【本】『子どもたちに民主主義を教えよう』を読んで、我が家の「お昼ごはんの場所を決めよう!」をやってみました。
こんにちは。しぃーペと申します。
突然ですが、今日は、民主主義について考えたいと思います。
といいましても、堅苦しいものではなく、家族でできる事が書かれていますので、どうか、肩の力を抜いて読んでいただけましたら、幸いです。
◆きっかけ
ある日のお昼ご飯のお店を決める際の出来事です。
それは、埼玉のとある場所に行って、その帰りの車中で、土日にいつも繰り返される「今日のお昼ごはん、どこ行く?」の質問から始まりました。
夫が一つの提案を出してくれました「バーミヤンは、どうかな?」
すると、後部座席に座っていた2人の娘も「いいよ!」と言いました。
ただ、私だけが、「バーミヤンか・・・嫌だな~でも、3対1だもんね。私1人だし負けたわ~」と言いました。
すると、長女(小3)が、間髪入れずに
「多数決の場合だとね。お母さん、理由は?」
と聞いてくれたのです!
私は、この言葉が、とてつもなく嬉しかったのです。
なぜなら、多数決で決められることの多かった学校や社会生活で、私は無意識に、少数派の意見は聞いてもらえないと勝手に思い込んでいたからです。
そんな固定観念にとらわれた私にとって、娘が、そのことを覆してくれる一言をくれたことに、とても喜びを感じました。
ただ、その質問が来ることを、全く予測していなかった私は、「気分的に・・・」という、なんともあいまいな回答。
その自分の発言の弱さを隠したくて、慌てて、他のお店の提案をしてみました。
そうして、発したのは「モスバーガーは?」と、全く異なるジャンルの提案です。
すると、今度は、「2:2(親:子)」で、親は賛成で、子が反対でした。
すぐに、私は娘に聞きました「理由は?」
すると、娘は、「そこに行くと、いつも同じホットドッグとポテトを選んでしまうし、ポテトなら、バーミヤンにもあるし。」と、納得いく理由を話してくれました。
いや~娘すごい!
少数派の意見を聞いてくれる柔軟さと反対理由をきちんと言葉で説明できることに、尊敬の念を抱きました。
それと同時に、この柔軟な考えを大事にしてもらいたいな~と思い、そのためには、私自身の固定観念を払拭しなければという気持ちになりました。
そして、単細胞の私は「多数決とは?少数派とは?」→「民主主義??」という考えが浮かんだのです。
そこで、素人の私でも民主主義について分かり、あわよくば、家庭でも実践できるようなものがあったらいいなという考えから、検索して出会ったのが、こちらの本です。↓
現在、横浜創英中学・高等学校の校長先生をしている工藤先生と哲学者・教育学者である苫野さんとの対話によって、「民主主義とは?」を考える事ができる本です。
◆著者紹介
工藤勇一さんとは・・・
(以後、工藤先生と表記します)
麹町中学校校長の時に、固定担任制の廃止、宿題・定期テストの廃止などを実現された方です。
今まで、常識だと思われていた身の回りのルールや仕組みを疑い、本当にそれが、目の前にいる子どものためになっているのか?何のためにやるのか?を大人も子どもも考えられる環境を作り、子どもたちの自ら考え・判断・決定・行動する資質を最大限に引き出し、自律を身に付ける場として学校を捉えている方です。
本の中では、「誰一人置き去りにしない社会を実現する」を最上位目標に置いて、誰かが決めてくれるという受け身な姿勢ではなく、当事者意識を持って、皆が参加することを教育現場で実践された話が書かれていました。
苫野一徳さんとは・・・
哲学者・教育学者として、豊富な知識を背景に「公教育の目的は、人が自由に生きるためには、他者の自由も認めなければならないという『自由の相互承認』の感度をはぐくむこと」を主張し、教育を考える礎と考えている方です。
今回の本の中では、哲学的思想から、工藤先生の実践された内容を哲学的に表すとどういうことなのかが書かれていました。
素人の私でも、とても分かりやすく、学校現場に限らず、自分の身近な所からできる事が書かれていると思いました。
◆民主主義とは
一般的な民主主義とは・・・?
議会制民主主義・多数決・人権擁護・弱者保護・自治など、たくさんのワードが出てきて、私には理解が難しかったです。
私の考えていた民主主義
私は、皆の意見を聞く事。でも、最終的には、多数派の意見が採用されるというような考えを持っていました。
工藤先生の考える「民主主義」
皆が当事者となり、対話を通して、「誰一人置き去りにしない社会」を目指すというもの。
例えば、ある出来事について、A案とB案で、意見が、「8:2」に分かれたとします。
通常、多数決だとA案が採用されますよね?
