ベンゾジアゼピンの離脱症状_13_ブレインフォグ・頭が痺れるような感覚_認知・記憶・思考・集中などの障害_情報収集や人間関係の困難さなどについて
(この記事の内容は、私の知識と経験に基づく個人的な考察と症状の記録であり、何らかの実験・研究・論文等に基づくものではありません。ベンゾジアゼピンの離脱症状を理解するための参考としてご覧いただけましたら幸いです。)
GABA受容体は主に脳の神経細胞に発現している受容体であり、ベンゾジアゼピンの離脱症状のほとんどが脳の誤作動を発端にして生じているものであると考えられます。
この記事では、その中でも特に、一般的に脳そのものの働きとされている集中する・認知する・記憶する・考える・理解するといった機能に関する症状を中心に、頭の症状について書きたいと思います。
五感の情報や、筋肉や内臓からの情報のほとんどは神経を伝って脳に伝えられ、脳でそれらの情報が処理されて、認識されたり、記憶されたり、反応を起こしたりします。
感覚器や体が情報を送っていても、その認識を担当している脳の神経細胞が障害されていると、その人にとっては、その情報は存在しないに等しい状態になります。
もう少し具体的に言うと、眼や耳そのものに異常がなくても、そこからの情報を受け取って、それが何であるかを認識する脳の神経細胞に不具合があれば、読んでいる文章や聞こえてくる話の内容を理解することはできませんし、見た物・聞いた事に対して適切な反応をすることもできません。
また、情報の記憶を担当する部位に不具合が生じると、見たり聞いたりしたことを覚えていることができなくなったり、過去に見聞きした物事を思い出すことができなくなったりします。
ベンゾジアゼピンによって、これらの情報処理や記憶に関わる様々な神経細胞の活動に変化が生じると、これらの脳の機能が障害されることになります。
思考は、外からの刺激がきっかけで起こることもありますが、外界からの刺激とは無関係に、頭の中だけで開始して完結することも可能な過程です。
人間が動物よりも深く物事を考えられるのは、大脳新皮質・前頭前野と呼ばれる部位が発達しているからです。しかし、思考が脳のこれらの部位だけで成り立っているかというとそうではなく、脳幹や大脳辺縁系と呼ばれるような動物と共通した部位を含めた脳全体の神経細胞が適切に協力し合うことによって成り立っている機能です。
例えば、思考するには、脳の記憶を司る部位が必要です。今頭の中だけで考えているとしても、ほとんどの場合、思考は過去の記憶を参照しながら行われています。また、考えている途中に今考えていることを覚えておく必要があるので、そういう意味でも記憶が密接に関係しています。
さらに、体を動かさずにただ頭で考えているだけの時に脳の活動を調べると、運動を司る脳の部位が一緒に活動しているという結果が出ることもあるようです。
つまり、「考える」とは、脳全体の機能を総動員するような過程であり、このような複雑な仕組みのどこかに、ベンゾジアゼピンの影響で不具合が生じると、考えるという脳の働きが障害されることになります。
さらに、上記のような脳の働きが可能になるのは、脳が意識を保っていて、注意を向けるべきことに注意を向ける機能を持っているからです。そもそも情報や思考に意識を向けることができなければ、脳は認知することも考えることもできません。
この意識や注意といった機能を担っているのもまた脳にある神経細胞ですので、ベンゾジアゼピンの影響がここにも及ぶことになります。
ブレインフォグ
集中する・認知する・記憶する・考える・理解するといった脳の機能が障害されている状態を主観的な症状として表す言葉がブレインフォグです。
新型コロナウイルスの後遺症としてよく聞く言葉になりましたが、ベンゾジアゼピンの離脱症状としても経験される方が多い症状だと思います。
私も、このブレインフォグの症状があり、現在も生活に様々な影響があります。
ブレインフォグの症状があると、本当に頭に霧がかかったようで、目の前で誰かが話をしていても、文章を読んでも、内容が理解できません。何かを考えようと思っても、考えることができません。物を覚えたり思い出すことも大変になります。何かをしようと思っても、やり方が分からなくなります。
電化製品などの道具が使えない
例えば、目の前にパソコンがあっても、何に使う物なのかが分かりません。
パソコンだと分かっても、スイッチの入れ方が分かりません。
スイッチを入れられても、起動のためのパスワードが分かりません。
パスワードが分かってネットなどを見ても、読みたい文章に集中することができません。
文章を読めたとしても、書いてあることが理解できません。
このような現象がしばしば起こります。
実際には、このブレインフォグの症状に加えて、視覚過敏の症状もあって、視覚刺激による自律神経発作(ベンゾジアゼピン性自律神経発作・パニック発作様の発作)が起こったりもするので、文字で書かれた情報を得る事、文字を介した意思疎通をすることがさらに難しくなります。
