半径5mの違和感が社会を変える。Learning for All 李炯植さんインタビュー「怒りが活動のエネルギーだった」
李炯植さん。子どもの学習支援を手がけるNPO法人「Learning for All 」(LFA)の代表です。クエストカップ2023 全国大会の社会課題部門「ソーシャルチェンジ」で審査員を務めます。「ソーシャルチェンジ」は、身近な課題にチームで取り組むプログラム。李さんがNPOを始めるきっかけになったのも、貧困と格差への怒りでした。その「種」はどこで芽生え、どうやって大きくなっていったのか。話していただきました。
尼崎の「風景」
李:兵庫県尼崎市の出身です。住んでいた団地の周りにはホームレスの人が暮らしていたり、小学校のクラスの半分くらいはひとり親家庭の子。そんな地域で育ちました。貧しかったけど、そういうものだと思っていました。
なぜか学校の勉強はできたので、小6の時の担任に「あなたは東大に行ける」と勧められて私立中学に入りました。そこでの生活になじむうちに、小学校の友人とは、あまり会うこともなくなりました。
久しぶりに会ったのが16歳、高1の時です。2ヶ月ほど海外留学して戻ってきたころです。
喧嘩で高校を中退して大工になった子、もうすぐ子どもが生まれる子…。「実家が貧乏だけど、なんとか専門学校には行きたい」と話す子もいました。
16歳にして、どう生き抜くかを話す同級生と、勉強優先の環境に浸っている自分。衝撃を受けました。昔は一緒に遊んでいた者同士が、なぜ今はこんなに違う生活を送っているんだろう、と。同級生は一足早く「大人」になったとも言えるけど、「子ども」時代を奪われてしまったとも思いました。
東大の「風景」
中高とトップクラスだった李さん。同校初の現役合格で東京大学に入学します。そこで見た風景は。
李:東京大学は明らかに経済的に恵まれた人たちが集まる場でした。親名義のカードで買い物する人、全身高級ブランド服で固めている人。環境、教育、言葉遣い、振る舞い、全てが違う。僕が必死でフルマラソンを走ってきたのに、彼らはセグウェイで悠々と東大に来ているように見えました。
人脈が広がるサークルに入り、就職に有利な学科を選ぶ。人生の「勝ち組」になる既定路線や、他人からの評価にはすごく敏感。だけど自分がどう生きたいか、を主体的に考えているわけではない。僕からすれば、そう見える人もいました。
「この大学、おもんないやつばっかり。本当に嫌だ」と思いました。
大学にいる意味を見出せず、退学も頭によぎり始めた2年生の1月、地元・尼崎で開かれた成人式で小学校時代の友達と再会します。
李:仲間の中で大学生は僕だけでした。といっても、僕も授業にまともに出ず、遊び歩いたり家庭教師をしているだけでした。
ピザ屋と工場を掛け持ちで働くやつ、3人目の子が生まれたばかりのシングルマザー。「専門学校に行きたい」と話していた子は進学を諦めていました。工場で働いている子は厳しい上司が大卒だからと、「大学へ行っている奴は全員クソだ」と言い放ってました。環境や教育で人生の選択肢がこれだけ変わるのか。東大で見る風景との「格差」を実感しました。
僕のルーツは韓国で、祖母の世代は普通教育を受けられませんでした。日本語を覚えて新聞を読めるようになり、中学校に通うことが彼女の喜びでした。両親もいろんな職業差別がある中で、僕らにはやりたいことをさせてくれました。そのおかげで僕は塾に行き、東大に入った。両親の思いを受け継ぐなら、東大生の既定路線ではなく、自分がやりたいように生きるのが一番重要なんだろうと思いました。
「格差」「分断」への怒り
東京に戻った李さんは、大学の同級生たちに地元の同級生たちのことを話しました。
でも、返ってきたのは「勉強しなかった本人が悪い」「そこで努力したらよかったんじゃないの」。個人の責任で済ませようとする同級生の言葉に、李さんは怒りを抑えられませんでした。
李:経済格差が貧困の連鎖につながっていることを知らないし、知ろうともしない。個人の責任だと思い込み、自分たちと同じような機会や環境を得られない人への共感や配慮がない。経済的に恵まれた中で形成された価値観を引き継いだまま、社会のリーダーになって意思決定をする。そんな社会だから、多くの人が切り捨てられる。
この時から遊ぶことをやめました。
なぜ貧困問題や教育格差は起こるのか。社会階層とは。公平な社会の実現の可能性は。手当たり次第に本を読み、教育哲学を勉強し始めました。僕が見た東大と尼崎の風景や人の隔たりは「格差」そのものである。そして教育は、その「格差」が世代で引き継がれる仕組みであり、食い止める仕組みでもある。そうしたことが見えてきました。
