【1000字書評】住井すゑ『橋のない川』① 差別の理不尽さを描いた、いまこそ読まれるべき小説
さて、2022年10月の書評講座の課題本は、住井すゑ『橋のない川』第一巻でした。
下の書評でも述べているように、大阪で育った私は、小学校からずっと同和教育を受けてきた。道徳の時間では、子どもの目にはなんだか恐ろしいもののように映った副読本『にんげん』を読み、そこで学んだ「橋のない川」ということばが記憶にくっきりと刻みつけられた。といっても、物語を実際に読んだわけではなく、越えられない川のイメージが脳裏に焼きついただけであったけれど。
だが、ずっと教えられてきたにもかかわらず、部落差別がどういうものであるのか、あまりピンとこなかった。特定の地域に住んでいるというだけで差別をするというのは、どういうことなのだろうか?
1000字書評
大阪で育った私は、道徳の授業で『にんげん』という副読本を配られた。「人間」という漢字をわざわざひらがなに開いた題名や、児童向けとは思い難いほど陰鬱とした色調の表紙になんだか古くさいものを感じた。
授業では「同和差別」というものについて習ったが、いったいいつの時代の話をしているんだろうと思った。
多くの生徒たちも同様に、同和差別を身近なもの、いまもなお続いているものとして真剣に受けとめることができなかった。しかしある日、男子生徒たちが「士農工商えたひにん」とからかいあっているのを耳にした社会の教師が激怒した。ふだんは温厚なその教師がそれほど怒る姿を見たことがなかったので、教室じゅうが静まりかえり、冗談でも口にしてはいけない言葉なのだとわかった。
『橋のない川』を読んで、まっさきに心うたれるのは誠太郎や孝二の健気さだ。〝エッタは臭い〟と学校で除け者にされているだけでも痛ましいが、なによりエッタを馬鹿にされていることを、ふでやぬいに必死に隠そうとする姿に胸がえぐられるような気持ちになる。いまも昔も、子どもは容赦がなく残酷だ。
しかし、なぜ社会を知らない子どもが差別をするのだろうか?
身のまわりの大人が差別するからである。大人が隠し持っている差別心や偏見を子どもは鋭く見抜く。子どもの世界は大人の世界をありのままに映し出した鏡なのだ。
『橋のない川』の頃から百年以上経ったいま、子どもたちの目にはどんな世界が映っているのだろうか?
財政難や同和事業縮小を理由として、『にんげん』は2008年に廃止された。2008年は、橋下知事が「差別や人権などネガティブな部分が多い」とリバティおおさかを批判した年でもある。リバティおおさかは2020年に休館となった。
ごく最近は、ネットで人気の高い論者が、沖縄の辺野古基地移設反対運動を揶揄するツイートをし、それが28万以上の「いいね」を集めた。
いったいどういう人が「いいね」を押すのか考えていたとき、誠太郎の友人である豊太の母親を思い出した。自らも妾という弱者でありながら、弱者に手を差し伸べようとせず、逆に弱者を差別する側にまわることで、自分の方がまだ立場が上だと示す。
いつのまにか、差別や社会の理不尽と戦っている人たちを批判、冷笑することで弱者の上に立とうとする大人ばかりになった。かつての社会の教師のように、差別はいけないと子ども相手に激怒する大人はどれくらいいるのだろうか。
書評の補足
書評で記した、橋下元知事とリバティおおさかの経緯については、下の記事に詳しく書かれている。(有料記事ですが、無料部分に経緯について詳しく載っています)
また、「ネットで人気の高い論者~」については、おわかりのかたが多いでしょうが、こちらの騒動を指している。ちょうどこの書評を書いていた時期に話題になっていたので、思わず結びつけてしまった。
冒頭にも、「特定の地域に住んでいるというだけで差別をするというのは、どういうことなのだろうか?」と書いたけれど、やはり差別する根拠が皆目わからない。
いや、言うまでもなく、性別や国籍や人種が異なる相手を差別することも断じて許されない。けれども、部落差別というのは、自分たちと「ちがう」と見做す根拠もないのに、昔からの階級――まったく目に見えないもの――に基づいて差別することによって、差別というものがどれだけ不当で理不尽なものであるかを浮き彫りにしているように感じられる。
『橋のない川』のリーダビリティ
と、こんなふうに部落差別について書くと、『橋のない川』も深刻で暗く、読んだら気が重くなる小説ではないかと思っているかたも多いかもしれない。正直、私はそう想像していた。
ところが、実際に手に取ってみると非常に読みやすく、主人公の兄弟である誠太郎や孝二、祖母のぬいに母親のふで、ふたりを囲む級友たちがいきいきと描かれていて、意外にも楽しく読み進めることができた。
というのも、作者である住井すゑは、いまでは差別と戦った作家という印象が強く、それはもちろん正しいのだけれど、もともとは童話作家として人気を博していて、この『橋のない川』も大衆的な児童文学の手法で書かれているので、たいへんわかりやすい。
大衆的な手法で書かれたメッセージ性の強い小説については、賛否や好き嫌いが分かれるかもしれないが、差別や貧困で苦しむ弱者にとって、どんどん生きづらい世の中になっていく現在、あらためて多くの人に読んでもらいたい小説だと思った。