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#70 書き続けられることを誇りたい

今日でnoteを始めてから70日目。
参加はしていないけれど、ライティング×ランニングで設けられている66日を超えていることに気が付いた。

いつも書いていることだけど、こうして続けられているのは読んで下さっている方々がいるから。それに尽きる。
そして、この70日間で記事執筆が完全に生活の一部になった。
「夕飯何にしようかな」と同じテンションで「今日何書こうかな」と思うようになったのである。

書き続けたおかげで、自分の文章に少しは自信を持つようになった。
けれど、書き続けることを特段凄いと思ったことはなかった。
まさか70日も書き続けようとは思っていなかったけれど。

だが、継続できていることにも自信を持っていいんだと思うことがあった。
それは、昨日の呑み会での出来事だった。

「自分には何もないなぁ」

昨日は、東京駅近辺の店で男友達5人と呑みに出かけていた。
お酒の話、友達の新婚生活の話、旅行の話、家族の話——
皆話すことがとても上手なので、聞いているだけでとても楽しい。
そして、楽しく話している友達を見ているだけで心からほっこりする。

けれど、心のどこかで友達と比較している自分がいた。

凄いなぁ。僕はそこまでお酒の知識はないなぁ。
結婚に子どもかぁ、僕にはとうていできないだろうなぁ。
いいなぁ、なかなか旅行できてないから羨ましいなぁ。

友達が持っているもの、自分は何も持っていない。
自分って、何もないなぁ。
友達と比べて、自分の空虚さを感じてしまったのである。

その後の二次会。
友達たちは皆エンジニアで、どういう仕事をしているのか、どういうプログラミング言語を使っているのかの話になった。
もちろん僕は全く畑違いの人間なので、友達の補足なしでは話に全く着いていくことができない。

そう、畑違いの人間なのだ。
それなのに、僕はそこでも自分は何も持っていないと責めてしまった。

友達たちは日々難しい言語を学びながら仕事をしているんだ。本当に凄い。
それなのに僕は無知だなぁ。
何もできない人間なんだなぁ。

果たして、こんな何もない僕がここにいていいのだろうか。
ただただ目の前にあるジンジャーハイボールに助けを求めるしかなかった。

そんなときに、僕に「最近仕事とかどう?」と話題を振られたのだった。
僕が今、「最近」を語るのであれば、noteの存在は外せない。
仕事の話はそこそこに、僕はnoteのことを話すことにした。

「2か月前にnoteを始めたんだ。明日で70日目、毎日書いてるよ」

足元に自信の種が落ちていた

先にも書いた通り、僕は毎日書くことが特段凄いことと思っていなかった。
だから何気なく言っただけだった……のだが。

「え、毎日!?」
「70日も!?」
「凄くね!?」

思った以上のリアクションで、僕の方が驚いたくらいだった。
また、友達の一人は、好きなお酒の感想だとか、酒を巡る自分の活動だとかを文章にしたくても、なかなかできないことが悩みなのだという。

友達たちから言わせれば、僕が何気なくやっていること……
文章を書くこと、そしてnoteを毎日更新すること。
それらは、なかなかできるものではないことなのだという。
だから友達たちは純粋に僕のことを褒めてくれたのだった。

それを聞いたとき、僕は思いだした。
いつだって、隣の芝生が青いことを。

そして、同時に思った。
何気なくやっている、文章を書くこと、書き続けること。
それらを自分の自信にしてもいいんだと。

noterであることを誇りに思おう

今回、僕はとても反省した。
まずは友達に対して。
言語を学びながら仕事をし、生活をし、プログラミングのわからない僕も話に入れるよう補足説明までしてくれる優しい友達たちが、僕にはいる。
何も持っていないわけがなかった。

そして、noteでの活動に対して。
書けていること、続けられていることを誇りに思えていなかった。

昨日までの僕はそれを当たり前のことだと思っていた。
けれど、当たり前のことを当たり前にできることは凄いことなんだ。
それを自信にしていいんだ。

継続しなければわからなかったことである。
続けてきてよかった。生活の一部にできてよかった。

文章を書くことができること。
noteを毎日継続することができること。
そして、noterであること。

僕はそれをしっかりと誇りに思うことに決めたのだった。



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立竹落花
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