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尾瀬ラウンド

【山行概要】

鳩待峠(05:30)⇨アヤメ平(06:30)⇨皿伏山(08:00)⇨尾瀬沼ビジターセンター(09:00)⇨燧ヶ岳俎嵓まないたぐら(10:40)⇨燧ヶ岳柴安嵓しばやすぐら(11:00)⇨見晴(12:00)⇨龍宮小屋(12:30)⇨至仏山荘(13:15)⇨鳩待峠(14:00)

山行地図①(注1)
山行地図②(注1)

総距離:36.4km
累積標高:1,667m/1,685m
日付:2022年7月30日

尾瀬の核心域である尾瀬ヶ原ならびに尾瀬沼を含む一帯の広域は、国立公園に指定されています。尾瀬は当初日光国立公園の一部として昭和9年(1934)に指定を受け、その後昭和31年(1956)に国から天然記念物の指定を受けるとともに、くだること平成19年(2007)、尾瀬地区は日光国立公園から分離独立し、会津駒ヶ岳地域および田代山ならびに帝釈山地域を加え、尾瀬国立公園として指定されます。

こんにちにおいて、尾瀬のたぐいまれなる美しさそしてその大切さに関しては異論のないところでしょう。名峰燧ヶ岳ひうちがたけならびに至仏山しぶつさんを擁する優美な山嶺、それをみなもととする豊かな水資源が育む希少な動植物、日の光にきらめく新緑の森や絵画のような紅葉など四季折々の自然美、ふわっとすいこまれそうな果てしない満天の星空、紺碧の空とまっしろな雲を鏡のように静かな水面にうつしとる池塘ちとう、どこまでも透明で清らかなせせらぎ、轟音とどろき見るものを圧倒する雄大な滝など、その素晴らしさを語りだせばキリがありません。

国立公園の指定は、尾瀬を開発から守った要因のひとつなのは間違いありませんが、過去120年ほどの尾瀬の歴史を振り返ると、電源開発との戦いであったことがわかります。現在南アルプス国立公園でリニアを通すための穴をうがつ工事が粛々と進んでいるように、日本において国立公園に指定されることは、開発や破壊から守られる担保になりません。

過去の計画がかりに実現していたら、尾瀬ヶ原と尾瀬沼は完全に水没し、この奇跡のような天空の盆地はひとつの湖になっていたのです。尾瀬国立公園の区域面積37,222haのうち東京電力が全体の約4割、特別保護地区(具体的な開発計画が概ね重なる)に限れば約7割を所有しているのは、その残滓です。

尾瀬に最初の水力発電ダムの計画が発表されたのは明治36年(1903)。今から約120年前のことです。それから紆余曲折を経て、小規模な開発(尾瀬沼発電水路)は行われたものの、大規模開発は実現しないまま平成8年(1996)、東京電力が尾瀬ヶ原の水利権期間伸長申請を見送ることで計画を事実上放棄し、開発の歴史に終止符が打たれます(尾瀬沼発電水路の水利権は現在も維持)。

開発の歴史が、当時の富国強兵や電源確保を含む近代化のための国土開発を優先すべしという世の趨勢、そしてそれに抗う自然保護活動やさまざまな利害がからみあう複雑な経緯をたどったことは入手可能な情報からも容易に推察されますが、詳細については、当事者でもない私はなにか評論する立場にないどころか知識不足でその能力もありません。しかるにひとついえるのは、どの議論にもその背景に当時の社会的情勢や要請ならびに価値観があり、おのおのの立場においてはそれぞれ正義があったということです。なので、今を生きる我々があとから知った事実や今の価値観をふりかざして過去を一方的に批判するのはあるまじき態度です。一方、現在と未来に対しては責任を持たねばなりません。いまあるもの、そしてこれから育つものを大切にしたいと思います。

さて、開発をまぬがれた尾瀬ですが、もうひとつの危機がありました。それは、1950年代に大流行した歌曲「夏の思い出」です。「夏が来れば思い出す~♪」の歌い出しは多くのかたがご存知でしょう。そこで歌われた尾瀬の情景にあこがれて、空前の数の来訪者が尾瀬を訪れることになります。いまでは信じがたいことですが、昭和30年(1955)以前の尾瀬では、登山者が湿原を自由に歩きまわっていたといいます。ただし、当然のことながら湿原ではぬかるみに足をとられて歩きづらいことから、当初は歩行のための便宜として木道が設置されたのだそうです。それも、はじめのころは木の板を湿原にぽんと置いただけのごく簡単なものだったとか。しかしそれでは1960年代に急増した来訪者への対応には不十分で、踏みつけによる湿原や登山道の荒廃が急速に進行。また、当時は環境保全に関して市民の日常生活がおよばず(この当時は都市部でもごみ収集の仕組みが脆弱で、家庭ゴミを河川や海に投げ入れたり空き地に野積みすることは普通だった)、野山にゴミをポイ捨てすることにさしたる抵抗がない時代で(いま登山者は、外から持ち込んだものを水の一滴まですべて自宅に持ち帰ることが常識だが、昔は地面に穴を掘ってゴミを埋めることが普通だった)、湿原にはゴミが散乱するようになります。当時の資料や写真を見たことがあるのですが、ひとなみでごったがえす湿原にはジュースの空き缶やら菓子袋やらが散乱し、みるにたえないひどさです。

