鬱になった私が、「生き方」について考えてみた
おはようございます。
鬱状態が続く私です。
昨日の夜、ジャーナリングをしていたのですが
その際に自分の生き方を見直そうと思い
色々考えてみました。
色々考えた中での「足るを知る」の部分についてを
このnoteに書き出してみたいなと思います
持っているもの・持っていないもの
自分にも他人にも「持っているもの」と「持っていないもの」が存在すると思います。
例えば、彼女・貯金・趣味・仕事・夢・家族、
それらを持っている人がいれば、それらを持っていない人もいます。
得るもの・失うもの
先ほど人にはそれぞれ「持っているもの」と「持っていないもの」が存在すると話しましたが、それと同時に「得るもの」と「失うもの」も存在します
得るということは「持っていないもの」から「持っているものに状態が変化すること。
失うということは「持っているもの」から「持っていないもの」に状態が変化すること。
私は「持っていないもの」と「失うもの」に目を当てすぎていた
先ほどのカテゴリーの中で
私は、「持っていないもの」と「失うモノ」に目をあてて生きてきました。
これが欲しいから、自分を犠牲にして努力を続ける。
失いたくないから。失ってから取り戻したいから、何かをする。
等と。。
ただその「持っていないもの」「失うもの」を得るということは労力をかけすぎていて「持っているもの」に目をむけることを忘れていました。
「持っているもの」は管理しないと腐るし、どこかに行ってしまう。
なので「持っていないもの」を追いかけると同時に「持っているもの」は腐っていき、「失うモノ」に代わっていく。
つまり、私は常になにかを失い「持っていないもの」を追いかける、ニンジンをぶら下げられた馬のような状態になっていました。
果たしてこの生き方は良いのか?
もちろん、何かを得たいために追いかけることは素敵であり
得れた時の快感はとても好きなのでいいものだとは思う。
けれど自分のよくないことは、「得たもの」「持っているもの」をないがしろにしてしまう点だ。
物を買うことに満足して、使わない人みたいになっている。
そこで調べてみると「足るを知る」という言葉に出会った。
足るを知るとは
古代中国の思想家、老子の言葉。
「何事に対しても、“満足する”という意識を持つことで、精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていける」ということである。
持っているものに目を向けて、自分を認めよう
足るを知るという言葉は素敵だなと思った。
・仕事でも自分に足りない事ばかりに目を向けてそれを得ないと!とずっと考えていたが、これではネガティブになったり自分を苦しめるだけなので
一度その過程で得たものや持っているものを振り返って自分を認めてあげたりする。
・プライベートでも、心配してくれる家族や友達のありがたさを実感して、感謝する。
このように「持っていないもの」「失うモノ」に目を向けすぎず
「持っているもの」に目を向けて自分を認めることをこれから生きていく中で実践していきたい。
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