【短編小説】唇歯輔車の歯車 ~うつ病患者が歯科治療に思いがけず助けられた話~
「根口さんは一度、歯医者に行ってみるのも良いかもしれませんね」
――え、と間抜けな声が出たのは、そう言われたのが思わぬ場所だったからだ。落ち着き払ったベージュ基調の色合いで纏められたシンプルな個室。そこはもう俺が二年も通院している精神科の診察室だった。精神科での受診を開始して、今までも身体的不調が精神由来のものか、別の原因かどうかを見極める為に別の科や病院を受診するよう勧められること自体はあった。だが殊更歯の痛みや顎関節、口腔内に口内炎や明らかな症状が起きていると訴えたわけでもないのにそう言われたものだったから、俺は随分と驚いた。
「歯医者……ですか」
間の抜けた顔で疑問を浮かべオウム返しに聞き直す俺と軽く目を合わせ、主治医の加藤先生は「ええ」と穏やかに答えた。そして「何故」と書いてあったであろう俺の顔を見つつ、手元にあるノートパソコンのキーボードをカタタ、と軽やかに叩き再度口を開く。
「……歯、ここ数年の生活状況を聞き及ぶ限りだと……長らく磨けていないんじゃないかと感じましたので。実際どうでしょう、食後はそのまま寝てしまったり、そこまで気が回せる日でもマウスウォッシュ使用が中心になっているように聞きましたが……」
「……確かにそうです」
「根口さんがここ一年近くで訴えている身体的不調に、アトピー性皮膚炎の悪化、掌蹠膿疱症の悪化がありましたね。こちらは今も皮膚科で治療を継続されていますか?」
――はい、月イチで。答えつつも主治医の意図がまだ理解らない。俺は自分の過去の応答の中で口腔内の不調について触れた記憶を掘り起こそうとするも思い至らず、首を傾げる。
「薬手帳を拝見する限りでは、処方内容も同じまま治療は継続中のようです。体感の症状としてはいかがですか?」
「……出されたステロイドを塗ると一時的に炎症は消えるんですけど……一見治りかけた新しい皮膚の下にこう、すでに……」
――新たな水疱が見える? 言おうとしていた内容を言い当てられ、素直にこくりと頷く。「……それはさぞ痒くて辛いでしょう」と気遣う言葉を掛けてくれるが、それが気休めにならない程度に手足の皮がずるずると剥け、潰れれば透明の粘液が噴き出る様は見るに堪えない。その上見るからに湿疹があろうと一件治りかけの周期だろうと、常に皮膚の下から絶え間なく意識を苛み続ける痒みは拷問と言っても差し支えない程だった。
「それから、内科で糖尿病予備軍との診断も受け、根口さんには食生活の改善も心がけつつ週一回のこの通院を外出の習慣にして頂いていましたね。この体重からであれば食生活を気をつけるだけでも少しずつ体重は減少していくものなのですが……あまり変化が起こらないまま続けるのも心理的に辛いものでしょう。ですから少し……負担の少ない変化を加えてみようかと」
「それで歯医者……ですか」
「そうです。糖尿病も鬱も、肥満も皮膚病も歯周病とは密接な関わりがあると言われますから。……聞き及ぶ限りの生活状況から、根口さんが歯周病を発症している可能性はかなり高いのかもしれない……と判断したので、一度受診されることを勧めます。歯を磨いた時に、歯茎から血が出たことはありませんか?」
――そう言われて初めて、最後に歯を磨いたのはいつだろうと思い至る。その場で沈黙し記憶を掘り返そうとしている俺に、「年単位の記憶でも構いませんよ」と柔らかな声がかかる。
「前に磨いた時……は、出たことあったと……思います……。仕事で時間がなく生活が荒れ始めた時はもう……マウスウォッシュとかになってて……」
「なるほど。マウスウォッシュは口の中がスースーして引き締まる成分も入っていることが多いですから。日常生活を送るだけで精一杯の時に気が回らず、気付かないのも無理はありません」
先生の言わんとしていることが、段々と理解できた。俺の今抱えている不調の原因である過半数の疾患と、歯周病に関わりがあるかもしれないらしい。
(……そんなこと、生きててそう知る機会もなかったな)
人生で、今まで一度だって虫歯にかかったことなどなかった。特に歯磨きなど気をつけた覚えもなくずっとそうだったものだから、俺は一生そういう体質なのだと心の何処かで思っていた。だからいざうつ病を発症し、日々の生活が立ち行かなくなった時も歯のケアなど真っ先に生活から削ぎ落とされていた。削ぎ落とされたことすら気付かないほどに、今までも仕事で忙しい時などはそうだったのだからと簡易的に口を濯ぐ作業に移行されていた。それすらも、出来たり出来なかったり曖昧になっていった。人間は心に余裕を失くしていくと、無意識に取りこぼした日常のルーティンにも気付かなくなるものなのか。先生に今日指摘されて初めて、何年もの時間削除されていた現代人らしい行動項目を一つ失っていたことに気付いた。そうだったかと納得して、続いて降って湧いた疑問に「先生」と問いかける。
