信用とは紙切れを積み上げるようなもの。選択ミスで簡単に吹き飛び、消えてしまうもの。
どうも、まあまあ大企業で中間管理職をしているライジングです。
最近私のお店で金銭トラブルが発生しました。その内容はというと実際の売り上げた金額と入金額が合わないというもの。(細かい内容は伏せます)
しかも累計すると約50万近くも・・・。これは困った・・・、ということでその店舗で働いている部下に事情調査が入ることになりました。
本人はやっていないと言い張っています。もちろん私も信用したい気持ちはもちろんあります。証拠はありません。探しても出てきません。しかしなぜか心の奥底で部下のことを若干疑ってしまう私がいる。
このような事態が発生した時に疑われてしまう人間と信用される人間とは何が違うのでしょうか?私は信用とはまさに紙切れを積み上げるようなものだと思っています。
信用と信頼
まずそもそも論ですが、信用と信頼の違いをあなたは理解していますか?部下をお持ちのあなたは説明することができるでしょうか?
改めて説明させていただくと「信用」とは過去の行動や成果を評価して確かなものであると受け入れることを指します。
一方、「信頼」とはある人物に対して、未来の行動を信じて期待することを指します。
つまり簡単に言い直すと「信用」とは過去〜現在までに作り上げてきたものであって、「信頼」とは未来を託してもらうことを意味します。
過去の行動を振り返ってみる
話を戻しましょう。今回疑われている私の部下は「なぜ疑われているのか意味がわからない、そもそも何もやっていないのに、何もとっていないのに」というスタンスです。
気持ちは痛いほど理解できます。私も無実の罪で犯人扱い、あらぬ疑いをかけられて、そのような目で見られると想像しただけで腹立たしい気持ちにもなります。どうしようもない悔しさもこみ上げて来るでしょう。
しかし冷静に考えてみると、そのような目で見られるということ=過去にそのような目で見られても致し方がない行動を取っているということが基本的には大半です。つまり過ぎさった過去であっても中々人々の記憶から過去の誤った行動や選択を消し去るというのは難しいということです。
過去のあなたのことを知っている人間が現時点のあなただけを見てすべての評価をしてくれるというのは本当に一握りの存在だけだと社会の中で身にしみて感じることがあります。過去の失敗を覆そうと日々信用と言う名の薄紙を一枚一枚積み重ねるように努力をしてきたとしても、あなたのほんの一瞬の誤った行動や選択ミスが薄紙を吹き飛ばすような命取りとなります。
思っている以上に人はあなたのことを見ている
そんな私の部下も過去の行動から疑いを中々晴らすことができない人間の1人です。ノリがよくて、背丈もあり、誰とでもコミュニケーションが取れて、人情味溢れる男ですが、最悪なのは女癖と酒癖と金銭感覚の低さです。
いくら良いところが沢山溢れかえっている人間であっても、いざという時に見せる全く他人に理解されていない行動や判断を選択した瞬間、またたく間にその人に対する考え方や見え方、付き合い方を人間は器用にバレないように変化させていくものです。
つまり人間はあなたが思っている以上にあなたのことを見ているということです。
仕事もプライベートも誠実さが大切
私は仕事もプライベートも誠実さが結局一番大切だと思います。
例えば仕事でこんな人がいるとしましょう。Aさんは仕事がめちゃくちゃできて、頭の回転も早い、何を相談しても的確にアドバイスをくれて、どれだけ仕事がっていようとしっかりと納期までには終わらせる優秀な人間です。もちろん日頃の行いもよく一般的に正しいと思われることしか行わない人間です。
しかしそんなAさんにも欠点があります。優秀が故に人に厳しすぎて、更に愛情表現がヘタで、とにかく社内では嫌煙される存在。優秀すぎるが故の悩みを持っていました。
一方Bさんは仕事は適当で、時間にもルーズ、人から借りたものはすぐに返すことを忘れ、社内の女の子に手を出しまくって、組織にいるにも関わらず、なんでも私物化、普段から浪費が激しく常にお金は持っていない、そして自分のやりたいことしか基本的にはやらない人間です。
しかしそんなクズ代表のようなBさんですが、コミュニケーションを取るのは非常に上手で、人情味もあり、得意の話術で部下の心も癒やしたりと、部下も楽しい存在、兄貴分として一定の人気もしっかり獲得しています。
普段から当たり前の仕事をしっかりと遂行しているAさんからしたら、なんでBさんみたいな人があのポジションにいるんだよ、という感情にもなってしまうほど人生の生き方が上手なBさん。もちろん組織としてはどちらもいてくれないと困る役割であり、非常に大切な存在です。
しかし組織にとって大切な存在である2人ですが、こと信用という部分に関しては大切な存在を飛び越えた目線で見られるという事実があります。
いざと言う時に信用される人間
そんな時に発生したのがどこかに消えてしまった50万円問題。その時に店舗にいたのは優秀だけど人気のないAさんと、クズだけど人情味が売りのBさんでした。
外部犯の犯行の可能性もありますが、まず疑われるのは内部からです。今回対象となるのは一旦AさんとBさんです。この時あなたはAさんとBさんまずどちらから疑いをかけますか?
