのだ。

「このウィルスのイメージは、『まっくろくろすけ』なんです」

2020年2月、専門家会議メンバーの押谷仁氏は、新型コロナウィルスのことを「となりのトトロ」に出てくる「まっくろくろすけ」になぞらえて、そう語ったという。(*5)「(まっくろくろすけは)叩こうとすると反撃してくる。ある程度受け入れるとそこまでひどいこともしない」とし、2020年4月インタビュー当時の認識でも未だ、クラスターさえ起きなければ感染が広がらず、さらに多くの症例が軽症例で、もしくは症状のない人だということを考えると、すべての感染者を見つけなくても、多くの感染連鎖は自然に消滅していくという見方だった(*6)

当初の見方とは裏腹に、新型コロナは世界規模で感染者が増え続け、日本では水際対策の出遅れもあり、2022年1月現在でも第6派と感染拡大の波が続いている。最近では、軽症であったとしても後遺症に1年以上苦しめられているという感染した記者の体験を綴った記事(*7)も出てきたように、軽症者とされ自宅放置されてきた私たちの多くも、長引く様々な症状を抱えながら生きてきた。
このように、押谷氏インタビュー記事以前の2020年1月~3月の時点で、私たちの記録から既に2週間以上症状が続いていることが分かるように、当時の専門家会議によるこのような無症状、軽症者を軽視した見解や発言は、専門家会議の中の何も裏付けもない判断に過ぎなかった。海外では早期から罹患者の病状を集め分析しメディアからその情報が流れていたが、日本の専門家の人たちはどこまで実際の罹患者と向き合えていたのだろうか。

押谷氏が発言した「まっくろくろすけ」とは、果たして、新型コロナウィルスのことだけを指しているのだろうか。
2020年3月の専門家会議の見解のうち、北海道知事からの要請を加味し、「無症状の人からも感染する」との情報を政府は国民が「パニックになる」との理由で削除を求めた。(*8)また、「1年以上の長期戦」の文書を政府の意向で削られたのである。

尾身氏は、河合香織氏の取材による『分水嶺ードキュメントコロナ対策専門会議ー』の本の中で、「サイエンスというのは失敗が前提。新しい知見が出てくれば、前のものは間違っていたということになる。さらに公衆衛生はエビデンスが出揃う前に経験や直感、論理で動かざるを得ない部分がある」と語っている。つまり、自身や医療の現場においても、医師に「直感」も必要だと認識していたはずであるし、エビデンスも常に更新されていくものだという考えだった。確かに、最終的な政治決断は政府であり専門家会議ではないとはいえ、「科学者」として専門家会議に参加している意味は何だったのだろうか。無症状削除に伴う『リスク』説明もどこまでなされていたのか疑問が残る。
更に、当時の検査基準を満たない検査難民の存在について、医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏は、スーパー・スプレッダー理論が陥っていた矛盾を指摘しながら、下記のように言及している。(*9)

「前月(2020年1月)無症状感染者が多数存在することが分かっていたわけですから、「スーパー・スプレッダー理論」は論理的にあまり有効とは言えない。少数のスーパー・スプレッダーよりも、隠れた無症状者がウイルスを広げていたと考える方が論理的だったと思います」

記録者の中にも医師から「(大阪の)ライブハウスには行ってないでしょ?なら、コロナのはずはない」とされてしまったように、つまり、感染源がスーパー・スプレッダーであるという誤ったイメージを作り上げたことによって、私たちの「感染」がより見えなくされてしまったのである。

冒頭に記載したように日本はPCR検査抑制に翻弄して多くのコロナ症状で苦しむ方の存在をまっくろにし、都は重傷者をまっくろにし、様々な文言を「パニックになる」という理由でまっくろにしてきた。
私たちは厚生労働省が募集している「国民の皆様の声」(*10)や「首相官邸のご意見募集」(*11)など、国宛に個別に意見を送ったがそれらを公表せずまっくろにし、当初の国が定めたPCR検査基準の37.5度という記載は「国民の勘違い」として隠し、検査ができない声や、亡くなられた方の情報を隠してきた。 

こうして最新の「真」のエビデンスは隠され、私たちは、国が都合よく定める「公」のエビデンスでしか判断することが出来ない。同書では、尾身氏が専門家会議のメンバーに「エリートパニック」*に陥ってないかと確認する場面があったという記述があるが、つまり、このエリートパニックによって、「公」のエビデンスが生み出され、実際のエビデンスとの間の誤差ができた。その誤差によって生まれたのが私たちであった。私たちは、エリートパニックに巻き込まれたに過ぎなかった。
この世を跋扈していたのは、新型コロナウィルスではなく、国だったのではないだろうか。

分水嶺とは、雨が山脈の嶺を境に、太平洋に流れる水と日本海側に流れる水とに分かれるその分け目になる嶺をいう。分水嶺を陽性者か陰性者か分ける分岐点である『PCR検査』や『新型コロナ感染、後遺症の診断』として例えるならば、私たちの多くは、どちらにも行けないまま未だにその嶺を彷徨っているままということになる。山脈の分水嶺に水がこのまま溜まったまま増え続けるとどうなるか、何も言わずともすぐにお分かり頂けるだろう。

結局のところ、まっくろくろすけだったのは、国だった。国のまっくろくろすけ体質は、何もコロナ禍から始まった訳ではない。この体質は、近年の事例を上げると「桜を見る会の名簿」や「森友問題の関連文書」もまっくろにしたのは、記憶に新しいだろう。3.11からその体質に違和感を持つ国民も多い。政府の矛盾するコロナ政策については既に多くの書籍が出ているので、言及はこのあたりで留めておきたい。しかしながら、私たちと同じようにまっくろくろに不可視化されてきた事例は、過去から現在にかけて残念ながら何度も繰り返されている。次の項目では、その過去の事例について触れていきたい。

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