「甘えさせる」と「甘やかす」の境界線を見つけるのに必要なこと。
「甘えさせる」のは大事。
でも、
「甘やかす」のは良くない。
じゃあ、
その違いって、なんだろう?
どういうふうに子どもに接したらいいの?
ということについて、子どもが幼稚園くらいの時にすごく悩んでいました。
赤ちゃんの時は、
親がなんでもやってあげます。
当然です。
まだ自力で動くことも、話すこともできないんですから。
呼吸や睡眠のお世話(顔の上に布団が乗ってないかとか、寝ぐずりとか)
まで必要ですよね。
乳幼児を育てている親御さん、ほんとうにお疲れ様です。
とても大変で、尊い作業に
休みなく、惜しみなくすべてを捧げているんですもの。
疲れて当然です。
どうぞ、たまには助けを借りつつ自分も労わってくださいね。
・・・ついつい、そんな言葉を書きたくなります。
大変だったなあ。
でも、かけがえない時間でした。
さてさて。
「甘える」と「甘やかす」で悩んだのは、それから後の時期です。
寝ていたばかりの赤ちゃんは、
食べる、話す、歩く、走る、といったスキルを習得していきます。
ほんの一年で、めまぐるしく、なんとも目覚ましい成長です。
とはいえ、です。
お箸はまだ使えませんし、必ず食べこぼします。
好き嫌いもあって、いやだったらお皿ひっくり返したり、こっそり落としたりします。←ココ。
ここです。
そんなことされたら、とても悲しくなります。
疲労困憊の中、いろいろ健康のこととか考えて、食べやすいよう工夫もして準備したのに、そんな扱いされたら、怒りも湧いてきますよね。
でも、
相手は、まだ気持ちのすべてをうまく伝えられない小さな子です。
「ごめん、せっかくなんだけど、やっぱりトマトはちょっと・・・。
ちょっと甘めなら・・・・あ、でもケチャップならいけるかも」
なんて、言ってくれたりしないですからね。
大人だって好き嫌いは、大なり小なり、あります。
それを強制していいものなのだろうか。
と思っちゃうんです。
無理に食べさせて、食事自体がいやになっても困るし。
とはいえ、栄養バランスや健康は守りたい。
じゃあ食べなくていいよ、は
甘やかし?
それとも
甘えさせているの?
その子がどれくらいの偏食なのかとかもわかりませんし、
工夫したら食べれるのか、それともどうやっても無理な食材なのか。
アレルギーがあるからなのか、たまたまコンディションが悪いのか。
とても、悩ましかったです。
結局、
一口だけはトライしよう、とか
小さく切ってみる、とか
味付けを変えてみる、とか
こっそりハンバーグに混ぜてみる、とか。
してみたりもしました。
でも、
「・・・わかった。もう食べないのね」と
静かな怒りを滲ませる日もありました。
イライラを御しきれずに出してしまうと、
後で自己嫌悪に襲われます。
こんな小さな子に感情をぶつけてしまったことが情けなくなるんですよね。
そんな日は、主人の気遣いが本当にありがたかったです。
「甘えさせる」のは、
本人が、がんばっても”できない”状態の時に、休ませたり、サポートすること。
「甘やかす」のは、
本人が、がんばったら”できる”状態の時に、休ませたり、サポートすること。
今の時点で私は、そんなふうに解釈しています。
あくまで、これは子ども主体です。
どう接するかは、最終的に親が決めるのですが、
その子が「がんばればできる」のか「がんばってもできない」のかを、
親の目線だけで考えてしまうと、子どもの状態との不一致が起きるのではないでしょうか。
なので、必ず子どもの目線、特に今の状態ではどうか、ということを考えることが大切なのでは、と思います。
そして、これは親御さんが自分軸を持ってるかどうか、
自己肯定感があるかどうか、みたいなところも関わっているように感じます。
というのも、私が他人軸で生きてきていたからです。
相手と対立するよりも、同調して和を保ちたい。
そう思って過ごしてきた自分にとって、
子どもは、面と向かって、しかもはっきり時に激しく
NO! を突きつけてくる相手でもありました。
こんなに、毎日尽くしてるのに、ひどい。。
何言ってんのよ、これは、こうでしょ!
なんていうことが、私にはできませんでした。
自分の中には「こうすべき」ルールがあるのに、
それを我が子に「こうなんだ」と示すことが苦手でした。
自分の中のルールをこの子に押し付けていいのだろうか?
この子が嫌な思いをしてまで、押し通していいことなの?
まっさらな子どもの心に、一生ものの刻印をつけるようで、
とても怖かったのかもしれません。
でも。
ある意味では仕方ないんですよね。
できるだけ公平で、良い価値観をと思っても、
結局のところ、その評価は自分が決めているものですし。
それに、意外と子どもはよく見ています。
どんなに小さくても。
親が与えようと見せているもの以外のものを、
どんな時に、どういうふうに対応しているのかとか、
家の中と外では違う、とか。
食事やお風呂、余暇の過ごし方、話し方・・・生活のあらゆる場面から
しっかり(ちゃっかり?)受け取っています。
共に生きるって、そういうことなのかなと思います。
「甘えさせる」と「甘やかす」の境界線を見つけるには、
子どもの現在の状態を把握することと、
親自身の価値観や自己肯定感についての客観的な視点が必要かも、
というお話でした。
読んで頂き、ありがとうございました。
そのままの自分もわるくない、と思える一日でありますように。