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#109 積極的にサボりましょう

よし、今日も頑張ろう!

と意気込んで仕事に行ったり、学校に行ったり、自分のやるべきことに向かったりする人も多いのではないだろうか。
僕も日によってはそう意気込むことはある。
仕事、note執筆、創作、勉強——などなど。

一方で、最近僕にはとある悩みがある。
その原因が、まさしく頑張ってしまうことなのではないかと思うのだった。

体力切れという悩み

連続投稿100回を機に、note記事投稿を週4~5に減らした。
そのおかげで、いいルーティーンが生まれつつある。

朝にnote記事を一通り書いて、仕事へ向かう。
仕事から帰ってきたら筋トレ
その後、朝書いた記事を見返してから投稿し、note読書
次に勉強をして、寝る1時間前からは読書をする。
休日は図書館へ出向き創作をしたりインプットのために映画を見たり本を読んだり。そこに注力するためにnote記事投稿はお休みする。

今でもコンスタントに記事を書けているし、創作も進められている。
読書の秋だからか、最近読書への欲も再び上がり始めている。
だが、ある程度充実した生活の裏で、悩みが生まれている。

それが「体力が足りない」こと。

課題になっているのが、仕事から帰ってきた後。
勉強や筋トレをする体力が残っていないときがそこそこ多い。

僕は朝型人間なので、朝はとても強い。

朝の立竹落花のイメージ画像
画像選択が間違っているのは重々承知してます

一方、めっぽう夜に弱く、noteを回っているときにはもう瞼が重くなっていることもしばしばある。
周りからは「おじいちゃん」と呼ばれるくらい、夜に弱いのである。

夜の立竹落花のイメージ画像
決して睡眠不足でも徹夜明けというわけでもありませんが

完璧を求めすぎているという意識もあるにはある。
完璧主義を手放すことが、QOL向上に繋がることも重々承知している。
だが、やはりいつかのnoteを書くために勉強はしたい。
そしてもう中年となった今、筋トレをせず体型が崩れるのが怖い。

なぜここまで体力がなくなってしまうのか。
その理由の一つは、仕事を頑張ってしまうからかもしれないと思ったのだ。

「自動的に頑張りすぎる」癖

この悩みと向き合ったときに、恩師に言われた言葉を思い出したのだった。

「立竹君は、自動的に頑張りすぎちゃうんだと思う。
 だから、むしろ頑張らないって決めた方がいいかもしれないね」

自動的に頑張りすぎる。
その言葉が、ものすごく強く僕の胸を打ったことを覚えている。

図書館で働いている自分を振り返ってみてもそうかもしれない。
職場に着いたら、常に全力投球。
休憩時間以外は休まずに、次々に発生する仕事に全力で取り組む。
これこそが、まさに「自動的に頑張りすぎる」ということなのだろう。

頑張ること自体は決して悪くはない。
けど常に全力、常に頑張っていたら、そりゃ帰ってきたらぐったりするのも当然である。

自分自身、真面目という自覚はないけど、周りを見ると真面目な性格の人ほど、自動的に頑張りすぎてしまうのかもしれない。
自分のことを棚に上げて、他人に対しては「そんなに頑張らなくてもいいのに」と思うことがしばしばある。
きっと自分もそういう状況にあるのかもしれない。

ときにはサボるのも大切なこと

もう一つ、恩師からの大切な言葉を思い出した。
これは、今もお世話になっている館長からの言葉だ。
ある日の呑み会で、僕はこのように尋ねられた。

「立竹君さ、ちゃんとサボッてる?

ちゃんとサボッてる――なんとも不思議な言葉の組み合わせだ。
当然ながら「サボってます!」なんて胸を張って言えるはずもなかった。
それにそもそも僕はサボることを悪だと思っていたのだ。
だが、館長は言うのである。

「立竹君みたいな人にはね、サボることは絶対大切なんだよ。
 適度にサボることで、仕事の効率が上がるんだから」

言いかえれば、「頑張りすぎるな」ということなのだと思う。
だが、館長から言われたその言葉で、力の入っていた肩がすっと楽になったのを今でも覚えている。

必ずしもサボることは悪いことではないのだ。
とりわけ自動的に頑張りすぎる真面目な人にとって、サボることというのは善になることもある。

仕事だけが生活の全てではない。
note・創作・勉強——それらにだって力を注ぎたい。

それらをやるための体力を残す必要がある。
だから、頑張りすぎず、積極的にサボッていくとしよう。

けど、どうやって仕事をサボればいいのだろう?
それを今度、館長に相談をしてみよう。


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