30 幸せを求めても幸せになれない理由
まだ娘が生きていた頃の私は、「幸せになること」に一生懸命でした。良いと聞いたことは、怪しげなものをのぞいてほぼ全て試してみる人でした。ありがとうを1日100回唱えてみたり、トイレ掃除をしてみたり、ボランティアをしたり、人の話を聞く努力をしたり、人が嫌がることを率先してやってみたり・・・。
感謝されたり、尊敬されたり、それなりに良いことも起こってくれたりして、なんとなく幸せそうではありました。でもある日突然に娘が他界したのです。しかも、家族が大好きで第一志望校に楽しそうに通っていた娘が、自ら命を断ってしまい、私は絶望の底に突き落とされた気分でした。
娘が死んでしまった時、どうしてこんなことになってしまったのだろうと、心底思いました。私は何か悪いことをしたのだろうか。過保護だったのか、教育方針がいけなかったのか、引っ越しがいけなかったのか、家に私がいなかったのがいけないのか、言葉がたりなかったのだろうか、自分としては精一杯愛情を注いだつもりだったけれど、独りよがりだったのだろうか・・・。私は自分の中に原因を探しました。
でも、そんな私の至らなさ、もしくは失敗に対して、娘も神様もこのような罰を与えるだろうか?そんなことをする子や神様はいるだろうか?我が子や神様に対して大変失礼な考え方をしている自分に気づかされました。私ですら人様の失敗に対して罰など与えたいと思わないのに、全く失礼な話です。
本当は、自分を悪者扱いしようとしていたのは、自分でした。何か自分に都合の悪いことがあったなら、それは自分の責任だと責め立てる、厳しく自分を追い詰める自分でした。娘が亡くなる前からの癖を、この時初めて認識しました。
この出来事を不幸なことで、自分の責任だと決めつけているのは、私の自己否定をする癖です。私はなんでも頑張ればできてしまうことも自負していましたから、自分のことを自己肯定感が高いと思っていたのですが、実は全くの逆だったのです。自己否定しているから頑張っていたのです。
どうしてこんなことになったのかなど、いくら考えてもわからないこと。ああすればよかった、こうしたらよかったと過去を後悔しても娘は戻りませんし、実際、娘が死を選択した理由は娘だけが知ることであり、娘の遺書がないことが娘の唯一のメッセージなのです。
それなのに無言のメッセージの中に、私を責める言葉があると思ってしまうのは、私の勝手な妄想であり、娘に対する侮辱です。冷静に考えたら、娘が自らの死で私を苦しめようとするなど、いつも真実をみんなに教えてくれていた娘の性格からは考えられません。自己否定をしているから、娘のことも、自分のせいにしてしまいますが、それでは娘はまるで私の操り人形のようです。そんなふうに思われて娘が喜ぶはずがありません。そうやって娘は私の自己否定の癖を気づかせてくれたのです。
そして私がずっと長いこと「幸せになりたい」と思っていたのも、自己否定している自分がいたからだということに気づけました。ちゃんと幸せなことはたくさんあったのに、自己否定癖のある自分が認めていなかっただけでした。素直に幸せを享受して満足すればよかったのです。
私の自己否定の癖は何十年も培ってきただけあって、今も時々繰り返してしまいますが、自己否定の癖があると認識できたことで、自己否定をしていない状態の自分が既に幸せを持っていることを知りましたから、「幸せになりたい」と思うことはなくなりました。そのかわり、幸せを忘れない、幸せな人であろうと思っています。
幸せを求めても幸せにはなれない理由は、幸せを求めている限り、不足していると宣言していることになるからです。不足していると宣言することは、自分を責めているのと同じです。人は不足と満足を同時に感じることができませんので、幸せを求める限り、不幸を味わうことになってしまうのです。
逆に、幸せを求めるのをやめると、それは自己否定をしなくなることなので、それだけで開放的な自由と喜びにつつまれて幸せになれるのでした。そして幸せでいると、幸せと波長が合うので、幸せなことを見つけやすく、幸せが雪だるま式に増えていきます。
例えば私は、幸せを求めるのをやめ、娘が亡くなったことを含めて、全てを受け入れました。人が死ぬことも、良い悪いでなく、ただ悲しいという自分の気持ちだけを感じたのです。すると、これまでにもnoteに書いたように、大切な人の死から、さまざまな真実や知恵を授かったのです。この世の真実や新たな視座を手に入れたことは私にとって間違いなく幸せなことです。
もちろん、欲しいものは求めてよいと思います。でもその欲しいものは「幸せ」ではないのです。ただの幸せを呼び起こす道具にすぎません。欲しいものを手にしたときに感じる幸せは、もう既に心の中にあるのです。それを自己否定して感じさせないから、いつまでたっても満たされないだけなのです。自己否定は百害あって一利なし。私たちは、ただ生きているだけで幸せを感じたっていいのです。
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