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“死ぬまでに見たい景色”をオランダで叶える

2023.05

コペンハーゲンからアムステルダムにやってきました。

他のヨーロッパの国を旅行中だった友達3人組とここアムステルダムで合流します。というわけで私の北欧一人旅は終了です。

約1週間ぶりに仲の良い友達と会うことができて嬉しい。一人旅が孤独だ、と感じる瞬間はなかったけれど、会うとやっぱり人と一緒にいることの安心感だったり出来事を共有できることの有り難さを感じます。

2023 オランダ アムステルダムの街

ここ、アムステルダムに絶対に行きたいという理由がありました。

それは、
「死ぬまでに見たい景色」を見たかったからです。

視界いっぱいのチューリップ

ずっとずっと、見たかったオランダのチューリップ。

幼い頃、祖父母に連れて行ってもらった長崎のハウステンボスで、こんな素敵な景色の本場はオランダにあるという話を聞きました。その頃から漠然と「いつかオランダのチューリップが見たい」と夢を持っていました。

それは大人になっても忘れられない夢でした。

実は社会人になってから一度旅行を計画していたのですが、コロナ渦になり延期、それでも諦められずまた長崎のハウステンボスを訪れてチューリップを眺めては、「やっぱりいつかオランダに行こう」と友達と約束していました。

5月以降じゃないとみれない景色だったのでコロナが落ち着いたすぐのゴールデンウィークで絶対行こう!と。

今回は念願叶っての5月のオランダ。
行くしかありません、キューケンホフ公園。

アムステルダムからバスで約1時間、ようやく到着です。

キューケンホフ公園入り口

見れた…
やっと見れたオランダのチューリップ!!

最初から最後まで、色とりどりのチューリップに大興奮&うっとり。

「これが見たかったんだ〜!」と心の中で叫びました。

このキューケンホフ公園、隅々まで本当に綺麗に手入れがされており感激でした。

お天気にも恵まれ、暖かい日差しにあたるチューリップは本当に美しかったです。

小さい頃からの夢が叶った時ってこんなに本当に心の底から嬉しいんだ、と思いました。この思い出は一生忘れません。

予約がとれないゴッホ美術館

私がちゃんとゴッホを知ったのは小学6年生でした。

その頃私はフランスのパリに住んでいたので、学校の美術の授業でポンピドゥーセンターに行ったり、休日にはルーブル、オルセー、マルモッタン、オランジュリー美術館などに何度も行きました。

中学1年生になった時、社会科見学のような授業の一環で、ゴッホの描いた風景や、ゆかりの場所が今も至るところに残るオーヴェルに行くことになりました。

そこでゴッホが過ごした家、実際のオーヴェルの教会、弟テオと眠るお墓もまわり、一面が麦畑となっている場所で実際に自分も麦畑の絵を描きました。

モネの絵も好きになり、ジュベルニーの庭に連れて行ってもらったり、ドラクロワのお墓、ロダンの彫刻などいろいろな景色と芸術を見ましたが、熱心に「この画家の人生を知ろう」と興味を持ったのはゴッホだけでした。

勉強していた当時1番心に残っているのは
初期に描かれた“馬鈴薯を食べる人々”

中学2年生になった時に引っ越した先のアメリカニューヨークでもMoMAに何度も訪れ、ゴッホの絵を見てきました。

こんなに芸術に触れてきた学生時代だったのにも関わらず、帰国と同時にいつのまにか忘れてしまい、「なんとなくゴッホが好きだったな〜」と思い出すことができたのは原田マハさんの小説との出会いでした。

そこからは東京にゴッホ展がくるたび行くようになり、だんだんとゴッホ沼にハマっていきました。

コロナ渦でのステイホーム時間は
ゴッホの映画を見ながら原田マハさんの本を読み漁った


そして、のちに原田マハさんに直接会いにいき、「人生を楽しくさせてくれてありがとうございます」と感謝を伝えてしまうほど、原田マハさんの本を読みまくりました。

(その時、私が原田マハさんにハマったきっかけやゴッホを好きになった経緯を原田マハさんご本人に話したら、「あなたの人生はまるで早川織絵(楽園のカンヴァスの主人公)だ」と言ってくださって、それが今でも一番好きな物語)