きっとほとんどの人がBさんだと思います。そして驚くことに普段Bさんと仲良くしている、Bさんの部下ですらAさんがやったと思うという人は誰一人いなかったのです。(つまりあれだけ仲良く一緒にいたり、仕事をしていても部下の子たちは上司の働きを実は冷静にしっかりと棲み分けて見ている。)
嫌われ者のAさんは実は嫌われているのではなく、ただコミュニケーションが取りづらいだけであって、仕事ではメンバーから確実な信用を得ていたということがよくわかる結果となりました。
薄紙を積み上げる
信用とは正に薄紙を積み上げるようなものだと思います。中々すぐにはメンバーに認識されるものではありませんが、一枚一枚毎日少しづつ確実に誠実に当たり前のことをやる。そして気付いた時には莫大な量の紙が積み上がっている状態が完成する。しかし注意しないといけないのは信用とは結局紙のように軽くて、脆いもの。1つの判断ミスや感情で起こしてしまった行動によりすぐに吹っ飛んで0になってしまう。そしてまた1から積み上げる作業が始まる。
私は思います。周りにはすごく良いメンバーが多いですが、それと同時に努力しているにも関わらず自分からその薄紙を吹き飛ばす行為をしていることに気づかず、結局プラスマイナス0にしてしまっていることに気付いていない人が多すぎることを感じます。
非常にもったいないなといつも感じます。だから仕事では誠実さが非常に大切だなと常に感じています。誠実さとは、ただただ良い人、優しい人、自分にとって良い人ではなくやはり相手のことを思って、相手の立場を考えて、相手のために発言や行動ができる人だと思います。
あなたは自己の努力と同時に相手のことや、相手の利益を考えた行動を取ることができているでしょうか?またもしあなたの周りにあなたのことを思って意見してくれる人などがいないのであれば、普段の行動の結果、気付いたら裸の王様になってしまっている可能性があるかも知れませんね。
とかく信用とは日々の積み上げです。そしていかにその薄紙を積み上げながらも、失敗した時に0やマイナスにするのではなく、微減させた状態で更に積み上げていくことができるのか?が人生の大きなポイントになると私は思っています。
例えば仲間が会社を企業して、その時にあなたの普段の仕事っぷりからあなた自身誘ってもらえるメンバーの1人だという自信はありますか?人間は実は根底の誠実さをよく見ています。不安因子、危険因子がある人間は結局いざと言う時に省かれます。つまり人間は最終自分の利で判断するからです。ぶれない気持ちで当たり前のことをしっかりやることは実は未来の信頼を獲得する一番の早道です。
目の前の欲が実は信用の積み上げを崩壊させることを今回の件で私は改めて心に刻むこととなりました。私もまだまだですが、これからも1枚づつ信用という薄紙を積み上げていきたいと思います。
それではまた次の記事もお楽しみに〜。