「歯医者に行くとして、俺はなんて言えばいいんでしょう。どこも痛くないのに」
それは純粋な疑問だった。今まで明らかに何かしらの不具合があったり、無視できない痛みや痒みがなければ病院には行ってはいけない。そんな常識が染み付いていたからだ。
「そうですね……いま現在うつ病で精神科の受診をしている事を伝えてください。そこで主治医から自分で歯を磨くことが困難なので一度歯医者を受診するように、と言われたと。私の指示で受診を勧められたと伝えて構いません」
「わかりました」
「受診後に結果がわかったら、その次の診察の時に教えて下さいね」
「はい」
ここのところしばらく、なかなか経過も変わらずにいた診察内容にちょっとした変化が加わった一日だった。帰ったその日のうちに、嫌だ嫌だとやる気の起こらぬ自分の意識に喝を入れ、近隣の歯医者を探す。身に起こる何もかもが鬱屈で、こんな指先一つでどうにかなる調べ物くらいで簡単に感情が音を上げる。近隣の歯医者を調べ、出てきた中からレビューで評判を――などと精査する余裕や気力すらなかった。とにかく家から一番近くて保険診療中心の歯科。それでようやく絞り込めた後で、初診の予約電話を掛けなければならないという大きなハードルが待っている。考えただけで吐きそうになる事情を知らぬ他者との会話に、突如として発生した軽くて重い責務に脳の奥が握られたような不快感さえ覚えた。けれども通常ならどんなに頑張っても行動に移すまでに早くとも3~5日は掛かる俺が、その日中に電話をかけることができたのは先生の言葉がずっと引っ掛かっていたからだ。
――糖尿病も鬱も、肥満も皮膚病も、歯周病とは密接な関わりがあると言われますから。
正直そんな都合のいい話があるものかと思った。よりにもよって、俺が今最も苦痛を感じている要素の過半数が含まれていたからだ。そのすべてが歯医者に行ったくらいで解決するなどとは流石に思っていない。けれど、ほんの少しでも改善の糸口があるのなら。そう思ってしまうほどに苦しくて、ほんの少しでも助かりたくて仕方がなかった。藁にも縋る思いで電話を掛けた俺は無事に予約を取り付ける。予約はできたものの、自分の吃りと滑舌のせいで何度も「根口礼二です」とフルネームを根気強く伝える羽目になり、いい年して電話応対の方に申し訳なく消えたくなった。その夜は無理したストレスからか、腹を下し何度も吐いた。
歯医者での初診は、思っていたよりずっとトントン拍子に進んだ。実際「自分で歯が磨けないから来ました」なんて歯科医に告げたら一体どんな怠け者を見るような目で見られ、どれほど叱られるだろうかと思っていたのだ。歯医者の記憶が小学校時代の歯科検診と、歯磨き指導の記憶で止まっていた俺にとって「歯が磨けない」などという一般人からしたら到底信じられないであろう怠惰は侮蔑や叱責こそされ、受け入れられる想像ができなかった。だが実際は精神科の主治医に勧められた旨を伝えたこともあり、何事もなく病状でそういうこともあるものだという雰囲気で接してもらうことができた。未知の環境に逃げ出したくなるほど恥を忍んで飛び込んだ心地の俺にとって、それが何よりの救いだった。そして歯の状態をチェックしてもらったのだが、俺は疑う余地もなくそこそこ進行の進んだ歯周病だった。それどころか、無自覚な虫歯まで見つかる始末。歯周ポケットを測る先端が針のような器具をプスリと差し込まれただけなのに、自分でも引くほど大量の血が出た。針のようなもので歯と歯茎の間をかなり深く刺したのだから血が出て当然だろうと俺は思っていたが、普通の健康な歯はどこも4~5mmスパスパ器具が入るようなことはないらしい。部位によっては6~7mmと言わればところもあり、継続的な歯周病治療が決定した。俺が普通だと思っていた肉付きの良い歯茎は、腫れて血が溜まりブヨブヨとしているだけだった。
虫歯があると言われ削られる覚悟を決めた俺だったが、どうやら半年以上は歯周病治療をしながら様子を診るらしい。そんなに猶予があるということは大して酷くなかったのか……と正直うっすら思いもした。だがその直後見透かしたかのように「土台が抜け落ちたら治療も何もなくなってしまうからね」とニコニコ告げる大久保先生の爽やかな笑顔に慌てて背筋を正すこととなる。