その後木道は単なる便宜ではなく湿原保護を目的として大勢の歩行に耐えられる堅牢なものが敷設され、ゴミは地道な啓蒙活動と来訪者の意識向上の結果、いまではほとんど解決されています。来訪者の絶対数が大幅に減ってより管理しやすくなった、という物理的な理由もあるのかもしれませんが。

先に、こんにちにおいて、尾瀬の類稀なる美しさそしてその大切さに関しては異論のないところでしょう、といいました。もしかしたら違うのかもしれません。貴姉兄のご見解はいかがでしょうか。なにもお役に立てない不肖の身ながら、このたびの山行のようにその恩恵にあずかりつつも、結果として残されたこの奇跡のような自然が末長く後世に伝わることを祈念します。

尾瀬へ入山するルートはいくつかありますが、主要なルートは:
・戸倉(群馬県)からバスで大清水。大清水から徒歩で三平峠をこえ尾瀬沼に至るルート
・戸倉(群馬県)からバスで鳩待峠。
檜枝岐ひのえまた御池みいけ(福島県)からバスで沼山峠休憩所。徒歩で沼山峠をこえ尾瀬沼に至るルート

の三つです。東京からは群馬県側のほうが近いので戸倉がメインの入山口です。戸倉には大規模な駐車場があり、また鳩待峠からの入山の場合、津奈木~鳩待峠間の林道は一般車両の通行が禁止されているので、戸倉からバスを利用するのが一般的です。