では、B案を選んでいた人の思いはどうなりますか?
そこで出てくるのが、工藤先生の考える「誰一人置き去りにしない社会」と「みんなが”OK”と言える【最上位目標の設定】」が大事となってきます。
【最上位目標】とは何か?
それは、皆がOKと言える目標の設定の事です。
考えるべき視点は、これを実現させると不利益を被る人がいないか?
です。
この考えに何度も返りながら、皆が当事者意識を持って、話し合いを進める事によって、A案でもB案でもなく、みんなにとってよりよく納得のいくC案(A’案やB’案かもしれない)を出そうという考えです。
そうすると、「相手を打ち負かしてでも人数を獲得してやるぞ!」という多数決で、解決しようという考えに執着しなくなることができると私は思いました。
◆お昼ごはんの場所を決めよう!
突然ですが、工藤先生の「誰一人置き去りにしない社会(家庭)」の考えをもとに、我が家のお昼ご飯のお店選びをもとに考えてみようと思います。
◆議題:今日の、お昼ごはんのお店、どこがいい?
A案「近くのお店ならどこでもいい!」=3(夫・私・長女)
B案「魚べいがいい!」=1(次女)
A:B=3:1と意見が分かれました。
ちなみに、魚ベいとは・・・我が家のお気に入りのお寿司のお店です。↓
まず、お互いの意見を出し合う
3人側(A案):3人とも、待ち時間が短く、すぐに食べられるお店で、食事のジャンルのこだわりはないということ。
1人側(B案):待つことは苦痛ではない。でも、すぐに食べられても大丈夫。ただ、食べ物は、お寿司が食べたい。
このことから、今回の【最上位目標】は「すぐに食べられるお店で、お寿司が食べられる場所」という事にしてみました。
もし、近くのお店にしたらどうか?
3人側(A案):OK
1人側(B案):食べられるものが限られる。お寿司が食べたいという気持ちは満たされない。
移動しながら考える(車中にて外を見る)
3人側(A案):近くのお店は、待ちそう。駐車場も入れられなさそう。入りたいお店が、道路の反対側にある。
もし、魚べいにしたら・・・
3人側(A案):車で、20分かかる。でも、じっと待つ20分よりは動いて過ぎる20分の方がいい。
1人側(B案):待ち時間は、気にならない。ネットで予約もできるよ!
車中で、私は、待ち時間をチェックし、今いる場所からの距離と時間を考えたところ、ちょうど到着時間くらいに食べられることが分かり、待ち時間はほとんどないことが分かりました。
結果
B'案:待ち時間少なく済む「魚べいに行く!」に決定しました。
今回の場合、A案でもB案でもないC案ではなく、B’案で、皆の合意が得られ、誰一人不満の出ない答えになったように思います。
このように、工藤先生の考える「誰一人置き去りにしない社会(家庭)」をもとにして話し合いを進めたところ、皆が当事者として考える事ができ、だれも不利益を被らない結論に至る事ができたように思います。
この経験から、私は、今後、もし、意見が割れた時には、「誰一人置き去りにしない(不利益を被る人がいない)」の考えを持って、話し合いを進めていけたらいいなと思いました。
ちなみに、多数決を使ってもいい条件があります。
それは、「A案でもB案でも、誰の利益も損ねない時」です。
そして、我が家では、基本的に、色々な意見があっていいという考えで話し合いがされるので、今回、深く触れる事が出来なかったのですが、これらの話し合いの根本には、工藤先生と苫野さんが共通して掲げていますが、「自由の相互承認」のルールがあるからできる事だと思っています。
最後になってしまいましたが、「誰一人置き去りにしない社会」を目標に話し合いを可能とするための最低限のルールとしてあるべき「自由の相互承認」という考えとは?について触れたいと思います。
◆自由の相互承認とは
ヘーゲルが唱えた「自由の相互承認」です。
「みんな自由に生きたいと願っている。でも、自由を巡って戦争をしたり、一部の大多数の人の自由を奪っていたら、誰も自由に生きられない。だったら、誰もが自由な存在であることを、お互いに認め合う事をルールにした社会を作るしかない」
つまり、「すべての人が対等で、自由な存在であることをお互いに認め合うことをルールにした社会」を定義しています。
上記の”すべての人”で表されるように、大人、子ども、男だから、女だからとか立場などに関係なく、一人の人として、考えを持って、その考えを出せる環境と場を作り、皆がOKと思える目標に向かって、今後も、家族でいろんなことを話し合い、「誰一人置き去りにしない家庭」を実践できたらいいなと思いました。
本日も、最後まで読んでくださってありがとうございました。