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芸人殺すにゃ刃物は要らぬ

 が嫌いな時もあれば好きな時もある。
 大学以降主たる移動手段がバイク・原付なので外出する時は少しでも雨が降っているだけでそりゃあげんなりだ。時速30~60kmで走るんだから真横から雨粒が飛んで来て寒いし痛い。グローブやブーツ、レインコートの縫製の隙間から浸水して服が濡れて体が冷えるし雑菌が繁殖して嫌な臭いがしてくる。視界が悪いし路面が滑るのでバイクでエグい怪我を負った時はいつも雨だった。帰り道なら家に着いてあとは寝るだけだが行きの道なら目的地に着いてやることがあるのにモチベーションが上がらない。雨は全てを停滞させる。いいことなしだ。
 でも何も予定がない日、何も責務がないしどこかに行く必要もない時はいつも雨が降っていてほしい。自分勝手な願望。雨音が環境音で部屋を包んで寝ていると雨で世の中が停滞しているのだから万年停滞している自分が何もせず惰眠を貪っていても許されるような気になってくる。雨を免罪符にして怠惰を噛み締める。

 地元で活動するベテランの演劇人、企画公演で作・演出をして一人芝居もこなす人。その人はよく雨の日の開演の挨拶でダスティン・ホフマン主演のコメディ映画『トッツィー』の台詞を引用する。

(I don't want a full house at Winter Garden Theater. I want 90 people who just came out of the worst rainstorm in the city's history.) These are people who are alive, on the planet , until they dry off. I wish I had a theater that was only open when it rained.
(大劇場を満員にしたいとは思わない。例え歴史的暴風雨の中でも来る僅かな観客がいてほしい。)雨に濡れてでも足を運ぶ観客こそが本物さ。芝居は雨に打つべきだ。

(シドニー・ポラック監督,『トッツィー』,1982,コロンビア・ピクチャーズ)

 演じているのがビル・マーレイでパーティでの調子のいい台詞ではあるが、その人としては観客への感謝を遠回しに洒落て言っているのだろう。

 雨が降ると別の演劇人、かつて一緒に創作していた先輩は『からくりサーカス』の台詞を呟いていた。

「芸人殺すにゃ刃物は要らぬ。雨の3日も降りゃあいい。」

雨は芸人のせいじゃねえ。
それに、雨だからって芸人の「芸」が腐るワケでもねえだろ。雨は雨、芸人は芸人さ。

自分てめえでなんともならんモンをなげいたってしょうがねえや。ヒトは、今、自分てめえにできるコトをやるしかねえじゃねえか……

(藤田和日郎,『からくりサーカス 36巻』,2005,小学館)

 昔からの言い回しで「芸人」が「的屋」「土方」「船頭」等にも代わるし「雨の3日も降りゃあいい」が「あくび1つもあればいい」「ものの三度も褒めりゃいい」等にも代わる。
 先輩は藤田和日郎が好きで単純に雨に対する諦念で言っていた。本質的には言い訳せずに常に直向きに精進、研鑽しろってことだろう。

 正直なところ、コロナ禍でどこか安心していた自分がいた。世界、社会全体が停滞してみんな思うように上手くいかない。だからそれ以前から大して進歩も成長もしない自分が相対的に幾分マシに思えていた部分があった。要はコロナ禍は長く激しい雨だ。
 でもそれじゃあダメなんだ。

 そりゃあのっぴきならない状況に苦しむ人も沢山いる。でもこの世情に物凄く成長している人や業界はあらゆる方面で間違いなくいるわけで、そこに目を背けて不平ばかり言う人はどうも敬遠してしまう。芸人、ひいてはヒトを精神的に殺すのは刃物でも雨でもコロナでもなく己の心の在り方だ。自分もダメ人間だし思いはすれど言い訳にはしない。せめて後退しないようにここ数年は絵を描いたり文章を書いたりする頻度は増えた。それでも相変わらずマイペースに緩いスタンスで大きく前に進んだりハネたりバズったりはしない。

 雨の芝居で思い出す。もう何年も前、尊敬していた女史が作・演出で企画公演をするので舞台美術を依頼された。

 劇場は元倉庫で鉄筋造りとコンクリート床。女性5人の芝居。場所と時間の異なる上手と下手で同時進行で展開される構造。下手で木枠の構造物が徐々に組み立てられていく。上手では泥濘で白い衣裳や美術が次第に汚れていく演出をオーダーされたので床を養生して湿らせた新聞紙に黒土を混ぜて実現させた。古新聞と使わなくなったリネンを業者から譲ってもらって予算に収めた。
 女史の期待に応えたかったのと若さで今よりも意欲的だったからあの時ほど舞台美術に熱意を注いだことはない気がする。技術や考え方は成長はしているが今は良くも悪くも合理的に力を抜くようになったと思う。熱量が足りていない。

 そういう面では恐らく自分史上最高の舞台美術だと思う。女史の芝居としても。

 しかし小規模の一回公演にも関わらず台風直撃で観客は少数、映像は録画失敗で手元に物理的に残っているあの舞台の痕跡は上の舞台写真一枚だけだ。

 でも間違いなく最高だった。美化しているかもしれないが。しかし記憶の中のあれを超える何かを作りたい。そのためには雨だろうとコロナだろうと寝ている場合じゃない気がする。

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