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「認知の歪み」に対する疑問
1900年代後半、アーロンベックが認知行動療法(CBT)を確立し、「認知の歪み」が提唱された。
「認知の歪み」とは、自分自身や他人、またはこの世界に対する歪んだ考え方で、その考え方によって自分自身が苦しむような状態がうつ病の原因だと考えている。
「認知の歪み」にはたくさんの種類があり、ざっと上がるものだけでも12個くらいはある。
例えば、白黒思考もその一つで、物事を見た時に全てが0か100かでしか見えなくなっている。
すこしネガティブな事や嫌な事があると、「自分はダメだ」「もうどうしようもない」という風に絶望の淵に立たされたかのように考え込んでしまう。
他にも、レッテルといって、過去の経験や知識によってある程度物事を決めつけるのも認知の歪みの一つである。
例えば、「弱い人間だ」というのも「お金持ちになれるのはごく一部の人間だ」というのもレッテルである。
なぜならその根拠はない。
おそらく「なんで自分は弱いと思うの?」と聞くといくつかその原因が挙げられ、その原因を持つ人が実際に全員弱いかどうかと尋ねるとそうではないと言うだろう。
つまり、その考えは決して根拠があって起きている物ではなく、ただただどこかのタイミングで自分で決めつけ、それが本当の事のようになっているだけである。
このように誰しもが何かしらの認知の歪みを持っている。
と思った時に一つの疑問が、「認知の歪み」という名前が適切なのかどうかである。
歪みと聞くと良い印象を持たない人も多いだろう。
さらに、歪みというのは「歪んでない」という概念が存在して初めて存在する、いわば陰陽の関係にある。
しかし、先ほども述べたように誰しもが考え方が違うわけで誰しもが認知の歪みを持っている。
つまり、そこに「歪んでいない」という概念は存在していない。
それをあたかも悪い事かのように命名するのは、非常に誤解を生みやすく危険だと考える。
そもそも「誰もが認知の歪みを持っている」という文章自体に矛盾が含まれている。
全員が違うのだから、どれか一つだけをピックアップして「歪んでいる」と騒ぎ立てるのは間違っているように思う。
恐らくベックもそれ自体は理解していただろう。
しかし、大切なのは認知の歪みがあるかどうかではない。
そうではなく、ただその歪みによって精神的に、且つその人の人生に影響が出ていて、初めてそれが問題になる。
ただただ、その人が一般的にマジョリティの人と異なる考え方を持っていてもそれを認知の歪みと取り立てて改善の対象にする事は間違っている。
そもそも認知の「歪み」という名前に疑問を投げかけなければならないのだ。
「認知の歪み」に対する疑問。
最後まで読んで頂きありがとうございました。