無いものねだりと向上心
無いものねだりという言葉がありますよね。
自分には無いものに触れて、自分にはそれが無いと認識して、今の自分には無いから手に入れたい。
それを既に持っている人を羨ましがる。
羨ましいという思いから、憧れに変わる。
手に入れたい。
今の自分に無いものが分かって苦しいけれど、同時に努力すべき方向も分かった。
この無いものを手に入れさえすれば、もっと成長できる!
向上心と一緒ですよね。
向上心は完全無欠に良いこととされているのに、無いものねだりは駄目だとされています。
高潔な表現かネガティブな表現かの違いだけで、内容はほとんど一緒なのではないかと思ってしまいます。
では、無いものねだりはある意味で向上心と言い換えてもいいのか?
そう考えそうになったところで、1つの決定的な違いに気付きました。
無いものねだりは、自分に無いものを取り入れることによって成長しようとする心。
向上心は、自分の中にあるものを磨くことによって成長しようとする心。
どちらも成長できるということに関しては一緒でいいと思います。
世の中では無いものねだりがネガティブな表現だからと言って、してはいけないこととされていますが、そうは思いません。
どんどん無いものねだりをして、今の自分からどんどん変化していくことは大切です。
ただし、「順番」があると感じました。
向上心を使って自分にあるものを極限まで磨き上げたその次に、無いものねだりをする。
そして、自分にあるものを極限まで磨き上げることは一生を懸ける行為です。
従って、人生において無いものねだりをする時間はありません。
無いものねだりを否定しているわけではなくて、むしろ肯定しています。
ただ、無いものねだりも成長の方法としては少しだけ使えるかなくらいの感覚です。
それよりももっと良い方法があって、その方法を最大限引き出すには人生の全てを使うことになるらしい。
どうやら他のことをしている時間はないらしいぞ。
そんな噂を聞いたら、飛びつきますよね。
既に自分の中にあるものを、最も大切に育てていくこと。
この噂が本当かどうか、確かめるには人生の全てを使うしかありません。