いつも頑張って笑顔を作っている人
皆さんは、辛い時の自分や悲しみ、寂しさを素直に他人に見せる事が出来ているだろうか?
本当は大丈夫じゃないのに、「大丈夫だ」と無理して笑っていないだろうか?
また、逆に周りにそんな人はいないだろうか?
僕はそんな人をたくさん見てきた。僕たちに心配かけないように常に明るく振る舞い、ちょっとしたことでも誰よりも大げさに笑ってくれる。
こんな風にいつも明るく笑顔で、ちょっとした事でも大袈裟なほどに笑っている人は、実は心の奥で強い孤独感を感じている事が多い。
しかし、その孤独を認めたくないがために、無理に笑っているのだ。
心理学ではこの反応を「反動形成」という。
厳密にいうと、これはアンナ・フロイトによって提唱された防衛機制の1つである。
反動形成は、自分の本当の感情を受け入れたくない時に、わざと本当の感情とは真逆の反応をし、辛い感情から自分自身を守っているのだ。
例えば、今にも怒りが爆発しそうな人が、逆に落ち着いたように話すのも反動形成の1つだし、
小学生の頃、好きな子に嫌がらせをしたり、わざと冷たくするのも反動形成である。
このように人は自分で受け入れたくない感情や周りに知られたくない感情を隠し、その正反対の反応をする事で本心を隠そうとするのだ。
僕は小さい頃、ずっとそんなことに気づかなかった。
僕が小学生の頃、仲の良かった友達がいた。今思うと仲が良いと思っていただけなのかもしれない。
彼は常に明るかった。いつもクラスのムードメーカーで引くほどポジティブな奴だった。
なので、もちろん僕は一緒にいて楽しかったし、そいつも楽しいと思っているとばかり思っていた。
そして、僕はそんな彼の明るさと優しさに甘えて、結構酷い事をしたり言ったりしていたのかもしれない。
彼は学校に心の底から友達だと思える人がいなかったんじゃないかと思う。
だから、どこか孤独や寂しさがあったんじゃないかと、今思い返すと、感じる。
しかし、彼は小学校に入った時からムードメーカーだった。常に明るく、常に大きな声で笑い、そういう「キャラ」だった。
だから、本当は孤独だと言える人がいなかったんじゃないかと、その孤独や寂しさを隠すために無理やり、大げさなまでに笑い、明るく振る舞っていたのかもしれない。
彼は、僕が小学校3年生か4年生の頃に転校した。
それから彼がどうしているかなんて知らないが、今でも無理に笑顔を作って、自分の中の孤独や寂しさをうやむやにするような奴じゃない事を祈っている。
本当は強い悲しみや寂しさを感じながら、「全然大丈夫」みたいな顔をする事ほど辛い事はない。
僕は、僕の大切な人にはそんなことしてほしくない。
辛い時は辛いと、寂しい時は寂しいと言える人でいてほしい。
いつも頑張って笑顔を作っている人。
最後まで読んで頂きありがとうございました。