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長期の努力が苦手な原因は「徹底」なんじゃないか?

僕は、できるだけ添加物の入ってない食事を心がけてる。
身体に良いものを摂っていこうとする考え方は基本だし、きっと正しいけど、
徹底的に0にするのが正解なのかと言えば、僕の考え方は少し違う。
実際僕は、お酒も飲むしケーキもよく食べる。

なので実際は、偉そうにオーガニックを語れた人間じゃないんだけど、
それでも、自分のできる範囲で添加物は取らない。

その規則の「ゆるさ」が、僕の今の考え方とか性格を表す特徴だとも思ってて、
今日の本題は、そのあたりの話だ。


かたくなに、何かを「徹底」できる人っているよな。
「徹底」できるってのは、もちろん凄いことで、僕にはできない事だからこそ、尊敬に値すると思ってるんだよ。

だけど、「徹底」が、もはや過剰な人っているよな。いや、すごいことなんだけども。

例えば添加物とかも、断絶できるって凄いことなんだと思うけど、それだと本当にしんどいと思うんだよ。
「徹底」に適性のある人はいいよ。
でも、多くの人にとって、その徹底はベストじゃない気がしてるんだよ。

努力をし始める初期段階に、過剰にやり過ぎてしまう節が、僕もそうだし、誰しもにある気がする。

ただ、その「徹底」を長期で続けれるほどの根性は、少なくとも僕には無い。

僕みたいに初期段階徹底癖のある人ってのは、本当にそれで、この一生続く持久戦を、やれるのか?ってことが、検討すべき問題になってくると思うんだよな。

だから初期段階から、息の上がらないペースを狙わないと。って思うんだよ。

特に、「徹底的な0」までの最後のちょっとした余白を攻めるのって、凄い負荷になる気がしてて、
そこの領域って特に、期待値があまり無いと思うんだ。
その苦労に関しては、本当に合うのか?
とか思うんだよな。

0を求める「徹底」は疲弊をうみ、行先は挫折。

だから、何かを始める時は、そのバランスを結構考えてみる様にしてるんだ。
「逃げ道」を作戦的に最初から用意しておくことも、重要なんだろうなと。

誰もがイメージするのは、ダイエットの話だよな。
ダイエットを徹底しすぎてしまうと、それが続けられなくてリバウンドしてしまう、って話。

僕もいつもこのパターンなんだけど、
このダイエットうまくいかないパターンは、僕の人生の縮図だよなって思う。

「徹底し過ぎてやめてしまい、やる前よりダメになる。」
しかも、
「過激な挑戦に疲れすぎて、次の挑戦までに時間を要す。」
みたいな事の繰り返しを、僕は永遠にやってる気がするよ。
何度も言うけど、素質のある人は良い。
でも、僕にそこまでの強さは無いから、
いい加減ハックしないとな、って考えてるって話だ。

一時的に全力を出すのは言うならば簡単なんだよな。でも、自分の性格とかを鑑みて、最終到達点が1番高い、ペースの角度があるんだと思う。

トレードでも同じ様な話でさ、
勝つのが前提になり過ぎたり、長く上手くいきすぎると、少し負けただけで、落ち込む。
特にここ数年続いている為替の大相場は、
僕たちトレーダーに「勝てて当たり前」、
しかも、「1日これくらいは当たり前」という錯覚を植え付けてしまったようにも感じるから、

あくまで相場次第の受け身の仕事なんだから、今後、もし最悪の相場が来ようと、
受け入れられる規律のゆるさが必要だという話だよな。
幸せになりたくて仕事してるから、1番考えなきゃいけないのは、幸福度だろうからな。
収支だけを追い求めて、徹底的に相場に向き合い続けることが、幸せの最適解なのか?
いや、どうせ僕はその時に割り切れなくて折れる。だから、幸福度は下がる、みたいな話だ。

トレードは、自分でペースを作れないから、受け身なりのペース作り。
それはダイエットとかの自分でペースを決めれる能動的な事柄より、難しいんことなんだと思うよ。

「まあ、ぼちぼちやろうや。人生は長い。また良い時代は来る。」
みたいな楽観的余白が、人生最高到達点(幸せの)を叩き出す気がするな。

結局、本質的に僕が唱えたいのはバランス。

それも、一生続くこの持久戦を意識して、
なにがベストなバランスなのかを、考えようとしてるんだと思う。

世の中には、白か黒か、全力か0か、
みたいな癖がある人が、僕以外にも多い気がするから。
どんな努力も常に尊いことは、本当にそうだと思うんだけど、
「ゆるい挑戦」を仕掛けることが、最高点に辿り着くコツなんではないかと。

「徹底」は理論上1番正しいからこそ、非常に盲目的なんだろうな。

人生はあまりに持久戦。
今年こそは痩せたいから、そんなことを考えてる。

皆さんの投資で勝つための長期戦の、
参考になればと。


*写真は雲。
雲が良いのは夏だよなー。




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