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生きてこそ
今週の話題はやっぱりこの人ですよね
1日で三冠を達成するなど、さすが大谷翔平選手!
ポストシーズンも話題を欠きませんね〜⚾️
長く生きていると今まで想像し得なかったことも目の当たりで見ることができ、時には喜びを分かち合い、時には悲しみに途方に暮れることもありますが、それはやっぱり「生きている」からこそ、感じることができる感情なんでしょうね
さて、今回のnoteは、前回のnoteの続編的な内容として「生きる」をテーマに書かせていただきます
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■ふと考えた「生きる」意義
最近ですが、”Pro Bono さの”が社会人になる前に色々とお世話になった方のご親族がお亡くなりになり、葬儀に参列させていただきました
葬儀に参列中に”Pro Bono さの”の若かりし頃を走馬灯のように思い返しながら、いろんなことを考えていました
若気の至りで小っ恥ずかしいことも平気でしていた時期もありましたが、今から思い返してみると、こういう経験もしてきたからこそ、今の自分がいるんだなよなぁとふと感じました
天寿を全うして天国に召される方もおられたら、何らかの事情で天寿を全うすることなく若くしてお亡くなりになる方もおられます
中には、残念なことですが、自分で寿命を決めてしまう方もおられます
こうしたことを考えているうちに、「生きる」意義ってなんだろうと考えてみたのですが、自分の中で明確な答えがでないまま、葬儀が終わりの時間となりました
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■生きづらさを感じる世の中
昭和・平成・令和と時代が移り変わるにつれ便利になり、家にいながら世界がいま起こっていることを見れるだけでなく、どんなに離れていたとしても、その人たちとITデバイスを通じて対面で話をすることができます
しかしその一方で、それまでのIT技術が進歩する前までは当たり前だった対面でのコミュニケーションが希薄になってきたことから、違う問題が発生するようになりました
facebookやInstagram、XなどのSNSが登場して、本来の目的であった使われ方をしない人が匿名での誹謗中傷で人を傷つける人が登場しました
本来、お互いの共感を得るためであり、また息抜きのはずのSNSが人を傷つける道具として使われていることは非常に残念ですし、もちろんSNSを構築した人からしても同じ思いだと思います
加えて、昭和平成からの悪しき慣習を重要視する人も未だ少なくならず、モラルや常識という言葉で人を容易く傷つけたりします
以前のnoteで「VUCA」の時代について書かせていただいましたが、いまの時代、不確実な状態を生きているので、将来のことを考えると不安なことだらけであります
自らに降りかかってくる不安を拭うために、他の人を蔑み、マウントすることによって存在感をアピールしたいのかもしれないですね
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■いま自分がいる場所に「今」いる必要はない
前回のnoteでも紹介させていただきましたが、ハンガリーの諺である「逃げるは恥だが役に立つ」は「いま自分がいる場所、置かれている状況にしがみつく必要は無い、自分の得意なことが活かせる場所へ行こう、逃げることも選択肢に入れよう」という意味だそうです
いま自分のいる場所に不自由や窮屈さを感じているのであれば、自分が今の能力などでは対応しきれない場所なのです
それなら他の場所で経験値を上げて、然るべき時期に再びその場所に戻ってきて頑張ったらいいのです
その場所にいなければいけない理由はいくつも頭の中に浮かんでくるのかもしれませんが、その場所にいなければいけない理由がたくさんあったとしても、「今」いる必要はないはずです
自分の経験値を上げてその困難や課題のある場所で闘えるだけの能力を蓄えて戻ってきたらいいのです
その場所に今いなければいけないという思い込みを取っ払うことができたら、もっと気楽に生きることができるはずです
人は追い込まれすぎる状況に陥ってしまうと発想も力もいい方向に発揮することができないようになってしまっているのです
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■きっと誰かがあなたを必要としている
人は承認欲求が強いため、ついつい他の人と比べてしまいます
他の人ができることでも自分ができないことがあると「自分は何もできない」と劣等感に苛まれます
反対に自分ができることが他の人ができないと優越感を感じて喜んだりします
しかし、その「できること」の優劣はどこからくるのでしょうか?
いろいろな人がいて、それぞれの人がもっている得意なことや苦手なことは誰もが大なり小なり持っているものです
得意なことや苦手なことの優劣はそもそも存在しません
得意なこともあれば苦手なこともあるから、人は他の人と共に社会生活を送る仕組みを長年に渡って生み出しました
だからこそ、それぞれの役割があるため、老若男女問わず、誰ひとり不必要な存在はないのです
人から羨まれる能力や才能がなかったとしても、誰からかその人を必要としているのです
必要としている人にしか見えない、その人のいいところや才能、能力があるわけです
自分を必要としてくれる人が、いま身近にいないと思っていても、自分が気づいていないだけかもしれません
きっとあなたを必要とする人はどこかにいてるはずです
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■生きてこそ
さて、冒頭での「生きる意義」について、”Pro Bono さの”的に考えてみました
他のnoterに紹介されたnoteを読み返してみると、ヒントが表れました
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それがこのnoteです
このnoteは”Pro Bono さの”が100超えのスキをいただいた作品ですが、この中に「可能性を信じる人には救いの手が差し伸べる」という章があり、その中で書いていることこそ、生きる意義なのかなと思いました
多くの人は自分の可能性を探す旅に迷ってしまい、諦めてしまうことがあります
また、自分の可能性は自分だけで見つけることも難しいことも事実です
だからこそ、他の人との交流を通じて自分の可能性を発見し、その可能性を夢に思い描き、達成していく、達成したら、次の可能性を発見し、その可能性を夢に思い描きながら、また達成していく
そうやって生きた証をなんらかの形で後世に残すこと、それが生きる意義なのかなと思ってきました
昔、アニメのテーマ曲に使われたkiroroさんのこの曲にこんなフレーズを見つけました
生きてこそ 生きてこそ 無限に羽ばたいていく夢
生きているからこそ、無限に広がる可能性と夢を追い続けることができます
この曲にはこどもから親が自分の生まれたときのことを問いかけるシーンからはじまっています
多くの子どもたちは生まれたとき、親からそして家族から愛され、その誕生から無限の可能性を感じながらが見守ってきたはずです
生きてその可能性を実現していくことこそ、「生きる意義」なのだと思います
神様から与えられた「生命」を粗末に、そして「無駄」にすることなく、たとえ失敗続きであっても、一生懸命可能性を実現していこうとする実直な姿、それが神から与えられた「使命」なんでしょうね、きっと
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※参考にした文献等
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![Pro Bono さの](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/108561826/profile_68fa01e623374d04c371831e03d78304.png?width=600&crop=1:1,smart)