その後に待っていた初めての歯石取りクリーニングは衝撃的だった。歯周ポケットを測る時でさえ思ったが、スケーラーと呼ばれる針のように先端が細いフック状の器具がそんな場所まで入れるのかと思うほど歯と歯茎の間に侵入してくる。ぶよぶよの歯茎から大量の血が出したり、ガリガリと歯の裏や歯間を引っかかれる感触は黒板を爪で引っ掻くのに似た感覚さえ覚えた。隅々まで歯と歯茎の裏側をひっくり返されるような感覚は、いい年した大人でありながら情けなくも命乞いしそうになった。しかし実際進めてもらう程振動と衝撃で口の中の感覚が慣れバカになり、出血は徐々に減る。歯磨きを怠り相当汚かったであろう俺の口腔内は、見事な職人技により、スースーと風通しの良い一皮剥けた歯になった。
鏡で見ると歯と歯の間がやけに空き、歯自体が削れてしまったのではないかと思えるほどだったが、これは歯茎の炎症が収まってくると引き締まって本来の歯の位置を取り戻すらしい。俺が今まで歯だと思っていた分厚い衣は歯石取りにより少し脱ぎ捨てられ、数年ぶりに本来の歯の面影と再会することが出来たのだった。
その後実際に簡単な歯磨き指導を受け、その際に使用した歯ブラシを手に帰宅した。その日一日は歯茎に妙な感覚が残り、噛み合わせるたびに少しズキズキと余韻が響く。けれどもせっかく数年ぶりに綺麗になったらしい歯を失いたくなくて、そして皮膚の痒みなどで気付かなかっただけで相当グラグラしていたことに気付いてしまったのもあり教えられた歯磨きを無理矢理生活に捩じ込むようになったのだった。
しかし何年ものうつ病でそうそう無気力と身体不調の治らなかった俺が、新しく取り入れた習慣をそうそう続けられるはずもなかった。体調不良や落ち込みが酷くそもそも何も出来ないような日は当然ながら歯を磨くことなどもできない。俺はあっさりと挫折した。それでも精神科に通院する日は主治医に歯医者へ通い始めた旨や、歯周病と診断された旨を伝え思い出したように必死に歯と歯茎の間を渡された歯ブラシで磨き大量の血を流した。それでも指導された通りに歯を磨けなかった俺は一ヶ月後の歯医者が憂鬱で仕方がなかった。歯医者は歯のプロだ。歯の状態を見れば俺がどれだけ歯磨きを怠ったかもすぐにわかるだろうと思った。怒られると理解っていて、怒られに行きたい者などいない。そうならないよう努力したり、そうなった以上反省を胸に甘んじて叱られに行くのが普通の一般人なのだろうと思うがそれが出来たら俺はいまだにうつ病なんかやってない。歯磨き一つ言われた通りこなせない俺は歯医者の予約をキャンセルしたくなり、それどころかその電話ですら起こられたり迷惑がられるのではと思いその方がよほど迷惑なのに正直バックレる寸前だった。
しかし幸いと言うべきか、歯医者の予約の前日に精神科の通院があり、主治医に次の予約を尋ねられ俺は素直に答えてしまう。「できれば続けてくださいね」と穏やかな声で念を押す加藤先生は俺の事を数年に及ぶ治療でよく理解っていたのだと思う。 行かなかった場合、精神科に行きづらくなる。二重の義務感で退路を塞がれ、「明日行ったら怒られるかも」がよりも強力な「行かなかったら起こりうる悪い不安」として立ち塞がった。
――言われたのに歯医者に行かなかったら怒られるかもしれない。精神科に通いづらくなる。せっかく築いた主治医との信頼や得られていた病気への理解が無に帰すかもしれない不安。より多くの不安に苛まれる未来より、翌日一回怒られる未来を俺は選んだ。
けれどもいざ二回目の歯医者に行くと、怒るの「お」の字もないほど歯医者の先生方は優しかった。大変なのによく通って来られたとまで心配してくれさえした。叱られるなら最初に謝ってしまおうと、ずっとは継続できなかったことや忘れた頃に思い出しでしか磨けなかったことまで正直に吐いた。
「それでも磨こうと思って、思うだけでなく実際何度も磨けたのだからすごい進歩だ」
まるで小学生男児でも相手にしてくれているかのように、その自主性を褒めてくれた。ずっとやらないと、やろうと思ってやったの間には大きな違いがあると。だから無理のない範囲で、ゼロにしないところから始めてくれたらいいと言われ、ものすごく救われた気分だった。一度で全て綺麗になることなどないほどボロボロになった口腔内環境は、こうして少しずつ治療の兆しが見え始めたのだった。歯を磨けない俺の心身と生活状況を考慮して、その歯科で取り扱われているマウスウォッシュを勧められた。泡立つ歯磨き粉は磨けたような気にはなるものの、細かいところを見落としがちになるので買わなくて良いと前回既に言われていた。今回は俺が市販のマウスウォッシュを適当に使っていたという話から、それがなくなったらで良いのでと勧められたのだ。どうせもうすぐ無くなりそうな上に、たった1000円程度で効果を認められている物を使えるならそのほうがありがたかった。何せ本当に効果のある歯のケア用品、なんてものを調べ吟味する心の労力もない。