無知の中の知:僕たちの生きる世界
僕たちの生きる世界はかなり狭い。
自分が生まれ育った故郷から出た事がない人や日本から出た事がない人、アジアから出た事がない人など、さまざまだろう。
それもそうなんだが、この「狭さ」は物理的な意味だけではない。
先日、人は環境の変化を嫌い、安全を求める生き物だという話をした。
その話にも通づる話である。
ここでは僕たちが生きる世界を「無知の中の知」という言い方をする。
どういう事かというと、我々の安全は「知っている」事から得る事が多い。
例えば、いつも行く場所やいつも食べている物、いつもしている事をするのは怖くないはずだ。
それは、それをよく知っているからである。これが知である。
その一方で知らない場所に行ったり、新しい仕事をすると最初は怖いし、緊張するだろう。
これは、その場所や仕事を知らないからである。これが無知である。
僕たちが生きている、「知っている」世界は「知らない」世界に囲まれている。
日本と世界の関係や、地球と宇宙の関係にも似ている。
地球の事は少しずつ分かってきているが、宇宙の事はほとんど分かっていない。
また日本から出た事のない人からすると、日本という国が知であり、その知は世界という無知に囲まれているわけだ。
しかし、この「無知の中の知」は外的世界だけの話ではない。
僕たちの人生も同じである。
例えば、コロナウイルスの影響で職を失う人も多くいる。
彼らは突然「知の世界」から「無知の世界」に放り出されたのだ。
毎日同じ時間に起き、同じ手段で仕事に行き、一日仕事をし、家に帰る。
そんな毎日が「知」であり、急に職を失い、どうすればいいのか、どのように生きていくのか、仕事は、生活はどうするか、そんな世界が「無知」である。
そして、このパンデミックもまさに「無知」なのだ。
だからこそ、僕たちの安全は奪われ、不安や恐怖、絶望に襲われる。
そしてその結果が精神疾患なのである。
つまり、精神疾患に苦しむ人の多くが「無知の世界」に放り出された人であり、その中で生きる選択を失った人なのである。
だから、精神疾患になる方の多くが「こんなはずじゃなかった」「何でこんな事になったんだろう」と言う。
その理由は彼らの人生が、彼らの理想通り、彼らの思い描いていた通りにいかなかったからである。
どれだけ博識な人や経験豊富な人でも生きている世界はほんの僅かな知の世界である。
余談だが、この「知の世界」と「無知の世界」は「秩序」と「混沌」と表現される事もある。
「混沌」とはカオスである。聞いた事がある人も多いだろう。
この世界は「混沌」が「秩序」を覆い囲んでいる。
そして、その混沌の世界を恐れ、秩序の中で安全を求めるのが人間なのだ。
これが我々の生きる世界である。
無知の中の知:僕たちが生きる世界。
最後まで読んで頂きありがとうございました。