ベルクソン『精神のエネルギー』にて
アンリ・ベルクソンの哲学は、大正時代に大流行しています。だが、当時、
彼の「記憶イマージュ」を、ドーナツ状のトーラス構造でイメージする学者はいなかったのではないでしょうか。
たとえば、彼の「純粋記憶」を、球体の球面とするなら、ブラックホールの事象の地平面に情報が潜在的に保存されているかのような「ホログラフィック原理」にも興味が湧いてきます。
さらには、球体の中心を「現在」として、そこを通る垂線を、「純粋持続」とするなら、物質の最小単位が、点ではなく、ひもであるかのような「超ひも理論」にも興味が湧いてきます。
現在を通る「純粋持続」と過去一般の「純粋記憶」のどちらにも重ならない
「記憶イマージュ」を、ドーナツ状の形でイメージできるなら、その内に、「時間の流れ」という幻想も収まります。
ベルクソンの哲学を、再評価してみてはどうでしょうか。
しかし、彼は神秘体験を肯定する学者です。スピリチュアルが苦手な方は、自身の霊体験によって裏づけられない知識とは、しっかりと、距離を置いてください。うっかり信じて余計なカルマを背負うことがないように。
以上、言語学的制約から自由になるために。