少量ずつ使用するその緑色のマウスウォッシュ「コンクールF」は、歯を磨けない時はそれを使い、また歯を磨ける日も歯磨き粉は使わず代わりに歯ブラシの上に一滴垂らして歯と歯茎の間をブラッシングする際に使用して良いと教わる。二度目の歯磨き指導で歯ブラシの使い方はだいぶ覚えることが出来た。この日のクリーニングも相変わらず大量の血が出たが、それでも一回目ほどではない。歯磨き指導で無理矢理ゴシゴシと出したわけではない歯茎の出血は、歯周病による炎症なので出る限りは気にせず出してしまう方が良いと聞いた。えんぴつのように持ち、歯と歯茎の間には45度にブラシを当てる。そしてゴシゴシと力は入れず、柔らかく2分程度汚れを掻き出すように磨く。それでも起こる出血は、そのまま出し切ってしまう。つまり今日のこのクリーニングで出血量が幾分か減っているということは、多少は炎症がマシになっているのかもしれない。目に見えた出血というバロメーターを得た俺は、再び挫折しつつも歯磨きに再び挑戦するようになった。
そして歯周病治療が始まり半年程経った頃、俺の生活に小さな変化が起き始めていた。
まず一つは体重が減ったこと。精神科で処方されている薬の分量を調節されている都合上、俺には継続的な体重計測と主治医への報告をする必要があった。体重95~96kg付近を常に彷徨い、BMI30代超えの圧倒的肥満体型だった俺の体重。それが89kgになり、約半年で5%以上の体重減少が起こった俺は処方薬の分量が再調節されることとなった。原因として思い当たる点は勿論ある。できずに挫折を繰り返しつつも出来る範囲で歯磨きに取り組んでいた俺は、まず歯を磨いた後に無駄な食事を取らなくなった。そして夜中にどんなに空腹を感じても、歯を磨き直したくないせいで空腹を紛らわしつつ出来ることが睡眠だったのだ。意図せず食事時間のルーズさ、衝動的な間食、眠れないままに不眠と短時間睡眠が続き気味だった俺の不摂生は夜についてのみだが多少の改善を見せた。そして睡眠時間を十分に取れた日は、医師の食事指導から大きく外れた事をしない限りは異常な空腹に苛まれるような衝動的な食欲が落ち着いていたのではないか。それが主治医の見解でもあった。急な変化に喜ぶあまり意図的に追い込むような食事制限や減量行為を行わないことを指導され、やっと訪れた俺の変化はこのまま様子を見守られることとなった。
もう一つは、掌蹠膿疱症の症状である水疱のできる量が明らかに減ったことだ。以前は水疱が毛穴のように隙間なく出来、潰れれば下の真皮までにクレーターのような気持ちの悪いボコボコとした穴が現れ、そこから際限なくジクジクべたべたとした浸出液が出続けていた。潰れズル剥けを繰り返す患部は常にグロテスクで汚らしく、常にむき出しの真皮部分があるせいで痛くて歩くことも指を動かすこともできない日々が続いていた。入浴するたびに無数のクレーターから水が染み、あるいは家の中を歩くだけでむき出しの患部から体液を漏らし激痛が走る。そんな生きているだけで拷問のような日々だったが、まだ全ては治らないにしろ普通に足を着地できる面積が増えた。拷問のような苦痛に全身を掻きむしる回数が減り、アトピーの炎症範囲も狭まった。この変化は画期的で、椅子に座るか横になるかしかままならないようなおよそ人間の生活とは程遠い激痛で終える一日を過ごすこと日が徐々に減っていった。少しずつ身体の自由を手に入れ活動範囲の増えた俺は、糖尿病予備軍のまま健康指導を受けていた内科の検査数値もマシになっていた。皮膚はまだ周期が遅まり炎症範囲が減っただけで治る兆しとは言えないが、人間的な生活強度を増した俺の心は失いかけていた人間性を取り戻しかけている予感を感じていた。
歯磨きでも、毎月の歯のクリーニングでも徐々に出血が減りつつある。本来の定位置を取り戻しつつあり、少しずつ引き締まっていく歯茎と収まっていく歯列。もしかしたらこの目に見えて改善された口内環境のように、このまま人生が良くなるかもしれない。体調や精神的に思うように生活できず、歯磨きを出来ない日が続くことも勿論あった。それでも歯を磨くことの出来た日数も少しずつ増えた。そして毎月歯医者に通えば、それを認めてくれる人々が待っている。俺の身体の一部を俺自身よりも丁寧にケアし、マイナスをゼロに近付けてくれるプロの人々がそこにいた。俺の歯を俺自身よりもしっかりと診て、歯磨きというちっぽけな努力の軌跡を読み取ってくれる先生がいた。