哲学の面白さから、一時は研究者も目指していた李さんは、理論だけでなく実践もしたいと、3年の冬休みから教育団体「Teach For Japan」でボランティアを始めました。ある日、「答えを見つけたかもしれない」と思えるような大学の授業と出会います。
李:フランス哲学の授業でした。宗教戦争をテーマに、プロテスタントとカトリックのどちらが正しいかをひたすら考えるという授業の中で、最終的に人間の考え方は個々の経験に基づくものなのだから、規範や科学的根拠を押し付けても変えられないのだと学びました。「世界」はこうも切り取れるし、別の角度からも切り取れる。多面的な視野を手に入れられたと思います。
それまで「レールに敷かれた情報のインプットとアウトプットを繰り返す面白くないゲーム」としか見られなかった学問も、世界の見方、自分の生き方を変えるものになるかもしれない、と楽しくなってきました。
東大と地元の大きな格差への怒りも、俯瞰できるようになったといいます。
李:私憤(個人の怒り)と義憤(道義に外れたこと・不公正への怒り)を区別できるようになりました。それまでは「東大生に学者なんていない」と思っていましたが、自分の見方が偏っているかもしれないと気づきました。格差や貧困に理解のない人への違和感やざらついた感情と向き合う心の余裕も、このころから生まれてきたのかもしれません。
怒りが昇華した本
フランスの哲学者、ジャック・ランシエールの著書『不和あるいは了解なき了解 政治の哲学は可能か』との出会いも、李さんを勇気づけました。
李: 女性に参政権が認められてなかった時代に女性が立候補することは奇異に映る。でも、なぜ同じ人間である女性が参政してはならないのか。公平な社会に向けた議論はマイノリティの声に耳を澄ますことから始まる。それこそが民主主義だ、という内容が書かれていました。
僕自身、マイノリティでずっと無力さを感じていました。でも地元の友達からしたら、東大に入った僕はマジョリティの側に映っているかもしれません。僕自身、いまだにアイデンティティが定まっていないところがあります。ただ、この本の「マイノリティにも力がある」というメッセージが強く心に残りました。
「型化」と「共感」でアクターを巻き込む
李さんたちが2014年に設立した「Learning For All 」は、これまで30カ所を超える、学習や居場所支援の場に関わり、のべ1万人以上の子どもを支援してきました。多くの企業から資金を調達し、地方の団体との連携も進めています。ここまで活動の輪が広がった理由を、李さんは「型化」と「共感」だと話します。
李:設立した時から、誰が子どもたちに勉強を教えても同じレベルの指導になる方法を試行錯誤してきました。やり方が標準化すれば、スタッフが替わっても子どもに提供する「品質」は維持できるからです。
こうして寄り添いながら、どう外部と連携し、それをシステム化するかも考えてきました。
ゴールドマンサックスと創設した基金を地域に根ざした子ども支援団体に助成する際も、LFAのノウハウを「地域協働型子ども包括支援」という仕組みにして、各地域団体に運営してもらっています。
貧困は、それを生み出す社会全体の問題です。あらゆる問題が絡み合って複雑骨折しているともいえる。だから、政治家、官僚、企業、あらゆる組織や人を巻きこんで取り組む問題なんです。意見の相違はあっても「子どもの貧困問題の解決」という旗をともに掲げることはできます。
もう一度「自分」を真ん中に
LFAの活動にとどまらず、児童福祉法の改正(2022年)など、現場の声を制度や社会に反映させる取り組みも実現しました。
李:「目の前の一人の子どもをどう支援するか」からスタートし、ここまできたら、僕が直接動かなくても、仲間たちが担ってくれるでしょう。
今はピースフル。でも、それが一番の悩みでもあります。
LFAを立ち上げたときのエネルギーは怒りでした。そこから仲間をまとめるマネジメントを研究したり、組織が回る仕組みを作ったり、他の世界の人たちとつながったり。活動を続けるなかで「みんな大変だけど、それぞれの立場で一生懸命生きている」と分かってきたのです。その間に、違和感や怒りは食べ尽くして昇華されました。怒りの感情を手放すことも覚えました。違いを乗り越え、協働しようという姿勢へと変わっていきました。だからなのか、物わかりの良い振る舞いが増え、昔抱いていたような、社会への怒りや痛みも減ってしまいました。
大人になったのかもしれない。ぬるくなったのかもしれない。でも、そんな自分でいいのかな、とも思います。
だから今年はもう一度、僕自身を真ん中に置いて時間を過ごしたいと思っています。