ただ、話を聴いてもらうこと。それが「愛」という心の薬になるのだ。
ぼちぼち、バレンタインデーですね。
「愛」について。なんて、日々生きてて考える事ありませんが、これだけ街にハートマークをしたチョコが溢れていると、ふと、そんなことを考えてみたりします。
と、いうのも、読書会の次回テーマが「愛」というお題だから、というのもあるんですが。
「愛」と聞いて、思い出すのはこの本です。
「ラブという薬」。
いとうせいこう氏と、星野概念氏の対談なのですが、この二人は、患者・主治医。という関係性でもあるのです。星野概念氏は、精神科医であり、いとうせいこう氏が所属するバンドのサポートギタリストでもあります。
そして、本書のなかでいとうせいこう氏が「傾聴って愛だよなって思った」と話しています。
私自身、精神科看護師として働く中で、この「傾聴」=「愛」というところに深く共感します。
人は誰しも、他者と関わる中で「何らかの役割」を担っています。親と接すれば子になり、夫といれば妻になり、上司の元では部下となり。そして、自然とその「役割」を期待され、自分自身も相手にその役割を全うすることを期待します。
その期待の中には、欲求や要望が含まれ、自然と自分の求める「役割」に相手を当てはめようとします。これは、誰しもが持つ自然な現象だと思います。
しかし、そうすると、相手に対し、「善悪」や「優劣」などのジャッジを下してしまうことが多くなります。「なんで親なのにこうしてくれないの」「夫なんだからこれをやってよ」とかよくありますね。ええ、自分もいろいろと反省するところがあります…はい。(笑)
そうすると、相手の言葉をただ聞く「傾聴」ってのがなかなか難しいのが現実です。
そのような「役割」からいったん離れて、相手の存在を何らジャッジすることのない第三者にただ話を聴いてもらう。その一つの場所として、精神科やカウンセリングがあるのだと思います。
人から見れば、理解できないような選択でも、その人の事情や背景を知ると、その言動が理解できる事って結構あります。その時々で、人は自分なりの最善の選択をしているものです。本当に、人それぞれが、様々な事情や不都合を抱えて生きているんですよね。
その人の考えや判断を、肯定的に受け入れようとすること。そこに至った、様々な背景や事情があるのだと想像すること。そして、何もジャッジせず、その人の話をあるがままに捉える事。
「傾聴」は、相手に成長や変化を求めません。
「あなたが今どんなふうでも、それはそれでいい。」
という態度です。
この態度こそ、「愛」なのだと思います。そして、これが、なにより傷ついた心の薬になったりします。何事に対しても「ジャッジ」を下さない。曖昧なものを曖昧なまま受け入れる。そんな在り方が、時に誰かを救い、そして自分も救われているものです。
素敵なバレンタインデーを♪
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