パソコンだけでなく、例えば、洗濯機にたくさんボタンがあるのを見ても、どうやったら洗濯機が動くのかが分かりません。
スマホや電子レンジも同様です。
コミュニケーションがとれない・情報を得ることができない
人が話している内容も理解できなくなるので、人と会話をしていても、何を話しているのか分からなくなります。
集中力が障害されているため、そもそも、話している人の声に意識を向けるのが難しくなりますし、聴覚過敏もあるので話し声によって自律神経発作も生じます。これに、理解のできなさが加わるため、人と会話するのがとても大変になります。
無理に集中したり理解しようと努力すると、とても大きな自律神経発作が生じるので、ますます会話どころでは無くなります。
ラジオ、YouTubeなど音声で情報を伝えるメディアを介する情報の受け取りにも支障をきたします。
また、書かれていたり話されている内容の種類によって理解できる度合いに違いがあります。
例えば、詩や小説は読めるのに、論文や教科書のような論理的な文章が読めないという現象が起こります。
時と場合によるのですが、私の場合には、詩のような感性の部分よりも、論理の部分の障害が大きく出ているように感じます。
私はもともと、論理的な文章を読み書きしたり、論理的に考えたりする側面のある仕事をしていたため、この現象によって仕事に大きな支障が出るようになりました。
逆に、そういったことを仕事にしていたために、論理の部分の障害がより大きく感じられる側面もあるのかもしれません。
「読む」ことと「聞く」ことの間にも大きな差があります。
ブレインフォグの症状が重い時には、先に書いたように視覚の情報も聴覚の情報も共に処理ができなくなりますが、症状が軽い時には、視覚で文章を読むよりも、聴覚で文章を聞く方が処理がしやすいようで、読んだ場合よりも聞いた場合の方が内容が理解できることが多いです。
私は元々、読む方が聞くよりも早く深く理解できる傾向があったので、今の自分の状態は少し不思議な感覚です。
「読む」ことと「書く」ことの間にも、自分でも驚くほどの差があります。
これは一般的に多くの人に当てはまる事かと思いますが、私はブレインフォグの症状が出るまで、人が書いたものを読む方が、自分で考えて文章を書くよりも簡単で、楽で、ハードルの低い行為でした。
しかし今は、読むよりも書く方がハードルが低く感じられる時が多いです。もちろん、ブレインフォグの症状が強ければ文章を書くどころではありませんが、症状が軽い時に両者を比較すると、書くことよりも読むことの方がはるかに難しく感じます。
今書いているような文章が少し書ける状態の時でも、人が書いた文章を読んで新しい知識を理解する事はとても困難で、何度も何度も同じところを読み返しても、何が書いてあるのか一向に理解できないという現象が起こります。
自分がすでに考えたり理解している事を表現することはできるのに、知らない事を読んで理解し、記憶する機能が破綻しているような感じです。
このことから、私はベンゾジアゼピンやその離脱症状について、論文などを読んで情報を得る事が難しく、このブログの記事の多くは、自分がすでにある程度知っていた知識を少しずつネットで確認しつつ、そこから推察して書くという形式をとっています。
個人的な事になりますが、先にも少し書いたように、私は元々、科学的な根拠に基づいて論理を展開するような思考過程に慣れ親しんできた人間でした。このため、今の自分の状態がとてももどかしく、不甲斐なさを感じ、ブログを書いてみようと思った時にも、このような根拠に乏しい書き方をして良いのかという大きな葛藤を感じました。
しかし一方で、実際に文章を書き進めてみると、このブログは、誰かの知識や見解の引用ではなく、私自身の人生において蓄積された知識とベンゾジアゼピンにまつわる経験のみに基づいていて、これはこれで私にしか書けないものを書いているのかもしれないと感じられるようになってきました。
考えられない・考えがまとまらない・自分の考えを検証できない
ブレインフォグの症状が出ている時には、考える事そのものが大変になりますし、たとえ考えられたとしても、まるで思考をザルですくっているような感じで、考えたそばから考えが消えていくような現象も起こります。
このため、自分が何を考えているのかが分からなくなり、考えがまとまらず、自分が考えていることを自分で検証する事ができなくなります。
先に書いた情報収集やコミュニケーションの難しさに加えて、自分の中で考えることも難しくなるため、結果として様々な意思決定をすることがとても難しくなります。
私は減薬を始めた当初、減薬の方法や、症状がある状態で生活できる環境を整える方法を考える必要がどうしてもありました。
しかし、ブレインフォグの症状が重かったため、考えようとしても、考えるという行為自体がものすごく大変でした。さらに、頑張って考えたとしても、考えの最後には、その考えの最初の部分が分からなくなり、結局自分が何を考えているのかさっぱり分からなくなるという状態に陥りました。