今回も、いつものとおり戸倉から始発バスで鳩待峠へ移動し、出発です。

早朝の鳩待峠を出発。鳩待通りを富士見峠方面にとりつきます。
森は濃霧に包まれ見通しがききませんでしたが、横田代に到着すると突然視界がはれて、青空がのぞきました。
ヨツバヒヨドリ。尾瀬の個体数は多く、長い期間観察できる花です。
わあハクサンフウロです。尾瀬のみならず、南北中央アルプスを含め日本の高山帯で多く観察できます。大好きな花のひとつ。
チングルマの花の季節はすぎ、綿毛になっています。
アヤメ平に到着。キンコウカの花が真っ盛りでした。
この時期アヤメ平を彩るキンコウカの花。アヤメ平は昭和の尾瀬観光ブームのとき、来訪者が大勢で無秩序に入り込み湿原を踏み荒らした結果裸地化し、湿原は消滅の危機を迎えます。その後、自治体と有志による地道な保護活動と長期にわたる復元作業の結果、現在アヤメ平の湿原はかつての9割ほどまで回復しているのだそうです。
長年の復元活動が実を結んで、この時期になるとキンコウカに覆い尽くされた湿原の絶景にあずかることができます。アヤメ平と称されますが、アヤメは生育しておらず、このキンコウカの葉がアヤメの葉に似ているので勘違いしたことがその名の由来なのだとか。確かに湿地に生育するのはハナショウブやカキツバタ。アヤメは乾いた草地に生育する陸生の植物なので、湿地にはいません。
キンコウカに彩られたアヤメ平の向こうには、これから目指す燧ヶ岳のシルエット。
ムラサキタカネアオヤギソウは北アルプスの高山帯でもよく見かけますが、その標本種が採取されたのがここ尾瀬の至仏山です。
富士見田代で小休止。池塘の向こうに見えるのは燧ヶ岳。ここから富士山が見えるはずはないので、燧ヶ岳を富士山にたとえたのでしょうか。
オトギリソウもこの時期の尾瀬で多く観察できます。南北アルプスの稜線でもよく見かける花です。
イワショウブの花が開花し始めていました。個体数は比較的多い。
あっ、これはモウセンゴケ。よく知られているとおり食虫植物です。誘われた虫が粘毛がならぶ捕虫葉につくと、逃げられないよう葉が虫を包んで捉えて、ゆっくりと消化吸収します。ちょっと不気味なイメージがあるかもしれませんが、よく見ると美しい造形の植物です。
タテヤマリンドウ。北アルプスでもよくみかけます。個体数は比較的多い。
ゴゼンタチバナは本州の亜高山帯から高山帯の広範囲でみかける、比較的一般的な高山植物。ここ尾瀬でも多くみかけます。
こちらはサワラン。日がよくあたる湿地でみかけます。あざやかな紫色の花は湿原でよく目立ちます。
ワタスゲ。湿原のあちこちで風にゆれています。
皿伏山をこえ深い森をぬけると、視界がパッと開けます。大清水平に到着です。
ここで鹿の群れと遭遇しました。近年尾瀬は鹿が増えすぎて、希少な高山植物が食害で減少するなどの被害がでています。
おっとこれは変わり種。ナガバノモウセンゴケです。モウセンゴケの仲間ですが、その名の通り粘毛がつく捕虫葉が長細い。日本では、北海道を除くと尾瀬にしか生育しません。
マルバダケブキ。高尾山でもみかけます。生育域は広い。
尾瀬沼のほとりから、燧ヶ岳の遠景を望む。
コオニユリ。以前はもっと多かったような気がしますが、個体数は減少しています。
コバギボウシ。高尾山でもたくさんみかけるオオバギボウシは白い花をつけますが、コバギボウシの花は紫色。
ゼンテイカ。これが標準和名ですが、別称であるニッコウキスゲの名のほうがよく知られているでしょう。以前は湿原いっぱいに咲き乱れる姿をみることができたのですが、鹿による食害の影響で個体数は激減しているそうです。
大江おおえ湿原を流れるせせらぎ。尾瀬沼に注ぐ流れはどこまでも透明で、清らかです。
ここ大江湿原ではむかし、湿原いっぱいにゼンテイカが咲き乱れる光景をみたことを覚えています。
順調に歩みを進め、燧ヶ岳にとりつきます。ミノブチ岳まであがると森林限界を抜け、視界が広がります。目の前には今から向かう燧ヶ岳の山頂。
ヤマハハコ。おそらく日本でもっともよく見かける高山植物のひとつで、文字通りあちこちでみられます。高尾山にも咲いているという情報に接したことがあるのですが、個人的にはみたことはありません。
ミノブチ岳近傍の眺望スポットから、尾瀬沼の全景。向かって右方向の稜線から、尾瀬沼の奥のほうを半分ほど周回して燧ヶ岳に向かって縦走してきました。
燧ヶ岳の頂上は二峰にわかれています。最初のピーク、俎嵓まないたぐらに到着。少し休憩。
俎嵓を後にし、もうひとつのピーク、柴安嵓しばやすぐらへと出発。
柴安嵓に到着。ここから後ろをふりかえると…。
尾瀬ヶ原の全景が眼前に。柴安嵓からの眺望は何度来ても、何度見てもすばらしい。
この水資源豊かな地で自然が生じた盆地状の地形をみれば、水力発電用のダム建設の最適地であることが容易にわかります。計画では只見川が尾瀬ヶ原より流出する地点にロックフィルダムが建設され、写真にうつる尾瀬ヶ原と尾瀬沼は完全に水没する予定でした。
ご機嫌で燧ヶ岳を下山。見晴みはらしの山小屋でコーラを買って、ぐびり。冷え冷えの清涼感が五臓六腑に染みわたります。
見晴を出発。尾瀬ヶ原の木道を進んでいきます。後ろを振り返ると、先ほどまでいた燧ヶ岳の勇姿が。
トリカブトにはたくさんの種類があって、正確に同定することは極めて難しい。こちらはオゼトリカブトかオクトリカブトのどちらかと思われます。
ヒメシャクナゲ。尾瀬の個体数は比較的多い。
歩みを進めます。次に目指す至仏山の姿が大きくなってきました。
コバノトンボソウ。こちらも尾瀬では比較的個体数は多い。
サワギキョウ。こちらも尾瀬ヶ原ではよくみかける高山植物です。
青空を映す池塘に浮いているのは、ヒツジグサの葉。
こちらはヒツジグサの花。ヒツジグサの名は、未の刻 (不定時法でだいたい午後2時前後) 頃に花が咲くことがその由来なのだとか。
ネジバナが咲いています。その名のとおりネジネジした花が特徴のランの仲間で、低地から高山まで様々なところでみかけます。高尾山でもみかけます。
あーっ!ここまで順調に歩みを進めてきましたが、眼前の至仏山に突如雲がかかりはじめました。この暗くモクモクした縦長の分厚い雲は、間違いなく積乱雲。雷鳴も聞こえます。
計画では至仏山を経由して鳩待峠にもどる予定でしたが、雷雨になると危険なので緊急時の計画どおりエスケープ。至仏山をパスし、至仏山荘から最短距離で鳩待峠にゴール。実際にこのあと雷鳴がさらに近づき、土砂降りの雨になりました。ちょっと残念ですが、しかたないですね。また来る理由ができました!

【参考資料】
東京電力リニュアーブルパワー HP 「尾瀬とTEPCO」

閲覧日:2024年6月24日

公益財団法人 尾瀬保護財団 HP

閲覧日:2024年6月24日

福島県 HP 「ふくしま尾瀬」

閲覧日:2024年6月24日

環境省 HP
https://www.env.go.jp/content/900493571.pdf

(注1)
《国土地理院コンテンツ利用規約に基づく表示》

出典:国土地理院ウェブサイト(地理院地図:電子国土Web)
GPSデータに基づく軌跡を描線。
図形等加筆。

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