彩りと心のしわあわせ【第9話】突然の別れと、小さくも大きな覚悟
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【第9話】突然の別れと、小さくも大きな覚悟
少しずつ寒くなってきた11月のこと。
わたしは、仕事を調整して、店の手伝いに来る日を増やしていた。
「最近、るいさん来ないねぇ。」
彩芽がぽつりと心配そうにつぶやく。
最初は、冬が近づいてきたところだし、風邪を引いたのかと思った。
ただ、こちらの予想以上に、姿を見かけない期間が長くなってきたのである。
ランチ時は、お客さんも入ってきて、それなりに忙しいのだけれども、常連さんを見かけなくなると、寂しさもある。
時刻は13時を回ったところ。
芳賀ご夫妻も帰られ、平日ランチ目当てに来てくださる方たちも、仕事に戻っていったため、お店は小休止のようになる。
ホッと一息つこうかと思った時に、ドアが開いた。
「こんにちは〜!あれ、今日もおばちゃんいないのかぁ。会いたかったなあ。」
元気よくお店に入ってきたのは、そうたくんである。
そうたくんは、最近午前中2時間だけ学校に行くようになっていた。
仲の良い友達に会って、先生と話して帰って来るようになって、ママもちょっとだけ自由時間ができたように見える。
「そうなの。今日も、るいさんは来ていないの。会いたいよねぇ。そうたくん、今日は何してきたのっ?」
「今日はねぇ、ドリルやってきたんだよ!」
と、ドヤ顔で答えて、勉強してきた成果を見せてくれた。
「るいさんが来なくなったのは、もしかして…」と思い当たる出来事が、1つだけあった。
実は、10月下旬から、おばあちゃんは体調を崩し、入院している。
るいさんにも、他のお客さんにも、話してはいない。
ただ、週に1回ほど来ていたおばあちゃんが、店に見えなくなったのは、きっと察している人はいるだろう。
今思い返すと、おばあちゃんの体調が悪くなった頃から、るいさんが来店しなくなったような気がする。
「なにか起こってなければいいのだけれど…。」
ここは、喫茶店だから、るいさんの連絡先はわからない。
ただ、ひたすらに待つしかなかった。
すっかり日が落ちるのも早くなった。
店の手伝いを終えて、帰る足取りも、暗くなりがちである。
街なかは、1ヶ月後に控えたクリスマスに向けて、プレゼント商戦が始まっている。
イルミネーションが輝く夜の道を歩きながら、帰っていると、珍しく、父からのメッセージを受信した。
その内容に、驚きを隠せず、歩くのを止めてしまった。
「おばあちゃんの容態が急に悪化した。今、集中治療室に移動したが、いつどうなるかわからない。さくら病院に、今すぐ来てくれないか。」
このメッセージを見た直後に、彩芽から電話が来た。
思いの外近くにいたため、一緒にタクシーに乗り込み、病院へと向かった。
タクシーの車内では、どちらからともなく、ため息がこぼれた。
とにかく今は、不安で、心配で、仕方なかった。
病院に到着すると、両親がいた。
案内してもらって、担当医より治療経過を聞く。
動揺して、まったく頭に入ってこなかったが、みんなの様子から、今にも危ない状態だ、ということだけはわかった。
詳しくは、おばあちゃんの実の息子である父も知らなかったらしいが、おばあちゃんがお店を継いだ本当のきっかけとなったのは、体調不良だったようだ。
それも、大腸ガン(転移あり)。
年齢も年齢だから、と、経過観察だけしてきて、家族には言えず、黙って過ごしていたらしい。
会うおばあちゃんは、いつも元気だったから、まったく予想していない事態だった。
おばあちゃんらしいといえば、おばあちゃんらしいのかもしれない。
病室に行き、おばあちゃんのもとに行った。
なんだか急に弱々しく見える。
あの日の同じように手のひらを合わせた。
シワシワの手。あたたかさは健在だったが、握れるほどの元気はないようだ。
おばあちゃんの右手側に彩芽が、左手側にはわたしがいた。
おばあちゃんは、言葉こそ発しなかったものの、何か託されたような気がした。
3人で見つめ合ったその場は、他にはないあたたかなオーラを放っていた。
この一晩が山だと言われていたが、持ち堪えた様子を見届け、わたしと彩芽は、それぞれ仕事に向かった。
病院から出る時、後ろ髪を引かれる思いだった。
強い不安をかき消すかのように、仕事に明け暮れた。
まるで、孫たちがその日の仕事を滞りなく終えたのを見届けていたかのように、おばあちゃんは、その日の退勤時間に、天国へ旅立ったのだった。
それからの2週間は、精神的な落ち込みがひどくて、仕事どころでも、喫茶営業どころでもなかったため、お休みをいただくことにした。
喫茶の営業再開を10日後に控えたものの、未だやる気が出ない。
「ここな、おばあちゃんの部屋の荷物を片付けるの、手伝ってくれない?」
母に言われるがまま、実家に行き、祖母の部屋の書斎の片づけを始めると、とある箱が目についた。
その箱は、缶だったが、折り紙がペタペタと貼り付けられている。
ところどころ剥がれてしまっているため、お菓子が入っていた缶を、再利用していることはわかった。
この箱。見覚えがある気がする。
昔、学校を休んでお店に預けられていた時、折り紙を入れて保管していた缶の箱だ。
恐る恐る開けてみると、中には、おばあちゃんが書いたと思われる日記と手紙が入っていた。
日記には、闘病の様子も書かれていたし、るいさんとの過ごした時間についても書かれていた。
過去を遡ってみていくと、お店のスタイルを決めるまでの葛藤も書かれていた。
心の支えとして、来てくれるお客さんもいれば、来続けたかったけど、いろいろな事情で来れなくなったお客さんもいた。ここで言う事情は、経済的な理由が大きかった。
コーヒー1杯でも、ごちそうできていれば…。
そんな、たらればな話が、たくさん書かれていたけれど、この年齢の人としては珍しく、一人ひとりが抱えている生きづらさに沿いたいと思っていたようだった。
そのきっかけとなったのは、どうやら、わたしの登校しぶりである。
なぜ行きたくないのだろう?
どうして、こんなに大泣きしているのだろう?
聞きたいことだらけだったけど、聞いていいか分からなかった、と書かれていた。
でも、かりなちゃんと、遊んでいる様子を見ると、「この子には、この子のペース、心のキャパシティがあるのかもしれない。」そう感じた、とも書かれている。
当時、土曜日に登校日もあったことから、月〜土曜日の営業にして、日曜日に休みというスタイルにした。
手紙は、家族それぞれに書かれたものと、常連さん宛に書かれたものがあった。
「これは、おばあちゃんから託された、わたしの使命なのかもしれない」
誰もいない店に、急ぎ足で向かった。
手入れがされていないはずの庭は、あの日のきれいなままだ。
「もしかして・・・」
彩芽と連絡を取り、店でイベントを企画したいとお願いした。
特に、常連さん、おばあちゃんが大切にしてきた方たちには、ぜひ参加していただけるよう、お店の再開日からご招待のアナウンスをすること。
営業時間中にお店に来られない方がいることを想定して、その方の目に入ると思われるところに、案内のチラシを掲示しておくことにした。
第10話へつづく