偏光プリズム

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宮沢賢治「堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます」

堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます。 実にひらめきかゞやいてその生物は堕ちて来ます。 まことにこれらの天人たちの 水素よりもっと透明な 悲しみの叫びをいつかどこかで あなたは聞きはしませんでしたか。 まっすぐに天を刺す氷の鎗の その叫びをあなたはきっと聞いたでせう。 けれども堕ちるひとのことや 又溺れながらその苦い鹹水を 一心に呑みほさうとするひとたちの はなしを聞いても今のあなたには たゞある愚かな人たちのあはれなはなし 或は少しめづらしいことにだけ聞くでせう。 けれど

    • ピタゴラス教団「黄金詩篇」

      不滅の神に対して汝の勤めを果たすこと 親御と近親者を敬い 徳において第一の者を友として 彼の話に注意深く耳を傾け ささいな欠点で友を力に任せて捨てない 怒り、怠惰、贅沢は避け 邪悪なものを慎む、己は最も恐れることだ 人は皆死ぬべく定められてるのを肝に命じて 富はそれを得た時と同じように速やかに失われる 苦しみは、神のおぼし召しによってもたらされるので、喜んで受けよ しかし一切の気苦労を除くように努めて 正しい者が最高の利益をいつも得るとは限らないと思え 人の甘い言

      • 宮沢賢治「月天子」

        私はこどものときから いろいろな雑誌や新聞で 幾つもの月の写真を見た その表面はでこぼこの火口で覆はれ またそこに日が射してゐるのもはっきり見た 后そこが大へんつめたいこと 空気のないことなども習った また私は三度かそれの蝕を見た 地球の影がそこに映って 滑り去るのをはっきり見た 次にはそれがたぶんは地球をはなれたもので 最后に稲作の気候のことで知り合ひになった 盛岡測候所の私の友だちは --ミリ径の小さな望遠鏡で その天体を見せてくれた 亦その軌道や運転が 簡単な公式に従ふ

        • 幾何学を讃嘆する歌

           万象の微を極むれば  点とこそなれ此の点ぞ  我が幾何学の始源なる  それ一点の行くところ  一たび動けば線となり  二たび動けば面となり  三たび動けば体となる  見よ幾何学の微妙空  平行線か天の川  同心円の月の輪に  流るる星の軌跡しも  推理し来れば幾十線  幾個の角の去来みな  自然の法を示現して  不尽の鉱の金砕く  鶴嘴とめて思ふかな  真理は不磨の山を成し  巧致は不羈の雲となり  妙興尽きぬ大海に  ああ何人か棹して  千里の帰路を思はんや  若し

        宮沢賢治「堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます」

          ノヴァーリス「聖歌」

          不安で暗鬱な時を過ごし 心が萎えそうになるとき、 病いに打ち負かされ 不安が心を蝕むとき― 愛する人たちが悲嘆や苦悩に 打ちひしがれるさまに思いをいたしても、 雲がわたしたちの眼差しをさえぎり、 一条の希望の光も射さないのです― ああ、そんなときこそ、神は此方に身を傾けたまい、 神の愛はわたしたちに近くなるのです。 そんなときこそ、わたしたちが彼方を憧れ慕えば、 眼前に天使が立ちあらわれ、 新たな生命の杯を差し出し、 わたしたちの耳に勇気と慰めをささやきます― だから、愛す

          ノヴァーリス「聖歌」

          あなたのエンマ

          シュタイナー天使学シリーズ『天使がわたしに触れるとき』(ダン・リントホルム著、イザラ書房)に収録されている実話に、特に琴線に触れた物語があったのでそれを転載します。著作権上、問題があるかもしれませんが(汗)。 ******************************* 「あなたのエンマ」 地上での人生を、かなり長い時間にわたって振り返ることのできる人は、あちこちに運命の分岐点を見出すことでしょう。このとき、場合によっては、自分がどうしても通過しなければならなかった、

          あなたのエンマ

          ジョージア・オキーフの似顔絵

          二十歳のとき大学の寮で描いたデッサン。あまり似てないかな?

          ジョージア・オキーフの似顔絵

          青きエーテル(永遠の少年の詠める稚拙なる和歌)

          霜柱踏み理由もなく心躍らん幼子のごと 池の氷石もて次から次へと割りて気持ち良かりし少年の頃 理由もなく己が身体のみは透明の如き気がしておりし幼少の頃 音のないメロディー永遠のような一瞬二階堂CMは素晴らしきかな 永久の未完成これ完成なりと賢治云ふ 神聖なる好奇心失うべからずと蓬髪のアインスタイン翁云ふ やむことなきこの胸を締めつける寂しさ宇宙への郷愁と呼ばん 矛盾撞着光あれば翳あり人間存在とはげに不思議なるものかな 齢四十六にして思わん少年の頃の心と少しも違わ

          青きエーテル(永遠の少年の詠める稚拙なる和歌)

          透明プレパラート(理科人の詠める稚拙なる和歌)

          昔書きためていた和歌の真似事のようなものを、ここに保存も兼ねて記します。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 平行線の行き尽く果てを無限遠点と定義せし夢多き数学者あり 目眩覚ゆ数の深淵は人間てふ奥深き魂にこそ宿らん 一次元の意伝えんと白墨もて黒板に直線引きし老数学教師ありき 無限なる循環小数割れども尽きず恐ろしきまで 女神より毎夜半ダースの定理受信せしインドの数学者あり 宇宙の透明な闇を近似せし音列はバッハかな 宇宙の調和覚えしは鍵盤四季星の軌道か

          透明プレパラート(理科人の詠める稚拙なる和歌)

          シモーヌ・ヴェイユ~「神への愛のために学校の勉強を活用することについての省察」

          人はなぜ勉強するのだろう? 競争心から? 人から頭良いと思われたい虚栄心から? 良い大学に入りたいから? 良い就職先を得たいから? そんな功利的な衝動ではなく、純粋な知的好奇心から? 自分は子供の頃から知的好奇心が強く、その衝動に従ったので、好きな科目はよくやるものの、嫌いと思った科目は見向きもしない我儘放題だった。そしてそんな自分をカッコいいと思っていた。 しかし後年、学生時代は嫌いだと思っていた分野に興味が出てくることも多々あるようになった。逆に、若い頃に興味のあった分

          シモーヌ・ヴェイユ~「神への愛のために学校の勉強を活用することについての省察」