Publicus 金澤一行
古代から続くヤンキー文化が我が国の歴史に与えてきた影響を伝えるための通史です
ヤンキーとは現代特有のものなのでしょうか。 歴史を遡ると日本にはヤンキー的な文化を多く見つけることができます。 たとえば、世界遺産にもなっている金閣寺。 金色で一つの建物の中に禅宗と武家と貴族の建築様式を全部混ぜたスタイル。 見た目はゴージャスで、かっこいいもの全部足したらもっとかっこよくなると考える、極めてヤンキー的な発想でできたヤンキー建築です。 この金閣寺を建立したのは、室町幕府3代将軍、足利義満。 地方の守護の反乱を抑え、南北朝に割れていた抗争を終わらせたバリバリの
ここまで、古代から現代までの日本の歴史を通して、ヤンキーマインドがどの時代においても普遍的であることを見てきました。 現代はヤンキーよりも大学を出たホワイトカラーなどのセレブが優勢な社会ですが、歴史の中でセレブが栄華を誇ったのはほんの短い時期でしかなく、ヤンキーがヤンキーマインドで統治をしていた時代の方がはるかに長いです。 日本の歴史はヤンキー的な思考を基に積み重ねられ、その文化はヤンキーマインドの影響を受け、唯一無二の美しい文化として我が国に根付いてきました。 最終章で
大戦後も世界は平和にならない資本主義VS共産主義 悪の3カ国、ドイツ、イタリア、日本を倒して世界は平和になったかと思ったら全然そんなことはなくて、アメリカとソ連がバチバチになります。 ソ連の推している共産主義という宗教が猛威を振るっていて世界中に拡大しようとしています。 宗教の侵略がよその組からの侵略と違うところは、自国民が敵に寝返えるという点です。よその組からのカチコミなら、外から攻めてくる敵をブチのめすだけですが、宗教の場合は違います。自分の組員が宗教の方の親分の言
軍の暴走クーデター 五一五事件で軍が総理を弾いてから、軍はもっと調子にのります。 他に対抗する組織がなくなってくると、今度は組内の勢力争いが始まります。 もともと陸軍の中には2つの派閥、皇道派と統制派があります。ざっくりいうと皇道派は天皇マジリスペクトで、根性重視、敵を倒すことが大事だからソ連をぶっ潰すというグループです。統制派は根性よりも理屈が大事で、シノギの拡大のために中国を切り取ろうというグループです。武闘派ヤクザか経済ヤクザかみたいな違いです。どちらも暴力でシノ
第1次世界大戦 第1次世界大戦の開戦 ヨーロッパには超強いマフィアがたくさんいます。 こいつらは地球上のあらゆるところで外道なことをしていますが、当然本拠地の周りでもお互いバチバチやっています。小さな組は大きな組に吸収されたりして、いたるところで揉め事の火種があります。 1914年のある日、オーストリアという昔は強かった組の若頭(皇太子)がパレード中に弾かれて殺される事件がありました。弾いたのはオーストリアに支配されていたセルビアという組の若い衆でした。オーストリアは返し
日本がようやく西洋マフィアと対等な力をつけてきたところで、朝鮮半島を巡って大きな抗争を起こします。 ヤクザ日本にとって、朝鮮半島はロシアからの防御に重要な場所です。朝鮮半島はロシアも狙っていて、進出されるとめちゃめちゃピンチになります。 そして、ヤンキーとしての純粋な本能として、よそのシマをぶんどりたいという気持ちで進出していきます。 ヤンキーマインドで見る東アジアの開国日本、韓国、中国は西洋マフィアの圧力で開国し政権交代していくのですが、日本はともかく外国のことは覚えにく
西洋マフィアにナメられない国をつくり、不平等条約をなくすという強い気持ちで、ようやく憲法と議会が設置されることになります。 これは現代にまで続く、日本の民主主義の第一歩であると同時に、西洋マフィア強盗団の仲間入りをして外国を荒らしまくる第一歩となるのです。 怒りと民権運動元武士の士族たちは怒っていました。武士はこれまで特権階級だったのに四民平等とか言って色々と権利を奪われました。 パンピーの農民たちも怒っています。政府がカツアゲ(課税)をしてくるのです。自分の土地を持てるよ
ようやく国内も落ち着いてきて、いよいよ西洋マフィアどもと不平等条約の改正の交渉です。 堂々と「日本なめんな!」と言ってふざけた条約を変えさせなければなりません。 ヤンキーの政権の中ではシマを守ることが何よりも大切なことです。 西洋マフィアが地球上のいたるところでシマ荒らしをしている中で自分のシマを守ることは容易ではありません。 シマ荒らしから自分たちの身を護るには、強くなって西洋マフィアに「弱い者いじめはやめるんだ!」と主張する方法と、自分たちも西洋マフィアと同じく荒らす
