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EP.1 上場企業の理系研究者が、25歳で介護事業をフィールドに選んだ理由

◆プロフィール

株式会社RARECREW(旧社名:㈱いきいきらいふ)
 代表取締役 日下部竜太

社団法人全国介護事業者連盟 東京支部幹事
 通所サービス在り方委員会 副委員長
 介護人材の円滑な確保検討部会 部会長

社団法人日本デイサービス協会 顧問(元理事)
 運営ガイドライン部会 部会長
 研修セミナー担当チーム

厚生労働省 老健事業 通所系サービスにおける入浴介助に関する調査研究
           事業(令和3年~5年) 委員
厚生労働省 介護事業所におけるデータ連携による生産性向上に関する調査
      研究等一式 データ連携促進モデル部会 委員

【10秒自己紹介(概略)】※お時間の無い方はここだけ読んでください
工業大学を卒業後、電子部品メーカーに就職し、産業技術総合研究所に出向すると共に電子機器部品の研究開発職に従事。2002年、25歳の時に大学時代の同級生に強引に誘われたことがきっかけで、運命的にシニアサービスの世界に出会い起業に参画。無資格・未経験・未勉強のど素人として介護事業の立ち上げを行いその後、複数事業・店舗展開にて現在は21店舗の運営とシニアマーケティング事業の経営者として活動。顧客ニーズの抽出に重きを置き、新サービス開発を行うスタイルを原点とし、現場心理を熟知しながらビジネスモデルを設計。事業の標準化、仕組み化を得意とし企業顧問やコンサル、セミナー講師などの依頼を多く引き受けております。業界団体の要職も頂き、政府、行政機関との意見交換や政策提言も行います。

 福祉にも介護にも高齢者にもなんら興味はありませんでしたが、25歳の時に起業という飛び級にて介護現場に足を踏み入れました。
 目の当たりにした、社内、社外問わず介護現場の人材のビジネススキルの低さに辟易。面接すれど、面接すれど、まともなビジネスマンには遭遇しませんでした。そういった背景から介護人材に対するビジネス教育プログラムを構築。

部品メーカー(上場)研究開発職→介護事業起業→現場介護職→管理職→経営幹部→経営者・業界団体幹部(いまここ)

現場からの企画提案に対し、「それ、面白いか?」と聞き続け、新しいもの、面白いものをベースに事業展開。「再現性」と「標準化」が口癖の風変わりな経営者です。

 社会に出てから20数年、石橋をたたいて、たたいて、叩き壊して渡らない感じの超保守的だった私が、安定の代名詞のような上場企業の理系研究者からリスクしかない起業をしたナラティブ(それも未経験な福祉・介護の領域で)が誰かの気づきにつながればと、不定期に体験談含め綴っていきます!!

 今ではシニアビジネス企業の社長や協会の理事なんて肩書で活動し、多方面から評価やオファーを頂ていますが、学生時代はは夢やビジョンなどを全く考えずに世の中を斜めにみて、行動してきたタイプです。目の前のことは責任感をもって行いますが、完全な現実主義。学生時代から「クールドライ」のイメージを持たれていました。

◆社会人スタートでの挫折

 就活当時は、現在社会問題になっている第一期就職氷河期の底だった時代ではありましたが、有難いことに複数社から内定をもらえた為、さほどの苦労はありませんでした。鶏口牛後の言葉の通り、大手より中小企業の方が面白い仕事ができそうということで、中堅部品メーカーに就職を決めました。現在の就職活動とは時代が異なり、インターネットの普及期で、自身の足で直接情報を得なければならない時代です。

 自分の興味分野や大学の専攻を活かそうと企業を選択したのですが、夢やビジョンを持ち合わせていなかった為、入社後早々に壁にぶち当たります。真面目や責任感だけでは、新しいことを生み出すには全くの力不足。上司との衝突もあり、心が疲弊していきました。

社長の新卒時代 エピソードシリーズとしてまとめています。いろいろやらかした話ばかりですが・・・、お楽しみ頂けるかと。


◆介護・福祉業界への起業のきっかけ

そんな私が、福祉・介護業界にいるきっかけは、2002年25歳の時に同級生に強引に誘われて、踏み入れたことでした。

とは言え、起業なんて人生の選択肢にない超保守的な私がすんなり受けるわけもなく、彼に覚悟を問いました。大学の同級生ですので彼も理系、もちろん福祉や介護の勉強もしていない・・・、ましてや大学院に進学したタイプで働いた経験すらなし。人生をかけて何かをするには覚悟の確認以外なかったのです。いろいろやり取りする中(こんなスマートな表現では収まりませんが)で、本気さを感じる部分もあり、なぜか「手伝ってやるよ」の一言を言ってしまいました!!!

◆背景にある祖母の存在

 振り返って考えると、こんなチャレンジをした背景には、急逝した祖母の存在があります。小さいころから両親共働きで家には祖母がいるのが当たり前の家庭で育ちました。そんな祖母が、社会人2年目の5月に脳溢血で急逝。5月の連休に帰省し、普通に元気に話をした祖母、月末には二度と話ができない現実。こんなことなら、もっと話をしておけばよかったとの後悔・・・。

 この時に、親も兄弟も友人も「誰しもいつ死ぬかわからない」そんな当たり前のことが強烈にインプットされました。結果として、この体験が福祉介護業界を見ておくことは、自分の人生にプラスに働くと考え2年限定で手伝う発言につながったと思っています。

 さぁ、人生何が起きるかわからない。ここに介護無資格、未経験の元部品メーカー研究者の無謀な挑戦が幕を開けました。是非、起業からナラティブもお読み頂けると嬉しいです!!エピソード2はこちらから。


2年限定が早20年、note記事を書いて1年、全話飛ばして、社史公開の最終話(51話)が下記となります。

記事に共感頂けましたら是非♡「スキ」して下さると今後の執筆活動に喜愛が入ります♪

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シニアマーケティングで新たな価値を社会に創るRARECREWメンバーに興味がある方はこちらも覗いてみて下さい!!

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