サイコロを振る前に何の目を出すか宣言するやつ、構造的には『100日後に死ぬワニ』と同じな話
電車に揺られている。ぼくはアンチ「マス」みたいなフシがあるので、マイノリティであることがかっこいいと思っている。そのほうが、自分で選択した人生を生きている気がするからだ。
電車に揺られている。みんながやっていることの「リーダー」になるならよいとしても、「フォロワー」として流れに乗ることはかっこよくないのだ。ぼくは小さなインフルエンサーでいたい。ちいさなちいさなインフルエンサーで。そう願っている。
電車に揺られている。みんなスマホを見ている。でも、僕はスマホを見ない。かといって本も読まない。なぜなら「マス」はかっこ悪いからだ。
電車に揺られている。じゃあ、何をする?決まっているじゃないか。『電車の扉上にあるモニターの映像をただひたすら見る』のさ。
どうだい?かっこいいだろ?君らとは感性が違うからね。
さて、そんな映像にだ、最近キンプリのみんなが出ているんだな。マリオパーティーのCMなんだけどね。そんであのかわいい男の子たちが無邪気にはしゃいでいるんだな。さわやかでかっこよくてかわいくて、いいよねぇ。いいCMだよ。
で、その中に出てくるわけだ。
「絶対に7以上出す!絶対に7以上出す!」と言って、結局4が出る問題のシーン。
あれってほかのメンバーも非常にきゃぴきゃぴワイワイしてるんだけど、実際ぼくの記憶を思い返してもたしかにそういう経験てあったなーってね。なんだかわからないけどその時はすごく楽しいことだったんだよなぁってね。
でも、何が楽しかったんだろう?言ったことと起きたことが違うだけなのに…。あの時のぼくは、何が面白くて笑っていたのかな?って考えてみた。
その結果、たどり着いたんだ。
これって、『100日後に死ぬワニ』だ!!
『100日後に死ぬワニ』は、正直何も面白くない。ワニのとくに何も起きない平凡な日常が書き綴られているだけだ。
古典的な4コマの世界観では「起承転結」がコマの役割で、「起」が思わぬカタチで「結」するところに面白さがある。でも、ないんだ。『100日後に死ぬワニ』にはそれがない。
100通りの「起承転」が与えられていて、その100個どれもが「死ぬ」という「結」に向かう。そういう作品である。だから一概に「4コマ漫画」というくくりにはできないだろう。特殊な装置である。その装置を発明してしまった。
この装置さらに何がすごいかというと、読者(神の視点)はワニが『100日後に死ぬ』と分かっているのに、だんだんと自分の持つ神の視点それ自体を疑い始めてしまうところではないだろうか。
あまりにのんきで平凡な日々が続けて綴られることで、「このワニ、本当に死ぬのだろうか?」「タイトルに騙されているのではないか?」「あの日のあのシーンがこういう意味を持つのではないか」などなど。
そして読者が「自分は神ではない」と悟り始めたころ、神の描いた台本通りワニは死んでいく…。
これってすごいことだ。「これ」が何を示すかは各々で感じ取ってほしいが、革命的な芸術作品だとは思う。
ふぅ。
つまり、キンプリの一件も、あのころの僕たちの意味の分からない楽しさも、そういうところなんじゃないかな。まったく同じではないが、似た構造を持っていると思うんだ。
いやいや、全く違いそうだね。
知らんけど。
みんないっぱい笑おうね。
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