漠然と生きていて、大人になって。誰かから小さな努力の積み重ねを褒めてもらう機会を得たのはいつぶりだろうかとふと考える。何が出来ても当たり前。不足を責められることはあれど、感謝されることもなく、褒められることもない。それは俺自身が大したこともない無能でどうしようもない中年になってしまったのだから仕方がないのだろう。けれどもそうして心身ともに無茶な仕事を続け、壊れたその時に俺は無能だった時よりずっと社会のお荷物になっていた。どれほど身を粉にして働いても、ほどほどに無能でどこにでもいる冴えないオッサンとなってしまった俺は社会の何処にも居場所がないジャンク品だった。今更何をどう頑張れば、湿疹にまみれた小汚いデブでうつのオッサンが社会の歯車に戻ることが出来るのか。どう考えても詰んでしまったようにしか見えない己の人生に、この先一生誰からも認められず死ぬ踏ん切りもつかず申し訳なく生きていくしか無いと思っていた。何を頑張ってもうつは甘えと謗られ、たった少し身体を動かすだけで感じる激痛も何もかもが俺に怠惰の烙印を押されるだけでしかなかった。昼夜問わず止まぬ苦しみの中頑張って日常生活を送ったところで、誰もその努力に気付いてはくれない。そんな子供時代が終わったオッサンの手元には何の希望も残っていないと、心の底から思っていた。
けれども今からでも少しでもマシな方へと見にくく足掻く俺にも、まだ本気で向き合ってくれる医療という場所があった。精神科での一件から歯医者の受診に繋がれ、生まれて初めてまともに足を踏み入れた歯医者の現場。限られた時間で歯の一本一本に至るまで、歯科医から歯科衛生士の方々に至るまで誰も彼もが芸術的とも思える技術で歯石に埋もれた中から生まれ持った本来の歯の輪郭を彫り出そうとしている。患者以上に患者の歯の事を考え、見えない間の努力の跡まで見出し認めてくれるプロがいる。その少しずつの連続した経験に、後押しされる自分がいた。何度出来ない日が訪れても、投げ出し切れずに元の努力する場所へ戻ろうと思えた。たった半年の通院の間に、俺は歯医者というものに感動していたのかもしれない。汚れ一つ無い白基調のあの清潔な空間に足を踏み入れたその時から、そこでプロの御技に魅せられ心を動かされていたのかもしれない。
毎日痛みと痒みと絶望感から指先一つ動かすのが苦痛で、無様に肥え転がったまま老いさらばえ朽ちて行くしか無い恐怖を抱え他者を妬み羨んでいた俺が。俺は醜い生産性もない生き物から、この歯磨き一つをきっかけにいつか真人間に戻れるかもしれない。そんな期待すら持ち始めようとする自分がいた。
けれども自分に訪れる変化は必ずしもポジティブな予感だけではなかったのだ。更にそこから3ヶ月が経ち、身体と精神の状態には快方に向かいつつある兆しが見えていた。やはり普通の生活が送れない日はあるものの、近いうちに公共職業訓練を視野に入れ始めたいと思えるほどにあらゆる気力が回復しかけていた。そして約7~8年振りくらいに、親しかった旧友中田に誘いを受け「誰かと会って話したい」という今までになかった気持ちが湧いた。恥の概念から生活基盤に最低限必要な買い物や医療機関以外で、ここ数年誰かと会話をしようと思えたことなどなかった俺にとってこれは画期的な進歩だ。
はやる気持ちを押さえ、数年ぶりの1000円カットに向かう。シャンプーのためにマスクを取り、俺は数年ぶりに自分の姿を大きな鏡で見て、鈍器で殴られたような衝撃を受けた。数年ぶりに直視した俺の顔は、その日初対面の担当美容師に粗相なく受け答えしようとぎこちない笑顔でヘラヘラと笑い映っていた。しっかりと髭を剃ったその口元からは、毎月歯科衛生士の方々が少しずつ清潔さを取り戻してくれた歯があった。むしろ歯が全体的に綺麗にされていたからこそ、今まで見えていなかった部分に焦点があたり見たくなかったそれを直視してしまうこととなったのだろう。
俺の前歯には、いくら磨いても落としきれない茶色く汚い歪なシミのような色素が沈着していた。今まで歯を磨かずにいたから、これはきちんと磨けば落ちるような汚れの一つだと思っていた。けれども少し黄ばみはありつつも白く磨かれた歯と、健康的な明るい肉色に戻った歯茎とのコントラストの中で歪に主張する不潔の象徴のような大きいシミ。これはいわば俺が自分を顧みなかった何年もの間に蓄積した、俺自身の人生の汚点だ。この前歯を一目見れば、俺という人間がどれほど怠惰で不潔な生活を長らく送っていたことかすぐに理解るだろう。途端に恥ずかしくなった俺は不自然に口を閉ざし、その後どんな風に帰路についたのか覚えていない。俺は恥ずかしげもなく他人と会えるような見てくれなどではなかった。年齢が年齢だから、体型はまだ言い訳が通る。体重自体順調に減っていたし、やや小太りでも清潔感に気をつけた中年はいくらでもいる。臭いや清潔感にしてもそうだ。努力次第ですぐにでも改善に取り組む方法がある。けれど歯は違う、と思った。俺は俺の前歯に出来た汚点、この茶色く汚いシミがどのようなものでできていたのかうっすら心当たりがある。
