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ヤンキーとセレブの日本史Vol.24 昭和その2


軍の暴走

クーデター

五一五事件で軍が総理を弾いてから、軍はもっと調子にのります
他に対抗する組織がなくなってくると、今度は組内の勢力争いが始まります。

もともと陸軍の中には2つの派閥、皇道派と統制派があります。ざっくりいうと皇道派は天皇マジリスペクトで、根性重視、敵を倒すことが大事だからソ連をぶっ潰すというグループです。統制派は根性よりも理屈が大事で、シノギの拡大のために中国を切り取ろうというグループです。武闘派ヤクザか経済ヤクザかみたいな違いです。どちらも暴力でシノギを大きくしたいヤクザには変わりがありません。
統制派は理屈重視ですので、これからの戦争は国全体で取り組まなければ勝てないと考え、政治や経済とも密接に連携していかなければならないと考えています。皇道派は統制派のことを権力や金儲けばかり考えていると見ており、お互い仲が悪いです。

陸軍の中には、陸軍大学を出たエリート組と、田舎から徴兵されてやってきたヤンキー組がいます。世界恐慌の真っ只中、景気はとても悪く、農村では飢えて娘を売り飛ばすような事例が珍しくありませんでした。田舎のヤンキー組はそんなつらい境遇の中、お国のためにと軍隊に入ってきます。エリート組はこういうヤンキーを馬鹿にしますし、ヤンキーは田舎の辛い状況を知らないエリートにムカついています

皇道派はそういう若いヤンキーと結びついて暴走します。
今こそ天皇を中心とした国を取り戻すぞと言ってテロを起こします。警視庁や首相官邸を襲撃して、大臣を何人もぶっ殺します
これに一番怒ったのは天皇です。自分が指揮を取って鎮圧するとまで言う怒りようで、それを知ったヤンキー達は大人しくなります。こうして二・二六事件と呼ばれる皇道派と軍の若いヤンキーたちのクーデターは失敗に終わり、統制派が権力を握ります。

しかし、これは天皇や政治家に大きなトラウマを植え付けます。軍は気に入らないことがあれば暴走して見境なしにぶっ殺すということが実証されました。これでは軍がやることを止めることはできなくなってしまいます。

盧溝橋事件

軍はもう誰にも止められなくなっています
そんなとき、北京の郊外の盧溝橋というところで日本軍が夜に軍事演習をしていました。パンピーの暴動(義和団事件)が起きて西洋マフィアオールスターズで中国をボコってから、日本も含めマフィアたちは軍を駐留させられるように中国に飲ませました。
普通に考えればよその組のシマで軍事演習するとか頭おかしいのです。しかし、ヤンキーとしてはどちらが上かを常にはっきりさせておかなければならないので、普通はやらないことをして、自分の方が上というのを見せつけます。

しかしそうは言っても中国側としてはムカつくので、その盧溝橋での軍事演習中にチャカを何発か撃ち込みます。そこから小競り合いが始まります。日本政府としてはチャカ撃ち込まれたくらいでカネのかかる戦争なんかできるわけねーと思っていますが、軍はヤクザです。ナメられたら返しをしなければならないので、「こんなのすぐ終わるから心配すんな」と押し切ります。ここからなし崩し的に、中国との戦争、日中戦争が始まります
組の中でも軍にやめろと言える人はいないし、国際連盟も辞めているので、外のやつらも誰も止められません。誰も止められない以上、最終的には暴走する日本を止めるには、ぶん殴ってボコボコにするしかなくなるのです。日本は止められない状況で戦争を始めたここから敗戦への道を歩み始めました。

もともと日本は西洋マフィア仕込みの軍隊があるので、普通に戦えば中国より強いです。日本は中国の大都市や鉄道を次々と手に入れていきます
現代の視点で浅く見ると、中国は共産主義の国と思われていますが、経済に限っては資本主義ですし、そもそも昔から政治への反抗は厳しく取り締まるが、シノギは自由にやっていいという資本主義の国で、国民もシノギが自由にできるメリットと引き換えに本家に従っていたのです。だから全部日本の言うことを聞けなんて言われてもメリットは何一つないので大人しく従うことはありません。
どんなに都市や鉄道を奪っても中国のパンピーは従わずにむしろ逃げ出しています。どんなに勝ってもシマにして支配ができないのです。