徳川幕府から天皇に政権が戻り、実質は薩長を中心に、薩長に協力をした土佐(高知)と肥前(佐賀)を中心にした田舎ヤクザが仕切る政権ができます。 そもそも新政府ができた背景には、外国のマフィアに的にかけられてヤバい状況を変えなければならないという事情があります。芋を引いた幕府が外国マフィアに飲まされた不平等な条約を変えなければなりません。 そして、ヤンキーとして望むのは西洋マフィアの仲間に入ることです。ヤンキーですから、西洋マフィアのように自分たちも同じように外国にシマを広げたい
いよいよ幕末です。江戸幕府が始まって約250年。強烈な身分制と、武家諸法度ででっちあげられたいつわりのヤンキーらしさに従って生きる時代。幕府が弱くなることで、ようやくヤンキーらしい時代が戻ってきました。 外国とのシノギ鎖国の目的 昔の学校の歴史の授業では、江戸時代は外国との取引をしない「鎖国」だったと教えられていましたが、最近はそう言わなくなっているようです。 ヨーロッパとはオランダとだけ長崎の出島で貿易をしていましたが、朝鮮や中国とも外交はありました。それに沖縄と北海道
江戸時代はよくも悪くも変わらない時代です。 それは、家康がずっと自分の子孫が権力を握れるように仕組みを作ったところから始まり、その仕組みは当初の目的を忘れ、決められたことを守る事自体が伝統となり、保守的に続くようになってきました。 ヤンキーにとっての江戸時代とは 江戸時代は、強烈な身分制がある時代です。 生まれついた身分に基づきつける仕事も決まります。少しの例外を除いて、基本的に実力で何かを掴み取るというのは難しいです。 反面、みんながまあなんとか食っていけるという時代でも
関ケ原の戦いで勝ったことで、徳川家康による支配が始まります。 江戸時代は約250年続く、安定した時代です。 江戸幕府が長く続いた理由は、過去の政権の失敗を回避する策を仕組みとしてしっかり組み込んだことにありました。 江戸という土地家康は、江戸に本拠地を移します。 関東平野は日本で一番広い平地ですが、江戸は当時は不毛の地でした。 利根川の水が流れ込んできて、水はけが悪い湿地帯で、雨が降ると数日水浸しになり農業ができません。昔は、関西から東北に行くには関東を通らずに鎌倉を経由し
皆がヤクザの戦国時代から全国統一につながっていく流れを作ったのは、御存知の通り信長、秀吉、家康です。 織田信長の時代信長と言えば、おそらく日本史上で一番ヤンキーっぽい人というイメージではないでしょうか。若い頃はみんなに「うつけ(バカ)」と言われて有名なヤンキーでした。 織田信長は尾張(愛知県)の小さな組の跡継ぎでした。名をあげたのは静岡の今川組というそこそこ有名な組を倒した桶狭間の戦いという抗争でした。 そのころ、室町幕府の将軍足利義輝が反乱した大名に殺され、その弟の義昭
ヤンキー的でもあり、ヤンキーらしくもない時代、戦国時代応仁の乱が終わって、誰も室町幕府の言うことを聞かずに自分勝手にやり始めます。ここから戦国時代のお話です。正確には室町幕府が残っているまでは室町時代なのですが、幕府の力が弱くなりすぎて、地方のヤンキーたちが好き勝手始めているので、室町末期から戦国時代は同じ枠組みで見たほうが分かりやすいと思います。 戦国時代は一見すると、戦国武将同士の抗争が激化するヤンキー全盛の時代と見ることもできます。 しかし、それだけでは戦国時代のこ
室町幕府は偉大だった3代目義満が死んだ後、息子の義持が4代目を襲名します。 義持は父のことが大嫌いで、父を否定するようなことばかりします。 朝廷が死んだ義満に「法皇」の称号をあげると言ってきます。法皇は引退した天皇しかなれないものです。父親が大嫌いな義持はそれを断ります。 そして、義満が始めた明との貿易も辞めてしまいます(その後すぐに復活するのですが)。 義持の政治は、義満の作った基盤の上で、まあまあ安定してはいたのですが、その裏で守護大名たちの力はどんどん強まっていきます
有力なケツモチがいないと世の中は荒れます。 強いケツモチがいる時は、いちいちケンカをしなくともケツモチの名前を出せば相手も引き下がるので、無駄な抗争は抑えられましたが、ケツモチがいなければ単純に暴力の強さで白黒つけるしかありません。 グダグダ抗争が長引く鎌倉時代後期からの暴力の分散化により、西日本を中心に地元のヤンキーたちが力をつけており、何より奈良に逃げた後醍醐天皇の「南朝」があったことで、尊氏と「北朝」は、日本全土を掌握しきれていませんでした。 後醍醐天皇が尊氏をぶっ殺