社会に出てからずっと、貧困から脱する為にがむしゃらに働いてきた。時には疲れた身体にムチを打ち、栄養ドリンクやカフェインにモノを言わせて朝から晩まで馬車馬のように働く社畜だった。コーヒーは一日何杯も飲んだし、最後の方はコーヒーだけでなく栄養ドリンクなしで日常生活を回せない身体になっていた。パリパリに乾いた唇は裂け、いつも前歯には唾液と血と飲料物の混ぜ合わさったようなぬるぬるとした粘液がこびりついていた。人と話す前にはいつもそれをティッシュで乱雑に前歯を擦るように拭き取り、それでも毎日前歯は汚れていた。家に帰りひとしきり恥と後悔で落ち込んだ後「前歯 シミ」と打ち込んだスマホを呆然と眺める俺は、そこに書かれた原因のおよそ全てに思い当たる節しかなかった。
(……そうか……俺のせいか、そりゃそうだよな)
どれだけ歯が綺麗になろうともくっきりと残る俺の汚点は、どう言い繕おうとして俺自身の落ち度でしか無い。社畜として自分を顧みなかった何年もの間、そして心身を壊し顧みる余裕すらなかったうつ病での何年もの期間。俺がこの先どんなに一生懸命努力しようと、俺が努力できないどうしようもないクズだった烙印はそう簡単に消せやしない。プロの手で定期的にクリーニングを行っていても消えることがなかったこのシミはつまり別格の手遅れというやつだろう。そうした手遅れのシミを消しされるかもしれない方法を調べ、その予算を呆然と見つめる。人生のツケに対する精算なのだから、これくらい請求されるのは当然だ。けれども退職し細々と貯金を切り崩し暮らす俺にはそんな余裕などない。この汚点を消し去るためには、この汚点を抱えたまま金を稼げるまで生きていかなければならない。ニタリと広角が広がっただけで、前歯の中心に汚物の固まりのようなシミが見える。こんな状態で、俺と話す誰かは不快に感じることなく話せるのだろうか。何も知らない俺だったら、事情も分からず自分を棚に上げ「うわ、なんだこいつ汚ねぇな……」と思うことだろう。久方ぶりの中田からの誘いを、俺は病状を理由に心底謝りながら断った。それでも労ってくれるかつてのままあっけらかんとした言葉が、ただひたすら胸に刺さった。
そこから約二週間程度、俺は寝込むように何も出来ない人間に逆戻りした。一日、一日と過ぎるたびに何もかもがどうでも良くなっていくような感覚と、時間を無駄にしてしまった罪悪感と、積み重ねた努力を自分で崩した後悔が募る。
けれども二週間を経たあたりで、歯茎にムズムズとした耐え難い痒みを感じるようになった。気付けば俺はいつの間にか、二週間以上歯磨きをせずにいて何の違和感も感じない人間ではなくなってしまっていたのだ。何年もの間あれが歯磨きを生活から取りこぼしてもそのままでいられたのは、それよりもずっと酷い胃痛、吐き気、疲労、倦怠感、皮膚の痒み、痛み、頭痛――数え切れない苦痛に麻痺して歯茎の微々たる異変など感じ取る余裕すらなかったからだろう。けれどもその全てが緩やかにけれども確実に軽減しつつあったことにより、俺は普通の感覚を取り戻してしまった。身体を壊す前にはもう戻れないと諦めていた俺なのに、いざ生活を放棄すれば身体を壊しきった元の生活にも戻れなくなっていた。歯と歯茎の間を這い回るような、耐え難いむず痒さがそれを証明している。
――そうか、そうなのか。どんなに元には戻れなくとも、努力の積み重ねを放棄するのも駄目なのか。一度噛み合ってしまった歯車は、抜くことのほうが難しい。軽減された苦痛により生活水準まで上がってしまった俺には、今更どん底に戻る根性すらなかった。二週間ほとんど寝たきりのように投棄された身体は、立ち続けていいるのも難しい。やっとの思いで風呂場から洗面器を、洗面所から歯ブラシと口を濯ぐコップに水を入れ引っ掴み、床に座り込む。粘ついた腔内に濡らした歯ブラシをあて、泣きながら歯を磨いた。鼻から流れる涙と、噎せ返るような血の味と歯垢の臭いに、ゲェゲェと吐きながら磨き続けた。洗面器の中が、僅かに泡立った唾液と、胃液のような酸っぱい臭いとそれを真っ赤に染めていく吐き出した大量の血液でいっぱいになる。涙も、鼻水も、痰も、血も、汚物も、細菌も、全てが洗面器に流れ落ちる。俺の口の中はこんなにも汚い。
――歯周病により優しく磨いても起こる歯茎の出血は、出るなら出してしまったほうが良い。
(確かにこんなもの、出し切ってしまった方がいい)
