偉くなりたいのではなく偉くならないとできないことがしたい
どうも、理学療法士のゆうです。
私はたまに「偉くなりたいんでしょ」と言われることがあります。
これは半分正解で半分不正解です。
今日はこの「偉くなりたいんでしょ」から「手段と目的」について書いていこうと思います。
「手段と目的」について考えることで自分が何をしたらいいのか、何をしたいのかなど、見えてくることも多いと思うので、最後までお読みいただけたら幸いです。
「偉くなりたいんでしょ」の真意
私に「偉くなりたいんでしょ」という人の多くは、私が「偉くなること」を目的としているというニュアンスで話していることが多いと思います。確かに私は役職がついたり、出世をしたりすることを拒むことはなく、むしろ積極的にリハ課長や事業責任者としての立場に着こうとしています。
そういった意味では「偉くなりたいんでしょ」は半分正解です。
しかし、私は「偉くなること」を目的としているわけではありません。
ですので、半分不正解です。
偉くなるのは「手段」
私は「偉くなること」を目的ではなく
と考えています。
何のための手段かと言えば、自己紹介でも書いた私の3つの使命を果たすための手段です。
あくまで私にとって目的は
です。
その他の目的に、人材育成や新人教育に力を入れられる立場になるということもあります。
ただ、私にとって人材育成や新人教育ですら私の3つの使命を果たすための1つの手段です。
このように1つの手段(偉くなること)に複数の目的があったり、目的だと思っていること(人材育成や新人教育)がもっと大きなこと(3つの使命を果たすこと)の手段だったり、1つの目的(3つの使命を果たすこと)に対して複数の手段(偉くなること、人材育成や新人教育、noteの活動など)があったりと、目的と手段は複雑な関係性を持つことが多いです。
このような手段と目的の関係性から、今自分が行っていることは手段なのか、何が目的なのかはあいまいになりがちです。
また、よく言われることですが、自分が行っている行為に関して深く考えずに機械的に行っていると、本来手段であることが目的化することがあります。
手段が目的化することで、本来は目的を達成するための手段を、漫然と行えばよいという状態になり、別のより良い手段を考案できなかったり、目的が変わったにも関わらず手段のみを継続して行ってしまったりすることが起こります。すると本来の目的を達成できなくなってしまいます。
このあたりに関しては、ネットで「手段、目的、手段の目的化」などと検索すればもっとわかりやすい説明が出てくるので、自分自身で調べてみるといいかもしれませんね。
また、手段と目的を考える上では「レンガ職人」の話がよく例として紹介されていますが、理学療法士に置き換えた例を見つけたので載せさせて抱きます。
まとめ
私にとって「偉くなること」は手段です。
あくまで目的は「3つの使命を果たすこと」です。
「偉くなること」は「人材育成や新人教育に力を入れられる立場になる」ための手段でもあります。
ただ、「人材育成や新人教育に力を入れられる立場になる」のは「3つの使命を果たすこと」という目的の手段でもあります。
まとめるとタイトルの通り
ということになります。
手段が目的化すると、本来の目的を見失ったり、もっといい手段があるのにやり方を変えられなかったり、目的が変化したにも関わらずに無意味に今の手段を継続したりということが起こります。
自分の成長のためには目的が何なのかを意識していることが重要になるかと思いますので、若手の皆さんは自分自身が今行っていることの目的は何なのか、手段の目的化が起きていないかなどを定期的に見直してみるといいと思います。
私もnoteを書くという手段を目的化させず、「3つの使命を果たす」という本来の目的を忘れないように気をつけていきます。