中国の内輪もめ

日本に攻め込まれている最中ですが、中国はまだ内輪でもめていました
話は少し戻ります。国民党というチームのボス孫文が、清の将軍だった袁世凱と組んで、1912年に中華民国という新しい組を作りました。孫文は日本が西洋マフィアと張り合うためにやったように立憲民主国家を作りたかったのですが、実権は軍の暴力を持っている袁世凱が持っていました。中華民国の
袁世凱は皇帝になろうとして、各地の組長(軍閥)がブチ切れていました。袁世凱が皇帝になる正当性はないですし、皇帝という仕組みも西洋マフィアと戦っていくには時代遅れです。日本や西洋マフィアも各地の組を応援して中国が一枚岩にならないように妨害します。

パンピーたちは各地の組が横暴なことに怒っています。国民党もなんだかんだ言って、その乱暴な各地の組を抱き込もうとしているので信用なりません。その頃、ソ連から広まった共産主義という新しい宗教が中国にも入ってきます。こんなとき、みんな平等なんだからと言って地主から土地をぶんどって配ってくれる共産党の言うことが美しく見え、農村のパンピーの支持を得て中国共産党は勢力を拡大していきます。

そういう経緯もあり国民党と共産党はめっちゃ仲が悪いです。
しかし、今は日本ヤクザや西洋マフィアたちがシマの中で暴れまくっている緊急事態です。孫文は共産党と手打ちをしてヤクザやマフィアたちと対抗しようとします(第一次国共合作)。しかし、孫文はその後死亡し、後を継いだ蒋介石が共産党を追い出します。国民党は地主とか地域の有力者を権力基盤にしてたから、共産党が自分たちのパトロンをいじめると困るのです。
その後は、共産党は農村に行って農村のパンピーの味方を増やしていきます。蒋介石の国民党はヤクザやマフィアよりも共産党を目の敵にしてぶっ叩きまくります。

しかし、マフィアやヤクザは中国のシマの中で好き勝手しています。盧溝橋事件から日中戦争が始まっており、冷静に考えればもはや内輪もめしている場合ではありません。
蒋介石の部下の張学良は蒋介石を監禁しました。そして、共産党の幹部の周恩来を連れてきて、無理やり話し合いをさせます。お互いムカついていますが、最終的には日本ヤクザを追い出すことが一番大切ということで合意し、国民党と共産とは一時手打ちをして一緒に戦うことになりました(第二次国共合作)

日本は攻める

その後も日本は攻め続けます。
首都南京を占領します。日本国民は大喜びです。その裏では、南京でたくさんの人をぶっ殺しています。南京大虐殺と言われているもので、何人殺したかで今もいろいろな説があり揉めています。過剰に数を多く言うのも不正確でよくないものですが、かといって少なかったならセーフというものではありません。よそのシマを勝手に荒らして殺す犯す奪うとしたこと自体が悪いことですが、当時の日本国民はそのことに想像が至りませんでした
でも、中国側は首都を何度も変えて徹底抗戦します。どんなにやっても日本は中国を支配することができません。
中国国民は日本ヤクザに対してまじで怒ってます。アメリカやイギリスも国際連盟を脱退して好き勝手やるヤクザどもに呆れて中国を支援するようになります。
状況はますます悪くなるのに、中国は絶対に折れません。ここでやけになった日本は、もう中国政府を相手に交渉はしねー!とブチ切れます。これで手打ちの機会がなくなりました。