自らの口から出た血と汚物の総量を洗面器の中に集め、初めて真正面から見た。戻れないというのなら、先が見えなくとも続けるしか道はない。歯医者で買った濃い緑色のマウスウォッシュを、歯ブラシに数滴垂らしゆっくりと磨き直す。吐きながら、泣きながら、ようやく歯を磨き終えるまで気付けば一時間が経過していた。たかが歯磨きに一時間も奮闘するような人間に、出来ることなどあといくらあるだろうか。口いっぱいに水道水を含み、口を濯ぎ何度もうがいをする。洗面器を水で流し綺麗に洗い、コップと歯ブラシを洗う。血のついた口の周りを洗い、涙でかぴかぴに乾いた汚い顔も水で洗う。憑き物でも落ちたような気分だ。生活に歯磨きが身についたところで、出来ないことの方がずっと多い。それでもやるしかないのだ。どんなに嫌で投げ出したくとも、ガタがきたこの身体で生きていくしか無いのだ。
一週間後の歯医者への通院。ぶり返したように少し歯茎を腫らした俺に、大久保先生は少しも嫌な顔をせずいつも通り検診をしてくれた。「具合が、悪くて……歯磨き出来なかった時が……」とぼそぼそみっともなく言い訳する俺に、「生きてりゃそういうこともある」と先生は笑った。
「出来るようになったら続ける。それでまた来月ここに来て、途切れながらでも続けていれば良くなる。その繰り返しが案外普通になれば上出来ってね。どうしたって生きてる間、歯は失くさなきゃ一生ものだから」
――中には失くしちゃう人もいるけどね。ついこの間までそれを放り出しかけていた俺がぎこちなく口を引き攣らせていると、先生は寂しそうに笑った。
「人間は虫歯で歯を失くしても差し歯や入れ歯でそれなりに生きていけるけど、野生動物だったら死ぬしか無いからねぇ……現代じゃわかりにくいけど、歯がなくなるってのは全身や生死に関わる大ごとなんですよ。まだ歯があるなら大事にしたほうが良い。大事にしようと思ってくれている限りは、助けようがあるからね」
――今日はクリーニングして、来月また様子を見ようか。助けたい、と思ってくれている。見放されてないという事実が胸にぐっときて、「……はい」と下げた頭を上げるのに少し時間がかかった。その日も例に漏れず朗らかな熟練の歯科衛生士さんがやってきて、やはりいつも通りに見事な手際で何でもないように掃除をしてくれた。けれどこの日はいつもよりややかかる時間が多かった気がする。
「歯磨きね、続けてくれてるからついた歯石も柔らかく取りやすくなってますよ」
目元の布で表情は伺い知れないが、明るい声が胸にしみる。
「今日は少しだけ、長めにしますからね。途中辛くなったら手を上げてくださいね」
――はい、と発音しきれない開きっぱなしの間抜けな声で返事をする。歯と歯茎の間をクリーニングした後、歯の表面にも振動が加わりなんとも言えない感覚を味わう。歯石をしっかりと取った後、歯磨き粉のような味のついた円形ブラシで歯の面を磨かれた。歯石取りの後ざらつくことの多かった歯の裏が、数年ぶりにつるつるとしている。今までも歯の面の歯石取りはあったが、状態が酷かったのもあり歯と歯茎の間も少しずつ綺麗にする必要があるとは聞いていた。一つ段階が進んだのだろうか、とぼんやり思いながらうがいと会計、それから次回予約を終え歯医者を後にした。
帰宅して水を飲みながら、こざっぱりした口の中にふと意識が向いた。つるつるとした歯列の裏を下で確かめるようになぞり、なんだか一皮剥けたような感触を味わっていた。ふと、その美しい仕事跡を見たいという気持ちになり、洗面所に立つ。もう何年もまともに磨けていない、白い水滴跡と埃っぽい鏡を捨てていい襤褸布で拭き上げ僅かな鏡面を蘇らせる。そこで口を開けたまま、俺は目を見開いた。
前歯の汚点が、茶色いシミが消えていた。真っ白とはいかないが、やや黄ばんだ歯と血色の良くなった歯茎。歯茎はまだ少し下がっているが、誰が見ても人目で不潔とわかる俺の不摂生の烙印ともいうべき汚点が消え去っていた。歯科衛生士の担当の方は、今日も何も言わなかった。いつも通り、予定通りの丁寧な仕事をしてくれた。だが前歯のシミは消えていた。シミのない前歯を呆然と眺め、気付けばボロボロと涙を零していた。いい年してみっともなく、声を出して泣いた。俺が気付くずっと前からあの汚い歯を見ていたあの人達は、俺が思うよりずっと長く時間をかけて俺の歯と向き合ってくれていた。いつかはあの汚いシミも取り去るところまで、俺が通い続けることにかけて、俺が歯磨きを続けることにかけて。
次の月もその次の月も、俺が通えるかも分からずにいた頃からずっと、長い長い時間をかけて俺の歯を良くし続けてくれていた。俺が腐っている間も、ずっと。ただ真摯に継続的に、一種の芸術とすら思えるその繊細な手際で。長年のツケで塗り固められた歯石から、俺の歯を彫り出してくれていた。
――中には失くしちゃう人もいるけどね。あの時の先生の表情が、脳裏に蘇る。
(……失くしたくないなぁ)
