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読書の役割②「思考や感動の言語化」

自分にとっての3つの役割うち2つ目について書く。

役割②:思考や感動の言語化

本格的に本を読むようになったのは大学生になってからだ。子供のころは決して読書は好きではなかったと思う。

高校生から大学生にかけて、いろんな経験を経て、自分の性格や考えが確立されてきた。そして、自分で物事を考えるようになってから本を読むと、

  • 自分と同じ考えに共感したり

  • ぼんやり認識していたことがきれいに文章にまとめられているのを見つけ、自分の中で思考が形成されたり

  • 一方で、自分と違う考え方に出会って気付きが得られたり

するようになる。ここから急に読書が楽しくなった。能動的に読むようになった。

共感するということは、自分と同じ主張や経験に出会うことであり、それは自分が誰か別の人と同じポジションにいるということである。ときには〇〇家と呼べるくらい自分の立場が明確になり、それを足掛かりに関連のある本を探すことができる。趣味の幅を広げることができる。

また、「ぼんやりと認識していたことを言葉にできる」点がとても良い。

自分が感じたことを深堀りして、納得いく言葉で表現したいという想いがある。うれしい、楽しいといった簡単な言葉で片付けたくない。本当はもっと複雑で多彩なことをかすかに感じているはずで、それを現存する言葉や文章を駆使してなんとか表現したい。記録したい。読み返したい。

美しい景色を見たときなど、心が動かされたときに、自分が何かを感じていることは分かる。しかし、たいていその場でははっきりとは分からない。後になって、本を読み、似たような経験や考えに偶然出会ったとき、その言葉を手掛かりに、ぼんやりしていた思い出をはっきりと言葉にすることができる。

直接パターン

本には必ずしも自分が感じたこととまったく同じことが書かれているとは限らない。自分の生い立ちや考え方のくせを本で見つけ、考えた結果、感じたことの詳細が明らかになることもある。自分を客観的に見て、だからこう感じたんだ、と気が付ける。同時に、自分の過去、生い立ち、考え方をたどったり、自分のそばにいる人との関わりを見つめ直す機会になる。

間接パターン

いずれにしても、経験して何かを感じるということは、それに対する思考が始まるということであり、それを自分の考えとして形作るために、本に手助けをしてもらっているのである。

特に自分の思考と関連が強い本を見つけるとそれが大切な本になる。以下は自分の例だ。


『声に出して読みたい論語』齋藤孝

学生の頃に色んな葛藤を経験し、自分で考え抜いたことがいくつかある。自分で考えてからこの本を読むことで、共感できる内容が多々あった。考えた後にちょうどこの言葉が入ってきて、自分の考えの後押しをしてくれるような、考えが完成するような感覚だった。例えば以下の内容だ。

  • 成果を急ぎすぎないこと、評価は遅れてやってくること

  • 謙虚でいることの価値、感じた見栄やプライドのつまらなさ

  • 自分の失敗を受け入れる姿勢の(長い目で見たときの)大切さ

  • 周りを気にしないこと、孤立を恐れないこと、協調とつるむことは違うこと

逆にこういったことを自分で経験して考える前に読んでしまうと、意味も分からずにうわべだけで理解することになってしまう。人格が形成されてくる高校生や大学生の頃に読むとちょうどよいと感じた。著者の解釈が分かりやすく学生にとっても理解しやすい内容だった。


『思考のレッスン』丸谷 才一

僕は人と同じことを言いたくない性格だ。これに対し、むしろ人と同じことを言ってもしょうがないということを教えてくれた本。


『不道徳教育講座』三島由紀夫

「約束を守るなかれ」、「大いにウソをつくべし」のように世の中の道理や倫理に反することが書かれている。内容や主旨はともかく、世の中を斜めから見る視点がおもしろおかしい。ひねくれた視点を面白い方向に利用している点が読んでいて心地よい。似たような性格や考え方を持っている自分に勇気と可能性を与えてくれた。


まとめ

「本は、経験して感じたことに言葉や表現を補助的に与え、それらを自分の考えという形に昇華させてくれる。」


続く。


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