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読書記録『作詞入門』(阿久悠) 3 「じゃあ、俺は」
前回の記事はこちら
前回の記事で「希望の光が見えるような文章を書けるようになりたい」と書きましたが、その後、気づいたことがありました。
阿久悠さんは和田アキ子さんに提供した『あの鐘を鳴らすのはあなた』の中で「希望の匂い」と書かれています。「光」じゃなくて「匂い」です。
一単語を誰もが知っている言葉で言い換えるだけで、潮風が舞い込んだかのように雰囲気をガラリと変えてしまう。表現力に否が応でも唸りますね。
さて、続きを読んだお話に移ります。
阿久悠さんの詞の考え方と書き方
第4章から大きな変化がありました。
第4章のタイトルは「こうすれば詞が書ける––阿久悠作詞学校––」(p143)
序章で「キミにもできるというのは非常にまやかし」など、辛辣な言葉を書いていらした阿久悠さんが「こうすれば詞が書ける」とおっしゃるのです。
この章では、阿久悠さんがどのような考え方で、どのような書き方をしていたについて書かれています。
以前、私は阿久悠さんの詞が好きだと書きましたが、阿久悠さんのすごさは詞の幅広さにあると思っています。個々の詞そのものが好きであると同時に、詞のレパートリーの幅広さに畏怖の念を抱いているというのでしょうか。
その幅広さの根源とも思える内容が書かれていました。
一作一作に、新たな工程を考え、新たな技術を盛りこんでいかなければならない。千変万化の大怪物を相手に取り組み、心臓に近いところを突くとすれば、こちらも動かなければならない
千変万化の大怪物は、時代や聴き手、作曲家、歌手でしょうか。常に変化する時代の一歩先を行く姿勢を持ってらした阿久悠さんの考えが現れている文章です。
すぐにも技術をマスターできる……
タイトルでは「こうすれば詞が書ける」というものの、やはり念を押されています。
この本を読めば、すぐにも技術をマスターできるなどとは夢々思わないで欲しい
昨今、「誰でもできる」「こうすればできる」の言葉がもてはやされ、初学者向けのものほど「すぐにでも実践できる・結果が出るもの」を求められることが増えました。
「できた」と実感してもらうことはモチベーションや満足度のために重要です。でも、基礎がないまま、すぐに結果が出ることだけを持ち帰っても、それ以外のことはできない。できた気になってしまう分、厄介です。
「すぐにできること」を求められた場合、基礎と「すぐにできること」を組み合わせ、バランスを模索してきました。
その点、阿久悠さんはばっさり切り捨てています。でも、甘い言葉で「キミにもできる」という人よりも、阿久悠さんのようにはっきりおっしゃるほうが、誠実で優しいのではないでしょうか。
じゃあ、俺は
個人的に興味深かったのは、オリジナリティに関するくだりでした。
企画、発想、作業と、それぞれが独自の感性、独自のシステムで行なうもの
なるほど、阿久悠というのは、ああいう考え方で、ああいう書き方でやっているのか、じゃあ俺は、と、そこで自分の考え方を出してもらいたいのである。
どんなテーマに取り組んでも、どんな素材に向かっても、たじろがないで、自分の作品として書き上げるためには、どうしても、このたくさんのひきだしが必要になってくるのである。
「キミにもできる」「こうすればできる」の功罪として、そのまま真似をした人による借り物の言葉が氾濫しています。
でも、私は自分の文章として書き上げる気持ちを忘れないようにしたい。そのためには、引き出しを増やし、自分なりの書き方を磨き上げようと改めて思いました。
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