映画『パブリック 図書館の奇跡』感想
予告編
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本日4月30日は、”図書館記念日”。
図書館法公布の日を記念し、日本図書館協会がこの日を記念日にしたんだとか。
そんな本日は、図書館が舞台の映画の感想文を投稿しますー。
この感想文を書いた頃はまだ東京オリンピックが延期になるなんて知る由もなかったため、本文の中で「東京オリンピックが~」などと述べてしまってはいますが、公開当時(およそ4年ほど前)の感想文なので、ご容赦ください。
シン・図書館戦争
強烈な大寒波。シェルターはどこも満員で、住む家が無ければ、凍えるような寒い夜を野晒しで乗り越えなければならず、結果、冷たくなった死体が毎日のように発見されニュースになる……。昨今の不況の煽りを受け、職を失う人もたくさんいることでしょう。
“アメリカに強烈な寒波が来ている” というニュースを見た記憶はあるけど、そんなことまで想像したことは一度も無かったのが正直なところ。詳しい事情は知らないけれど、おそらく実態として上記のような事が起こっているんだと思います。
本作は、そんな状況のために「図書館をシェルターとして解放しろ」と決起し、図書館を占拠したホームレスたちと、最初はなし崩し的に、その後は心の底からそれに加担することになった図書館職員スチュアート(エミリオ・エステベス)の物語。
そりゃそうだよね。毎日のようにホームレスが凍死しているだなんてニュースが流れているのに、誰一人として明確な解決策を打ち出せないんだから。綺麗事をのたまう政治家vsホームレスという構図へと持っていくことで、苦境に立つホームレス側を「ぅおっしゃイケイケっ!!」と応援したい気分になったのは、その主張に賛同・共感できたというのもあるけど、予告編の映像がそんな感じのエンタメ暴動劇チックな内容だったから笑。
けど実際に本編を観てみると、想像していた以上に大人し目な雰囲気。何ていうか、街の図書館を舞台にしていて、スケールこそそれほど大きな話ではないものの、実はとても大きく普遍的なテーマと繋がっていることを描いている気がします。原題の『THE PUBLIC』が示す “公共”、“国民のための” などの言葉の意味を再認識させられる。
劇中でも出ていた「Make some noise!」も、直訳するというよりは、「声を上げろ」「盛り上がれ」という感じ。無論、ただ無闇矢鱈に喚いているだけじゃない。先述したように大人し目な雰囲気の本作だったからこそ、「ただ黙っていても変わらない。”だからこそ” Make some noise!」と主張しているようにすら思えてきたから面白い。この物語で描かれた事態に胸を動かされます。
まぁ本来この手の主張は、まず問題提議や解決案を明確に示していくのが建設的な手順なのだと思いますが、それだと映画にならないから笑、そこはフィクションですから、ご愛嬌。でも簡単に弁明せず、ある種 “泳がせる” ことで、現実を露呈させることに成功している。公共物・マスメディアの在り方、もとい有り様が、皆が心のどこかしらで感じている政治やマスメディアへの不信感を肥大化させて表現しているように見えてきて面白い。それが同時に、それらの本来の意義を問い掛け、考えさせる猶予を生み出している。余白を持たせることで身に染みて理解させることは、シンプルに解答を突き付ける以上に効果的なもの。一方的に言われるだけだとなんとなく腑に落ちなくても、自分で気付く、察するとぐうの音も出ないのと同様。
あと、総じて戦い方が粋。第一手目こそ強引だったけど、無闇矢鱈に吠えず、図書館内の平穏な様子をスマートフォンで動画撮影してTVに流すのは、明らかな正統性を持っているという自負があるからできること。(本作では残念ながら偏見というフィルター越しで世に発信されてしまったが)
『怒りの葡萄』の一節を用いて気取ってみるのも面白い。あれは図書館の権利宣言を想起させる意味でもテキメンでした(実を言うと鑑賞中には何のことかよくわからなかったから、後で調べただけなんですけどね。アメリカに暮らす人たちはみんなすぐに理解できたのかな?)。音楽の使い方も見事だし、大人し目な雰囲気といえど見どころいっぱいの一本。
そんな本作の決着の仕方も面白い。善人たちによる善意の立て籠りにおいて、彼らが何を武器にして戦っていたのかを示すラスト。武器どころか何も持たない。〈知〉のための図書館戦争の終結シーンには驚かされた。しかしこのオチを成立させるためとはいえ、ホームレスの中に女性の登場キャラクターが一人も居なかったのは残念だったかな。
コロナもあるから開催されるかどうかはともかくとして、東京オリンピックが近付いているからですかね? 都心の公園でもあちこちでホームレス排除の動き(ベンチに手すりを付けて寝られなくしたり、柵を増設して居辛くさせたり)が増えているし、我々も全く関係の無い話ではないんじゃないかな。
本編の中で何度か、ものすごく意味有り気に映し出されたホッキョクグマの剥製。いやもう間違いなく何かしらのメッセージ……なんだけど、正直な話、このホッキョクグマが何を示しているのかがよくわからない笑。詳しくはないけど、地球温暖化の影響で北極の氷が少しずつ溶けていて、ホッキョクグマたちの住処がどんどん失われていて……。環境問題という人間の都合のせいで居場所を追われたホッキョクグマと、同様に周囲の都合(不況、失業問題)のせいで暮らす家を失ったホームレスたちを重ね合わせているのかな? あとは、絶滅の危機に瀕しているホッキョクグマと、公共性の真の意味を失いかけている “パブリック” のメタファー? ……うーむ。誰かわかる人が居たら教えてください笑。