考えを書いてみても、読んでいるうちに最初に読んだ内容を忘れてしまうので同じでした。
そこで、家族に話して、自分の考えがおかしくないか確認したり、かろうじてパソコンが使えるような体調の時に友達にメールを書いて、おかしな考えをしていないか確認するという作業を繰り返しました。
つまり、他人の脳を借りて自分の考えを検証していました。
しかし、その返事も、理解するのにものすごい時間と労力が必要で、さらに体調が悪くなり・・という悪循環になったりもしました。
実際になってみるまで、こんな状況になる事があるとは考えたこともありませんでした。
ベンゾジアゼピンが処方薬であることを考えると、そもそも、その減薬や断薬は医療関係者から指導してもらえる方が良いと思いますし、症状のある状態で生存できる環境をどのように作っていくかということも何らかの支援が有っても良いような気がしますが・・。今のところ、実際にはそうでないことがほとんどだと思います。
ブレインフォグの症状が出ている状態で、ベンゾジアゼピンの減薬・断薬や、生活環境の確立を本人だけの力で行うことは不可能です。
ベンゾジアゼピンの離脱症状にブレインフォグが存在することを考慮した上で、今後何らかの支援環境が整っていくことが必要だと思います。
同時に複数の情報や行動を処理できない
ブレインフォグの症状は、一度に処理しなければならない情報量が多くなると悪化するという側面があります。
私は以前、古いパソコンを使い続けていたところ、高速でタイピングをするとフリーズしたり、たくさんウィンドウを開くと勝手に電源が落ちるようになったことがあるのですが、私の脳は今その壊れかけのパソコンと同じ状態です。
視覚や聴覚の症状で少し触れましたが、一度にたくさんの視覚情報や聴覚情報が入ってくると、処理しきれずに理解できなくなっていきますし、自律神経発作が起こります。
外からの情報だけではなく、考えること・体を動かすこと、精神的に緊張することなども、どれも脳の活動を伴う事象ですので、これらが重なれば重なるほどブレインフォグの症状は悪化しますし、自律神経発作も起こりやすくなります。
例えば、リラックスしている状態で、何かを見ること、何かを書くことが一つ一つならできる体調の時でも、精神的に緊張した状態で書類を見ながら記入するといった行為を同時にしようとすると、とたんに自律神経発作が起こって倒れてしまいます。
新しい場所に行けない・新しい人に会えない・昔から知っている人とも交流できない
この症状が非常に大きな障壁になるのが、新しい場所に行ったり、新しい人と接する場合です。
新しい場所に行くと、眼に入る景色・聞こえる音・空気感などの全てを頭が情報収集して、ふだんよりも緊張して対応しているのを感じます。目的の場所に行く道順なども、気を配って考えなければなりません。
私は元々、旅行やレストランなどに行くとき、同じ場所に行くよりも、いつも新しい所に行くのが好きな性格で、同じ場所なんてつまらないと感じていました。
しかし、以前の私であれば新鮮だと感じて楽しんでいたその新しい場所が、今の私の脳にとっては著しい負担となり、その場で発作が起きることも多いですし、長期的にも体調を崩す原因になります。
行楽などには行かなくても生きていけますが、病気になった際に病院を受診することがとても難しく、対応に苦慮している状態です。
新しい人に会う場合も同様で、健康な人でも、初めての人に会う時には多少の緊張を感じる方も多いのではないかと思いますが、この緊張に加えて、その人の顔・背丈・声などが全て初めてで、名前を覚える必要もあり、会話の内容も探り探りになるので、いつもより脳がたくさん活動する状態になり、体調を崩します。
特に今はじめての人に会う時に非常に難しい問題になるのが、ベンゾジアゼピン離脱症候群について説明しなければならないという点です。
ベンゾジアゼピン離脱症候群は知名度が低く、医療や介護の仕事をされている人ですら知っている人はほとんどいません。このため、病名を言うこと自体が相手の不信感を誘発する場合があります。
病気の原因について説明するために「依存」という言葉を使うと、その言葉のイメージによる偏見や誤解を解くのに苦労することになります。
症状の数が非常に多く、全てを話すと日が暮れてしまいます。
しかし、相手に配慮していただくことが必要な項目がたくさんあり、人間関係を築きたいのであれば、自分の病気について説明する以外にありません。
なのに、ブレインフォグのために上手に説明できませんし、うまく説明しようとすればするほど脳のリソースが激しく消費され、脳がオーバーヒートしたような感じになって、発作が起こります。その後も、ひどく体調を崩した状態が長期間続きます。
誰かと友達になることなど夢のまた夢ですが、現在の私は人の支援が無ければ生活できない状況にあり、医療・介護の方々とはどうしても関係を構築する必要があります。
