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心の中のファンタジーを語れることの大切さ

過ちを犯したとあるクライエントは私に言った。
貧しく不遇だったころ、自分が悲劇のヒロインだというストーリーを頭の中で思い描いて何とか自分を慰めていた。でもそれを誰かに話すことのないまま過ごしていたら、どんどん肥大化していって、いつしか頭の中のストーリーを現実にしてしまった。と。


社会的経済的に満たされているのにいつも猜疑心から誰かと対立しているクライエントがいた。
人間は守りたいものが増えれば増えるほど、それを失うのではないかと不安が募るものだ。そして不安は外側に敵を作ることがある(心理学的には、不安を他者に投影しているということになる)。よって不安がコントロールできなくなったとき、敵を攻撃するのである。


どちらにも言えるのは、ファンタジーが心の中で消化出来ないとき(満足できないとき)、それは現実のものになるということ。

この機序は、科学を進歩させたのだろうし、人間を物質的に豊かにしたのだとも思うけれど。


自らのファンタジーを思うままに表現し、それを"重要な"他者に受け止めてもらう(良い悪いを評価せず認めてもらう)体験はとても重要。
それさえあれば、事実や現実はあまり重みがないかもしれない。

でもいま、世の中は孤独の病にかかっている。表現を"真正面から"受け止めてくれる相手はそういない。

その孤独に風を通せる第三者は援助職だと思う。援助職はその自負があって良い。

そして援助職に就く者も等しく人間なのだから、孤独であってはいけない。



人間は、その質や濃さの程度はあれ、関係性に生きている。孤独感、不安感こそが人間の心を豊かにしている面もある。
なにより、それを表現し共有できることが大切。

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