手打ちを放棄したら、行けるところまで戦い続けるしかありません
そこで日本では「国家総動員法」という法律が作られます。戦争を支持しつづけてきた国民にもケツを持ってもらわなければなりません。ヒト・カネ・モノの全てを戦争最優先で回すということで、国民生活にも多くの制限がかけられます。男は徴兵されますし、残された家族も生活に必要なものを自由に買えなくなり、国から配給されたもので生活するようになります。
政党も全部解散させられ、大政翼賛会というグループにまとめられます。
小学校も「国民学校」と名前を変えて、日本国民である意識を高める教育がされるようになります。
ここで国民も無責任にふざけんなとキレれば違う結末だったかもしれませんが、新聞が煽り、地域の中でお互いに監視しまくる状況の中では、みんながお国のためにと従うことにならざるを得ませんでした

追い込まれる国際情勢

ヒトやある程度のブツは根性さえあれば自前でなんとか揃えられます。
しかし、日本には根性ではどうにもならないブツがありました。それが石油です。
石油がなければ飛行機も飛ばせず戦えません

当時の日本はアメリカから石油を売ってもらっていましたが、アメリカは露骨に日本に怒っていましたので、売ってもらえなくなる可能性が濃厚です。
しかし、このときの日本には他に友達はいません。誰も日本の味方をしてくれないので、ナチスドイツとファシズムのイタリアという同じくらいヨーロッパで嫌われている悪党3カ国同盟を作ります
フランスやイギリスの持ってる東南アジアの植民地からは石油が出るので、そこを分捕ろうと思ったのです。そして、そもそもアメリカとイギリスが中国を支援して物資を送るするルートを断ち切らなければ勝てません

アメリカとしては、ルールを守らないヤクザやマフィアが暴れまくっていると世界でシノギもできませんから困るのです。
あまりにも日本が好き勝手やるので、アメリカはついに日本に石油を売るのを停止しました。そして、中国から手を引け、ドイツとイタリアの悪い友達とも縁を切れという最後通牒を突きつけてきました。

ここで日本は、「中国と戦争を続けるには石油が必要。アメリカを倒せば石油が手に入るから中国と戦争が続けられる」というマジで頭のおかしい判断をすることになるのです。
しかし他人から見たらアタオカな話でも、当事者にとっては合理的な理由があるものです。戦争を止められるのは軍自身しかいない。
しかし、軍の奴らにとっては戦争を止めることは自分たちの破滅を意味します。ここまでやっておいて止めるなんて判断をすれば逃げ腰とぶっ叩かれ、多大な損失を出して、何も得られなかった責任を詰められます。身内からも吊るし上げられるし、今後はよその組からもナメられます。軍からしたら戦争を止めたら確実にひどいケジメを取らされる状況では、0.1%でも勝てるならそっちに賭けるほうが合理的です。そして、勝てるという希望的観測に基づいて、泥沼の戦争に入りもっと事態を悪化させるのです。
実質止めることができる人と、ケジメを取らされる人が一緒になってしまったから起きたのです。
そして、中国を支配したいという動機で始めた戦争を、アジアを西洋マフィアの植民地から解放し、アジア人が協力して繁栄する「大東亜共栄圏」を作る聖戦だとか言い始めるのです。後ろめたいことがあるときほどきれいごとをほざくものです。

太平洋戦争

戦況

日本は宣戦布告もなしにいきなりハワイの真珠湾を奇襲します。アメリカの空母をぶっ壊せば、アメリカは反撃できなくなるとの思惑で攻撃するのですが、空母を壊し切ることはできませんでした。アメリカはガチギレです。

その後、日本ヤクザは東南アジアの西洋マフィアのシマを荒らしまくります。東南アジアの国は最初のうちはマフィアを追い払ってくれた日本を歓迎しますが、結局はマフィアのかわりにヤクザが来ただけなので、抵抗するようになります。
加えて、広範囲に戦場が広がったのに、日本は補給を軽視しました。武器や食料が届かなければ兵隊も戦えませんが、根性でなんとかしようとします。軍は根性でどうにかしようという考えが強すぎて、多くの戦場で無駄死にをさせまくりました。

