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自由
「お前の生きる道はこれまでもこれから先も、天によって完璧に決まっていて、それが故に完全に自由だ。」
宮本武蔵を題材にした漫画、バガボンドに登場する台詞です。
全国を放浪している沢庵という和尚が、主人公である武蔵に伝えます。
二つの疑問が湧きます。
一つは、決まっているのに自由?
この疑問に対しては、何がどのように決まっているかは天のみぞ知るということなのだと思います。
たとえ運命ががんじがらめに決まっていたとしても、これから先に起こることを知らなければ、それは決まっていないのと一緒だからです。
天からは何も知らされずに産まれてきます。
自分の人生に何が起こるか分からない状態で生きていく他はありませんよね。
運命が決まっていようと決まってなかろうと、自由。
これは間違いなく言ってしまっていいと思います。
こう考えると、タイムマシンに乗って未来へ行って、自分の将来がどうなっているのか知りたいという願望はどこから来るのだろうと思いますね。
知ってしまったら自分の自由を失うに等しいのですから。
そしてもう一つの疑問は、運命ががんじがらめに決まっているからこそ自由?
ぎちぎちにガッチリ決まっていればいる程、より自由だということですよね?
この疑問に対しては、そう考えたほうが最終的にどこまでも「納得できる」からだと思います。
自由に自分の好きなことをやれる。
自由に何かを選択して、自由に行動できる。
その選択や行動が上手くいった時、喜びがありますよね。
そして天に感謝をする、こういう嬉しい結果にしてくれてありがとうございますと。
でも本当は、私の運命の中にこういう嬉しいことが起きるように決めて下さっていてありがとうございます。
こういった納得ができます。
自分の選択や行動が全く上手くいかなかった時は、天に最初からこう決められていたんだ、しょうがない。
そう思うことができます。
失敗した時に、必要以上に自分を責めなくていい。
あの時のあの選択が駄目だったのかも。
自分勝手に動きすぎた。
何をどう選択していても、何をどう行動していても、結果は同じ。
天によって、あらかじめ決められていたのだから。
この納得感は凄まじいと思います。
このタイミングでは、何をしても結果は同じだった。
でも次は分からない。
天は知っているけれど、次こそは分からない。
運命ががんじがらめに決まっているからこそ、自分の人生に納得できる。
納得できるからこそ、何をやっても、どんな結果でも、解放感を失わない。
自分の人生を、最も自由に生きることができる。
本当の自由は制約の中にあると言いますが、本当でしょうか?
制約を制約と思えば自由ではないと思います。
運命はがんじがらめに決まっていて制約だらけ、それはもう天に委ねるしかない。
「本当の自由は制約の中にはない。制約の中の自由を知ったうえで、放り捨てることができるか。本当の自由はそこからはじまる。」