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私から見たおばあちゃんの記録(5月)
5月4日
病院から連絡。痰がだいぶ絡んでいるので吸引器を使いたいのだが嫌がるので家族から説得さてほしいとのこと。
父も以前使ったことがあるそうで、本当に無茶苦茶痛いらしい。この説得係に叔母が任命され、私もしばらく会っていなかったのでついていった。
面会証をつけて、先に叔母が病室に入り私は休憩所で待った。
しばらくして叔母が戻り
「全然納得してくれんわ〜ことちゃんからも言ってみて〜」と言われた。ぎょ
私から見たおばあちゃんの記録(4月まで)
おばあちゃんは元気だった。
足は悪くなっていたけど頭はとてもしっかりし
食べることが大好きだった。
今年に入ってからは数えるほどしか会ってなかったと思う。
2月、コロナが流行り始め、おばあちゃんと直接会うのを避けていた。
3月13日、おばあちゃんがこけた事を父がLINEで知らせてきた。
「おばあちゃん、昼に転んで骨折しました!今、病院に来ています。命には全く心配無い様子」
高齢者の横転
5月9日 お葬式と火葬
お葬式は11時から。
死後も2日経つと、やはりおばあちゃんの顔つきがだいぶ変わってきた。
今更だがうちで作ったおばあちゃんの祭壇(?)は、なるべくお金をかけずシンプルに、でもお花だけふんだんに使って下さいというリクエストをし、とても綺麗な祭壇になっていた。
おばあちゃんはお花が好きだったのでとても良かった。
昨日のお寿司屋さんが、生前お世話になったからとおばあちゃんにちらし寿司をプレゼント
おばあちゃんが亡くなった日
5月7日の木曜日の早朝
おばあちゃんは亡くなった
おばあちゃんの元に家族が揃ったところで
医師がおばあちゃんの脈や瞳孔を再確認し
令和2年5月7日6時42分 ご臨終です
と言った
本当に言うんだな、と思った
また、亡くなった瞬間ではなく医師が確認した時間が死亡時刻となるそうだ
人が亡くなるといきなり葬儀の準備が始まる
分からないことをその場で質問などし
ひとまず全員うちの家に戻
おばあちゃんが亡くなるまで
3月13日
かかってきた電話を取ろうとして歩行器ごとこける
病院A
3月半ばすぎ、複雑な骨折の仕方をしてると判明したためリハビリ施設がついてる老人専門の病院に入院する
高齢のため心配だった全身麻酔の手術も無事終了、術後から意識は明瞭。
4月16日
ストレスで十二指腸に穴が空き緊急手術
4月19日
脈拍が190まで上がり病院Bへ転院
理由は脱水症状と栄養失調。
入院していたにも関
おばあちゃんの今まで
おばあちゃんは二世帯住宅で一緒に暮らしており、
足が悪く家の中も歩行器でヨロヨロと歩く状態だった。
毎朝父が朝食を準備し、週に2回ほど父の妹が身の回りの世話をしに来、
リハビリや福祉関係の人が来る際は母が対応していた。
それでもベッドからの寝起きや、お手洗いは一人で出来たので
基本的には1人で暮らしていた。
3月13日、電話がかかってき、受話器を取った瞬間、歩行器ごと転けた。
すぐさ