転機になったのはミッドウェー海戦という戦いで、日本はここでアメリカの空母を今度こそぶっ壊そうとしたのですが、暗号が読まれていて逆にアメリカに空母4隻を沈められます。これ以降は本土も空爆がされるようになり劣勢になりますが、政府もピンチとは言えませんし、新聞もピンチだなんて言っても売れないし怒られるだけなので、政府とメディアが一緒になって日本は勝ってると言い続けるのです。

東京は空襲で焼かれ、沖縄は陸上戦でそれぞれ10万人以上が死にました。どう見ても勝てない状況ですが、止める方法を失っています。誰も降伏しようと言えない状況です。
1945年、2月にアメリカ、イギリス、ソ連、フランスは戦後の後始末の相談を始めました。春にはイタリアとドイツも降伏しました。
しかし、日本はまだやめません。燃料がないから片道の燃料だけ積んで敵の艦船に自爆の体当たりをする「特攻」のような狂った戦法まで登場してきます。

アメリカ・イギリス・中国は無条件降伏を勧告しましたが、日本は無視します。
そして、ついに広島と長崎に原爆が投下されました。
これは絶対に使ってはいけない兵器です。都市丸ごとを壊滅し、そこに住んでいる人たちにものすごい苦痛を味あわせて殺す、地獄を作りだす兵器です。
そして、今まで日本を攻めない約束をしていたソ連も満州に攻めてきます。

陸軍はそれでもまだやると言っていますが、外務大臣も海軍も降伏を受け入れようと主張し、最後は天皇を交えた会議で、無条件降伏が決まります

痛い目にあってようやく気づく

日本人は自分たちが痛い目にあってようやく戦争が悪いことだと気づきました。これまで日清、日露、日中戦争はすべてよそのシマでやっていたから自分が本当に痛い目にあうことはなかったので、やれやれ!やっちまえー!と簡単に言うことができましたが、自分たちが痛い目に合うことで、戦争はやったらやり返されるものと学びます
戦争は、国民が支持し、新聞が煽り、世論の支持をバックに首輪の取れた軍が暴れまわり、劣勢になってもごまかすし、ごまかしていい話しかしないので国民がそこに希望を見出すので余計引き下がれなくなるというスパイラルでした。
国民、メディア、軍、政治、経済界が絡み合い、戦争をやるという方向で一丸になってす進んでいる中で、反対すると誰かの利益を侵害します。国民が反対すれば、周囲からみんな我慢しているのにとぶっ叩かれるし、政治も軍も戦争ができなくなるので締め上げます。軍も自分がやると言って始めた戦争がうまくいっていないとか、ましてや止めるなんて言ったら吊し上げられるのは目に見えています。メディアも威勢のよいことを書いたほうが売れる中で、わざわざ不都合な真実を書いて部数を減らしたり、軍に怒られたりするメリットは何もありません。

道徳的な話として、戦争は絶対にしてはいけないと皆が思うことはとても大切ですが、戦争をしたほうがメリットがあるという状況が発生する限り、道徳だけでは歯止めがききません
戦争をすると損をする仕組み、しないことを前提として、するためにはものすごく難易度の高い手続きを設けることが必要になりますが、どんなに難易度の高い手続きを設けても、皆がこの戦いは正義のための戦いだと思ったら、簡単に制限は解除されてしまうのです。
まだ人類はこの方法を開発することはできていません

終戦

戦後の処理

負けた後は大変です。国内は焼け野原。
勝った連合国が日本を占領します。ボスのアメリカが主導してGHQという組織を置き、日本がもうヤクザなことをしない国に改造していきます。
ちなみに世界では国際連合という組織ができます。戦争を起こすようなやつはみんなでブチのめすという同盟です。本当に同盟が元になっていて、元々は終戦前にアメリカたちが呼びかけて、日本ドイツイタリアの悪の3カ国にみんなで宣戦布告しようぜと集めた同盟からできました。日本と関係なかった国も勝馬に乗りたくてバンバン宣戦布告してきたので、ほとんどの国が入ってます。国際連合は英語ではUnited Nations(ユナイテッド ネイションズ)というのですが、United Nationsとは連合軍のことです。日本では国連が対日本の連合軍というのはバツが悪いので、戦前のものは連合軍、戦後の組織は国際連合と訳しています。戦勝国のアメリカ、ソ連、ドイツ、フランス、中国が幹部としてでかい顔をしています。

