高尾歳時記 2024年9月14日
本日の読売新聞の朝刊に、近年の低山ブームに関する記事が出ていました。
畑武尊「ゆるりと山歩き ブーム」、2024.9.14 朝刊 P.6 読売新聞東京本社
Web link
記事は以下の書き出しから始まります。
:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:
英国の登山家ジョージ・マロリー(1886~1924年)は、人類未踏峰のエベレスト(8848メートル)を目指す理由を問われ、「そこにあるからだ」と答えたという。国内でいま“低山”に登るのがブームになっている。さほど高くも険しくもない。そこかしこにある低山の何が魅力となっているのか。
:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:
にわかには文意をつかみにくい導入です。ジョージ・マロリーが発した「そこにあるからだ」は、人跡未踏のエベレスト登頂に人類最初の足跡を刻まんとする野望と、それに対する功名心がこめられたものですが、それを素直に代入すると「ジョージ・マロリーは、人類未踏峰のエベレストを目指す理由を問われ、人類未踏峰だからと答えたという」となり、意味をなしません。
もっとわかりやすくいうと、マロリーがいっているのは「人類初の快挙をなしとげて、すげぇ!ってみんなにいわれたい」とか「歴史に名を残したい!」とかいうことなのですが、低山に登って「すげぇ!」とみんなにいわれることはないと思いますので、かかる含意でマロリーを引用したのではないのでしょう。したがって、これもやはり「そこにあるから」の派生義である「それそのものが目的だ」という意味合いということでしょう。すなわち、なぜ低山か。なぜなら、低山そのものが目的たりうるからである、というようなことが言いたいのでしょう。この派生義自体は人口に膾炙し日本語として定着して久しいので、そこから論旨を推察することはできるものの、であればマロリーを引用する必要はないので、なんにせよ文章として不親切です。要は最初の文、「英国の登山家ジョージ・マロリー(1886~1924年)は…と答えたという。」は意味不通なのでいらないということです。私が編集者だったら「意味わかんない」といって、ばっさり切っちゃうでしょうね。「なぜ低山なのか。それは、それそのものに魅力があるからである」などとすればよい。
それよりもっと気になるのは、この記事に貫かれている、「高山はすごい。なので、登ったやつはすごい。低山はすごくない。なので、登ってもたいしたことない」という前提です。
もっとも、これ自体は多くのひとたちが、程度はともかく感じている通念でしょう。
もちろんそれはおおきなまちがいです。山に優劣はありません。どの山にも、それぞれにそれぞれの魅力があります。山の個性は、その位置、地形、地勢、気候、文化、歴史、生態系、人為などなど、無数の変数によって作られるもので、高山も低山も、ふたつとして同じ山はありません。あちこちをまわってそれぞれの魅力に触れるのも面白いですし、私のように、ホームマウンテンである高尾山を深く掘りさげるのも面白い。
でも、やっぱり南アルプスとか北アルプスは難しいんでしょ?といわれますが、皆さんが思っていることと事実はちょっと違います。
あるとき、飲みの場でのこと。
年上おじさん:「高尾山?あんなの山じゃないよ。丘じゃん!」
私(もおじさん):「へえ、そうですか。じゃあ、山頂までのぼってくだって何分ですか?」
年上おじさん:「2時間もかからないよ!」
私:「丘というわりにはずいぶんちんたらやっているんですね。わたしはのぼり30分、くだり25分ですけど。」
山を難しくするのは、山じゃなくて人間なのです。自分の限界が登山の限界です。どんな山でも、難しくしようと思ったら近所の公園の小山でもなんでも、いくらでも難しくできます。「高尾山登下山を1時間以内でやってください」「それを3回やってください」とかいうだけです。もちろん他の登山者のかたにはきちんと挨拶をしてからいちど立ち止まって、互いの安全を確かめながらすれ違い追い越しをしながらですよ。なおこの挨拶を、「マナーだから」とか、「遭難したときの備えとしてすれちがうひとに顔を覚えてもらうため」とかいっているひとがいますが、登山を全く知らないと判断して差し支えありません。山でまわりときちんとコミュニケーションをとれないひと、すなわち山で他者の安全に配慮できないひとは、山に来てはいけません。
山の難易度は自分次第なので、まずは自分自身が準備できていないと話になりません。「山には急に登れない」は、山屋であれば皆理解しています。山に行っていないときの学校の登山部は、ひたすら校庭を走りこみ、水をいれたペットボトルをザックに詰めて非常階段を延々と歩荷訓練しているのはご存知ですよね。
毎週だいたい30kmから40km(毎月ではありません)、年間約2,000km山に入ってトレーニングしていますが、年齢もあって、これぐらい通年やっていないとアルプス縦走はもちろんのこと、低山でも余裕をもって安全にこなせません。(普通にフルタイムで働いて、家族との時間も作って、家計管理日用品調達献立買い物炊事洗濯掃除などの家事も毎日こなしています。念のため。)
これでやっと維持できているのですが、「維持」の具体的な意味は、超長距離を持続できる体力と、関節などの体の痛みや、四肢のつり、筋肉痛や靴ずれみたいな小さなことまで皆無という意味です。いい年なので、もうそろそろどこかに恒久的な故障が出ることは覚悟していますが、今のところ皆無です。
山をのぼって、「膝が痛い」とか「足がつる」とかいっているひとがいますが、それはそもそも歩き方がまちがっているからであって、まちがったまま何百km何千km歩いても、単に故障するだけで山登りは上手になりません。SNSなどを見ていると「中房から燕山荘往復で筋肉痛になった」とか、「くだりで足がつった」とかいっているひとがいますが、いたたまれない気持ちになります。登山はスポーツです。サッカーや野球や水泳を勝手に自己流でやらないのと一緒で、団体にはいるか、適正な対価を払ってちゃんとわかっているひとに習いましょう。間違っても、ネットや雑誌で教えてもらえるとは思わないことです(私が知るかぎり、そんなものは存在しません)。
先述の記事に「警察庁によると、昨年の山岳遭難3126件のうち、最多の長野県(302件)に続いて多かったのが、低山が大半の東京都(214件)だった。八王子市の高尾山(599メートル)での遭難者は133人に上った。」とありました。驚きでしょうか?私にとっては全然驚きではありません。高尾山は年間登山者数が300万人といわれ、来訪者の絶対数が多いことが数字にも表れているのだと思いますが、同時に、そもそも準備ができていないひと、山登りをしらないひとが大勢くる山でもあるからだと思います。高尾山には毎年60回から80回登頂しますが、登山道でひっくり返っているひと、転んで動けなくなっているひと、登山道の崖から落ちるひと(登山道で谷側に立たないことは、登山のイロハのイです)、額から血を流してうずくまっているひと、「山頂はまだですか」と涙目で聞いてくるひと、救助隊にタンカで運ばれているひとに何度も遭遇しています。一度ですが、景信山の斜面(なんでもない登山道)で転倒者をホイスト収容するためにヘリが頭上に飛来し、ホバリングするヘリから懸垂降下した消防士に「危ないのでヘリがいなくなるまで伏せて!」といわれた経験もあります。今日も、消防のクイックアタッカーのバイクがサイレンを鳴らしながら1号路を駆け上がっていきました。山中で要救助者が発生したものと思われます。
今日も暑い日になりました。本日9:00時点の高尾山山頂の気温は30℃でしたが、早朝出発時点の高尾山口駅前の気温は25℃。朝晩の気温は過ごしやすくなってきましたが、秋を一番感じるのは草むらから聞こえてくる虫の音。花も秋めいてきています。