原田マハさんは小説を書くとき、取材や下調べも含めて画家の半生を巡る旅をするようです。

私はあんなに幼い頃からゴッホの絵画だけでなく、“人生”にも触れてきたのに、彼の母国オランダにあるゴッホ美術館に行っていない。

「早く自分の足で行って、自分の目で見なければ」とずーっとおもっていました。

それなのに。

ゴッホ美術館は完全予約制、かつ当日枠がないとのこと。
前もって旅行の2ヶ月も前から、毎日予約サイトをチェックしていましたが連日「FULL」の文字…

寝ても覚めてもサイトを睨めっこをしてはため息…

完全にゴッホ美術館の人気を舐めてました。

全然空きがありません。

ゴールデンウィークは外国にとってはただの5月の平日、だと思ってましたが、なんとメーデー(5月1日)がある影響で連休をとられる外国人も多いみたいです。

このままだと、せっかくアムステルダムに来たのに!せっかくこんなにもゴッホが好きなのに!と、悔しい思いで帰国してしまう。そんなことは絶対いやでした。そうそう来れる場所ではないので次回に行こう、とはどうしてもなれませんでした。

実はアムステルダム観光中、お友達とランチ中、ハイネケンのビールを飲みながらのんびり中、寝る直前から起きた直後、なんと先ほどのキューケンホフのチューリップ畑でもずーっと諦めずサイトをチェックしていました。

アムステルダムのリバークルーズで友達とシャンパンで乾杯、みんなは外の景色を楽しんでいる最中のことです。

「どうせまたないんだろうな…」と半分諦めながらも、指が勝手に予約サイトの残りの枠をチェックします(完全にやりすぎて指が操作を覚えてた)

すると、見えた「明日 14:00 1枠」の文字!

思わず叫びました。
大きい叫んでスタッフに注意されたくらい叫んでしまいました。

しかも一人で…

ゴッホ美術館は世界中から集まる人々に加えて、ほとんどがツアー客や団体なのでキャンセルは珍しく、当日枠も入れるという概念がないと言われています。
本当に奇跡だと思いました。

友達には旅行の出発前から事情を話していたので、快く「行ってきな!」と言ってくれました。

次の日、夢のゴッホ美術館へ向かいます。

日本から持参していたグッズと撮影
ゴッホ美術館の前で贅沢な日向ぼっこ
チケットを見せて入れた時の感動

もうここからはほぼ記憶がないくらい興奮していました(もったいない)

ずっとずっと夢だった場所、諦めかけてた場所に自分がいれることが嬉しくて絵画を見る前から感動でした。

大好きなアイリスの花
模写をする子どもたち
中学の頃の美術で1番最初に学んだ「一足の靴」
これも大好きな花咲くアーモンドの木の枝
壁の言葉と一緒に展示されているのが好み
ずっと見たかったファンゴッホの寝室

夢のようなとろける時間でした。
あっという間に過ぎました。

ゴッホだけの絵で展示されている空間の贅沢さや、絵画自体の力強さに包まれて感無量でした。

次はアルルに行こうかな…またゴッホゆかりの地を私も巡ろうと決意しました。


ゴッホの絵は生きている間に一枚しか売れませんでした。
「死んでから生きた画家だ」と中学時代の美術の先生が言った言葉をよく覚えています。

自画像

唯一の友人のポールゴーギャンと仲違いをし、周りにも変人の扱いをされ、誰からも評価されることなく、37歳で人生を自ら終わらせました。

決して届かないと知っていても、彼らを見守り、励ましたい。過去を変えられないとわかっていても、フィンセントも、ポールも、決して不幸のうちに人生を終えたのではなかったと信じたい。

原田マハさんの『リボルバー』から大好きな文章


今、ゴッホはこんなにも世界中から愛されている、そしてこれから何十年も何百年も。
不幸ではなかったよと伝えたい。
心から思いました。


まさにこれが私の死ぬまでに見たかった景色、それが2つも叶えて大満足なアムステルダムでした。

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