しかし、アメリカは日本を植民地化はしませんでした。アメリカは植民地化はカネがかかる割に得るものは大きくないことに気づいてますし、今後共産主義のソ連とやり合うのに、他の国に信頼してもらう必要もあり、親分としての器の大きさも見せなければならなかったからです。
GHQは日本の軍隊を解散させ、戦争を進めた軍人たちを裁判にかけ、軍人以外で戦争に強く協力したヤツは公職を追放しました。
貧しさは戦争でよそのシマを奪おうという動機になりました。だから財閥という大きな企業グループを解体して、土地をたくさん持っている地主からも土地を没収して農民に配りました。戦争のために協力しようという教育もやめさせます。治安維持法や秘密警察などをなくし、一部の利益だけで勝手に進められないよう、いろいろな立場の人が参加できるように女性にも選挙に出る・投票する権利を認めました。
そして戦争もできるし、好き勝手やるやつを抑制させる方法もない明治憲法も変えさせます。最初は日本政府に変えさせようとしましたが、今までとほとんど変わらないものを出してきたので、ブチ切れたGHQが案を作りました。
そして、今まで神とされていた天皇が人間であると宣言します。

取られたシマ

ただし、沖縄はアメリカに取られました。正確にはアメリカが統治するけど、日本でもアメリカでもない宙ぶらりんな状態になります。アメリカは共産主義との戦いで、沖縄に基地を作りたかったので戻してくれませんでした。沖縄は1972年になるまで戻してもらうことができず、日本に帰ってくるときにもアメリカ軍の基地を置くことが条件とされており、未だにアメリカの基地があります。今も中国が台湾や日本の尖閣諸島にちょっかいを出してきているので、アメリカの基地があることは大切なんですが、沖縄の人たちが基地の負担を受け入れてくれていることで強いケツモチに守ってもらえているということは忘れてはいけません。

そして北海道の北方領土と呼ばれる4つの島は終戦のドサクサに紛れてソ連にぶんどられており、ソ連がロシアになっても未だに返ってきていません。本州の人が作る北海道の絵には北海道の本島しか描かれませんが、北海道の自治体などが作っている北海道の絵にはきちんと4島まで描かれています。北海道の学校ではしっかりと北方領土のことを教えています。北海道の人たちだけではなく、日本全体としてシマの返還を望み続けていかなければなりません。

よそに住んでいた人たちの引き揚げ

一方で、満州や朝鮮半島などよそのシマをぶんどった地域にいた日本人もいました。パンピーは本土に引き揚げです。
横暴にしていた人たちは現地の人に仕返しされました。そうじゃない人も急に貧しくなったり、現地の人から攻撃されて大変な目にあいました。まだそれなりに人間関係ができていた朝鮮や満州の中では大変な目に会いながらも、まだマシな方でしたが、満州になだれ込んできたソ連は日本人に何の義理も関係もないので、暴力を振るったり、奪ったり、女性に乱暴したりしました。
どこの地域の人も苦労しながら日本に引き揚げました。途中で死んだ人もたくさんいます。一方で取り残されて差別の中で生きていかなければならない残留孤児なども多く出ました。

そして、兵隊はもっと過酷な目にあいました。満州や朝鮮北部にいた兵隊はソ連に捕まって、シベリアやロシアのいろんな場所に連れて行かれて強制労働をさせられました。60万人近くの人間が戦後も帰れずにロシアに捕まっていたのです。貧相な飯しかもらえず、極寒の土地で強制労働をさせられるので6万人近くが死にました。アメリカが仲介して徐々に帰れるようになりましたが、長い人は11年も帰れませんでした

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