#114 傷を負った人々の強さ
noteを見ていると、心の傷を負った人たちが多いと感じる。
誰かの言葉で傷ついたり、自身の境遇で傷ついたり、あるいは自分で自分を傷つけてしまったり。
かくいう僕もその一人だ。
未だに幼い頃や若い頃につけられた傷が痛むことがしばしばある。
その傷を理由に自信をなくし、内にこもっていた時期もある。
何度もこの世からいなくなることだって考えた。
どうしてこんなに傷を負っているんだと自問自答を何度もした。
けれど、30代も半ばとなり、多少強くなって思う。
この傷があったからこそ、なんとか今を生きているのかもしれないと。
映画「グレイテスト・ショーマン」も傷ついた人たちがたくさん登場する。
そして、その傷を強みに変え、前向きに生きる姿が描かれていた。
「グレイテスト・ショーマン」はこんな話
19世紀に活躍した興行師P・T・バーナムの活躍を描いた作品。
貧しく、裕福な人間からゴミのように扱われてきたバーナム。
幼いころから両想いだった良家の令嬢チャリティと結婚し、二人の子どもを授かるも、仕事が安定することはなかった。
バーナムはそれに挫けずに、沈没した船の登録証を担保に銀行から借金。
そのお金で、奇天烈な剥製を展示する「バーナム博物館」を開館するのだが、やはりそれも客足が伸びなかった。
小人が出てくる童話「親指トム」を聞きながら、娘が言った言葉。
「博物館は死んだものばかり。生きたものを置かなきゃ。
何か奇抜なものを――人魚とか、ユニコーンとか」
その言葉に、バーナムはヒントを得た。
小人症の男、刺青だらけの男、髭をたくわえた女、などなど――
ユニークな特徴を持った人たちを集めたサーカスを作ったのである。
それは、バーナムの成功と新たな波乱の人生の幕開けになったのだった。
心無い言葉と扱いに傷を負った者たち
この作品にはさまざまなメッセージ性が含まれていると感じた。
多様性、差別社会への批判はもちろんそうだし、金に目をくらませば自分を失うことになるというメッセージをも感じる。
その中で、僕がこの作品から強く感じたことがある。
それは、「傷を負った人たちが強くたくましく生きる姿」だ。
バーナムが集めたのは、人とは違う特徴を持った人たちだ。
彼らはその特徴によって、周りの人々から敬遠されて、差別されて、光の当たらない場所でひっそりと暮らしていた。
バーナムは彼らをそこから引っ張り出し、サーカスを成功に導いたのである。
もちろん、そこからずっと順風満帆だったわけではない。
むしろ苦難の連続だった。
サーカスはペテンだの偽物だのと叩かれ、「恥さらし」だと批判された。
さらには物語の終盤、あることがきっかけで、サーカスの本拠地だったバーナム博物館を失ってしまうことになる。
もうどこの銀行も担保してくれない絶望的な状況。
サーカスの仲間たちを落胆させてしまったろうと落ち込むバーナム。
だが、そんな中で言った小人の言葉が、僕の心に強く残っている。
「いいさ、もう慣れっこだ」
彼はそう笑みを浮かべて言うのだった。
その言葉、その表情——
僕は、傷を負った人の強さを見た気がした。
傷を負っても生きる我々は強い
正直に書けば、もうこれ以上傷を負いたくはない。
けれど残念ながら、人生というのは心身に傷を負うことの連続なのではないかとも思う。
傷を負ったときは、それにひれ伏してしまう。
辛くて塞ぎ込み、何もかもが嫌になるときだってある。
悲しいことに平気で乱暴な言葉を使ったり、無視をしたりすることで、僕たちを傷つけてくる人もいる。
そんな人たちに憎しみを抱くときだってある。
けれど、それをなんとか小さくして、我々は今もこうして生きている。
それは、人間の持つとてつもない強さなのではないかと思う。
バーナムのようにとてつもない自信家にはなれないかもしれない。
けれど、傷を負ってもどうにか生きようとする自分に自信を持ってもいいのではないか。
ひとまず今日も生きるという選択ができたこと。
それだけでも自分を褒めてあげよう。