何処もかしこもガタがきた部品だらけのこの身体の中に、失くし難いものが残っていることに気付く。失くしてしまったと思っていたのに、失くしたくないものだばかりだ。四隅にうっすらヒビの入ったの入った傷だらけのスマートフォンを手に取る。LINEのトーク画面から先日断りを入れたばかりの中田のアイコンを探すと、新着メッセージの通知が何個がいくつも溜まっていた。
そこには俺の体調を案じるもの、断りに対して謝らなくていいと言うもの。それから体調が少しでも大丈夫な時があればやっぱり会って久しぶりにバカ話がしたい、ともあった。
「お前ん家の近くにショッピングモールあったろ、そこで今月末駅弁フェアやるらしい! イートインもトイレもあるし、具合悪くなってもすぐ帰れるし。今回は無理だろうけど、元気出てきたらでいい。そういうのでいいし、そういうしょーもない用事で飯食って帰るのまたやろうな!」
鼻の奥に流れた水分にツン、と鈍い痛みが響く。俺がしょうもない理由で勝手にのたうち回って断りを入れたのに。くしゃくしゃの顔で「ごめんやっぱり行きたい」、「何度もごめん」と重い指先で打ち込み送信した。昼時だったせいかすぐに既読がつき、「よし! いこう!!!!!」と返信がきた。数年ぶりに、誰かと会う予定ができた。
(……掃除を、しよう)
もう何年も触っていない押入れの戸の埃を払う。ジャージ、パーカー、スウェット、冬用のジャンパー、ヨレヨレのTシャツ――同じものだけを着て開かずの間になっていた押入れを開けて。ほとんど虫食いやカビにやられているかもしれないが、それでも無事なものがあるかもしれない。無事なものは洗濯し直して、着られる服があるか探して。無事なものがなくても、全部捨てて、少しずつやり直そう。人間に戻ろう。大事にしなきゃいけないものが、思っていた以上にまだ人生に残っている。歯も、友人も。まだある。今から思い出して大事にしても、まだ間に合う。
埃っぽい押し入れの扉の奥から、服と一緒に昔中田と互いの初任給祝いで一緒に買った時計の箱が目に映る。おもむろに手を伸ばし、うっすらついた埃を払い箱を開けた。退職以来しまい込んでいた腕時計は、当時最後の余力で汚れを拭きありったけ詰めたシリカゲルのおかげか寸分変わらぬ姿でそこにあった。時が止まったままの時計をゆらゆらと揺らす。自動巻きの時計は息を吹き返したように精密に時を刻み始め、脳裏に当時の記憶が蘇った。
大事に使えば一生モノだと選んだあの日の腕時計。 大切にされた記憶と時間は、人の一生を共にしても物の中に残り続ける。歯もそうなのかもしれない。大切に扱われた記憶は、失わない限り生涯残る。俺がどう扱ってきたかだけじゃない。あの芸術的にも見えた美しい技術で彫り起こされた軌跡が、口の中で彫刻のようにずっと残り続けていく。少なくとも、俺がそれを大事にしようとし続ける限りは。
きっかけは精神科でもらった。そこから繋いだ歯科治療で、色んなことに気付かされた。機械のように働き壊れ化け物となってしまった俺は、もう一度人間に戻る機会を得ることができた。何か一つが欠けていても、歯車は回らなかった。歯の治療を受けなければ、他の治療も滞ったままだったことだろう。あってもなくても誰も困らない、そんな社会の歯車として俺は一度終わった。そんな俺でも、人間を形作る身体の歯車は、一つとは行かなかったらしい。今からでも、取りこぼさずに済むものだけでもせめて死ぬその時まで大事にできたら。壊れてからぼんやりと霞がかることの多かった俺の脳内で、何かがカチリと音を立て噛み合った気がした。病院予約しか書き込まれることのなかったカレンダーの右下には、来月頭に書き込まれた歯医者予約の印が見えた。ボールペンを手に、手前隣の月末をぐるりと円で囲む。その日動き出す何かを思い、そっと腕時計を拭いた。
(了)
参考サイト
歯周病/日本歯科医師会
https://www.jda.or.jp/park/trouble/
歯科医療の現場から お口の健康と全身の健康の関係/日本歯科医師会
https://www.jda.or.jp/happysmile2021/shikai/
神経系薬剤 歯医者さんに伝えていただきたい病気と薬/日本歯科医師会
https://www.jda.or.jp/park/relation/medicine_disease02.html
歯周病対策!歯ブラシ活用テクニック/日本歯科医師会
https://www.jda.or.jp/tv/54.html
掌蹠膿疱症と歯周治療/科学技術情報発信・流通総合システム(J-STAGE)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/perio/60/3/60_131/_html/-char/ja