【感想】『八日目の蝉』―当時小学生。なぜか映画は強く印象に残っている
『八日目の蝉』を改めて読みましたー!
昔、小さいながらも映画を見た記憶があるんですよ、、。
と言っても覚えているのは大まかなあらすじ、女が赤ちゃんを誘拐して、逃亡しながら育てる、最後は広い駐車場で捕まる?、女の子と離され連行される?、、くらいです。
ああそれと覚えているのは
永作博美さん!(調べるまで名前も忘れてた)
この人が主役だったな~くらい
でも改めて調べてみると、主演は井上真央さんで、永作さんは助演だったと、、はあそうだったんだ。
見たといっても小学校の低学年だったのは間違いないし、逆に良く覚えていたなってくらいなんですけど、でもやっぱり、なんか印象に残っている映画なんですよねー。
なんでそんなに印象に残っているかと聞かれたら、いつ見つかるか分からないっていうハラハラ感?なのかなと思いますね、、
小学生の頃だったし、母子の愛なんて深い内容については考えてもなかったと思いますw
そんな映画のイメージが強い、この『八日目の蝉』。
改めて読んでみると、昔映画を見た時以上に、その内容についていろいろ考えるところがありましたね。
理解しきれている自信はない
と!言っても、、、正直分かり切れないというか、なかなか思いを寄せられないところがあるのも事実です。
希和子のように子供を身ごもった経験もなければ、母親として薫へ抱く思いの深さを測りきることもできない、というか、、、
説明するのが難しいんですが、やっぱりこの作品への没入度は女性より低くなってしまっている気がします。
どちらかというと小豆島の美しい風景の描写や、希和子が逃げる先々で出会う人たちの希和子や薫への言動から人間らしさや人としてのぬくもりや優しさに感動することの方が容易というか、どうしてもこの作品の中でキーワードになってくる「妊娠」や「出産」、「母親になる」といったものに、近寄りきれない、もっと言うと根本から理解することは不可能だと思うんですよね。
男の「ダサさ」と女性の「タフさ」
情けないことに、この物語に出てくる男たちは総じてだらしなく、弱く、みっともないです。妻子を持ちながら不倫に手を染め、相手にこどもができれば顔色を変えて逃げ出す男たち。
「母と子の愛」や「母親、女性の強さ」が描かれながら、男のなんとかっこ悪く、ださいこと。
でも、岸田や秋山丈博にも、それなりの苦悩や主張はあるんだと思うんですよねぇ。それはきっと非難され、受け入れられない可能性の方が高いとは思うけど、彼らは彼らなりのこの事件との向き合い方をしているんだろうし、"妻子がいながら不倫し、どちらとも関係を切られなかった情けないクズ男" 以上の、考慮すべき事実がなにかあったのかもしれない、とも思うんですよね。
この作品に自分なんかよりも共鳴したり、より深いレベルの考察、思考ができている人がいるのは間違いないのですが、まがいものなりにもこの作品に触れられてよかったと思うし、時間があればまた映画を見てみたいと思った。(調べたらその年のアカデミー賞総なめしてた。そんな凄かったんだ、、。)
あと!小豆島に行ってみたい!
個人的に、最近『からかい上手の高木さん』の実写ドラマをnetflixで視聴していたので、より小豆島の風景の幻想さに魅せられてしまったなあ。
いまんとこ行きたい旅行先リストの上位に入っている場所です。
ということで、とりあえず『八日目の蝉』を読んですぐに抱いた感想でした。
タイトルの考察やそれ以外の感想も、頭が整理されて、テキストにできそうと思い次第また書いてみます!それでは!