なるべく同じ人に入って頂けるように配慮頂いているのですが、ヘルパーさんや看護師さんは入れ替わりの激しい職業で、時々新しい人に変わられるため、そのたびに体調を崩すことになります。
また、長い時間かけて説明をしても、残念ながらご理解頂けず、関係が破綻する場合もあります。
ちなみに、初めて会う人でなくても、ベンゾジアゼピン離脱症候群の説明は大変です。
正直なところ、私は今、古い友人や親族とすら交流することをほとんど断念しています。
ベンゾジアゼピンの離脱症状について長々と説明しなれば、なぜ私がほとんど寝たきりの生活なのか、彼らに会えないのか、仕事ができないのかといった事を伝えることができないのですが・・そもそもベンゾジアゼピン離脱症候群って、何それ?そんな病気あるの?そんなもの無いでしょ?!という反応と半ば戦うような状況になる場合も少なくありません。
病気によって起こっている現象・状況を、個人的な嫌がらせや、単なる私の我儘のように感じられる方もいて、中には怒り出してしまう人も少なからずいます。
誰かを説得してベンゾジアゼピン離脱症候群について理解させようと考えているわけではありませんし、まして人と対立することなどまったく望んではいませんが、自分の現在の状況を受け入れてもらえない限り人間関係を継続できないため、私はベンゾジアゼピン離脱症候群をきっかけに、友人・知人だと思っていた人の多くを失うことになりました。
そんな中、私の減薬に協力してくださった方々がいた事は本当にありがたいことだと思います。
このように、様々な人にベンゾジアゼピン離脱症候群について話す中で、ベンゾジアゼピンに副作用があるという事実そのものや、私の離脱症状によって不快になる人がたくさんいることが分かってきました。
私自身、わざわざ誰かの気分を害したいわけではありませんので、今は誰ともかかわらずにひっそりと暮らしています。
結果として、もう何年間も、同居の親族とヘルパーさんや看護師さん以外の人と言葉を交わしたことはほぼありません。
逆に、私のような一般に受け入れられていない疾患の患者を理解し、支援して頂ける貴重な方々が私の周囲にいて下さっているわけで、その事にとても感謝しています。
ベンゾジアゼピン離脱症候群の知名度が上がり、理解が進めば、私のようにブレインフォグの症状やその他の症状が強い人でも、少し人と交流しやすくなるかもしれません。
なので、ベンゾジアゼピン離脱症候群について知ってくださる方が増えることを願っています。
現在も私は体調が悪いと、集中する・認知する・記憶する・考える・理解するといった機能が全てダウンしますので、このような文章が書けるのは、ごく限られた時間だけです。
ですので、ブログを書くのも非常に時間がかかります。
前回の全身倦怠感の記事を書くのに3か月かかったと書きましたが、この記事に関して言えば、書き始めてからこの文章に至るまでに1年の時間がかかっています。
ベンゾジアゼピンを飲む前の私であれば、記事を一気に書き上げることができましたし、必要な時間は数十分~数時間だったと思います。
この一年の間には、ブレインフォグだけでなく体の不調によって書けなかった時間も含まれますし、他の記事も並行して書いていました。しかし、一度に書き上げていれば、そもそも体調不良や他の記事云々の問題でもなく、数時間以内に済んでいた作業だったことに変わりありません。
ただ、どんなに長い時間をかけようとも、このような文章を書くことができない期間も長かったわけですので、そういった意味では少し回復してきているとも言えます。
頭の中が痺れるような感覚
頭の症状としてもう一つ、頭の中、脳がビリビリ、ジリジリ、ボワンボワンするような、とても不快な感覚があります。
頭がボーっとするとか集中力が無いという意味では無く、もっと物理的な感覚で、正座をしていて足が痺れた時のビリビリから痛みを引き算したような感覚に近い感じです。痛くは無いのですが、明らかにジリジリジリ、あるいはボワンボワンという体感を頭の中に感じます。
この症状を文字で読んでも、なかなか想像するのが難しいかと思うのですが、これがものすごく不快で辛い感覚で、この症状が起こっている時は本当に何をするのも大変です。
また、この症状は同時にブレインフォグを伴うことも多いので、ますます何もできない状態になります。
脳の内臓感覚を担っている神経の異常が関係している症状なのかな?と思ったりするのですが、そもそも脳自体は感覚がほとんど無い臓器なので、脳の内臓感覚というものが存在するのかどうかもよく分からず、頭痛を感じるような部位(脳の周辺にある膜や筋肉など)の感覚の異常でも無いような気がするので、この脳の内側が痺れる感覚がなぜ起こるのかは、今のところ自分の中であまり納得のいく説明ができていません。
この症状に関しては、今も時々サワサワという感覚が起こることがありますが、全体的には軽快傾向にあると感じます。